星とビール【短編】

前回よりは、2倍くらいの分量がある短編。

質は決して量に比例するわけではないけれど、きっと正しく公平に世界を描くためには、ある程度文字を起こさないといけない。

今回はかわいい、かわいいビール君(サッポロ君)の、お話。

『星とビール』

今までに見た星空とはまるで違い、夜空に散りばめられた流星群は美しかった。ここにいるんだと光っていた星の姿はここにはなく、むしろ真逆、黒い闇こそが何とか星世界に入り組もうと眼に訴えかける。ここがテラス席で、気になる女の子を口説けたなら、それはとても素敵なシチュエイションだと思う。

I am on the sea, 僕は深い海の真上に残されている。どうしたっていうんだ。僕は夏の休みを利用して、友達と無人島で遊んでいた。打ち捨てられていたボートを見つけ、僕は感覚で漕いてみる。一通りコツを掴んだあとで、僕は沖に出た。少し微睡んでいたうちに、夕日が信じられない距離まで近付いていて、そしてあっという間に暗闇に呑まれた。辺りに気配はなく、否応なしに僕が独りだということを知らしめる。

小瓶の水を、僅かに口に含ませる。少し前に空腹は収まった。意識と視界はとてもクリアになっている。今なお陸地は見えないが、ずいぶん空が手近に感じられるようになった。海の中にはたくさんの生物がいるはずだけど、辺りはとても静かで、僕はぼうっと空白の中で思考する。

***

ふと眼を落とすと、ビールの空き缶が、舟のへりを越えようとしていた。腕はない。モグモグさせたような小さな手のひらがある。足もない。取って付けたかのような丸い塊がある。手のひらと丸い塊が拍子を合わせて、舟の中へと身体をかたむける。転がるようにビールは舟の上に堕ちた。カラン、コロンと、乾いた音が鳴る。

さっと身体の泥を払ったビールの空き缶は、襟を正しながら僕の方に真っ直ぐ身体を向け、微笑みかた。微笑み?

その空き缶は僕に話しかけた。
「おいらのことは、サッポロくんって呼んでくれよな」

目も鼻も口もないその空き缶は、まるで人間のように発声した。僕はおずおずと尋ねた。

「ええと、君はサッポロビールのマスコットなのかい?」

サッポロくんと呼ばれたその空き缶は、顔を紅らめる。間髪入れず、棘のある口調でまくし立てた。

「よせよ。僕はマスコットなんかじゃないよ」「それに、サッポロビールにマスコットなんていないよ。とびきり美人の女の子がビールの宣伝をしてるんだ」

居酒屋に貼られたビールメーカーのポスター、確かに一番星が印字されていたような気がした。青い空、青い海、白い砂浜、こぼれるバスト。右上がかろうじて画鋲で止められている、お世辞にも綺麗とは言えないポスター。うす汚れた姿をしながらも、印刷されたその女の子はいつだって眩しかった。

「僕はその女の子と付き合っていたことがあるんだ」

鼻穴をぷっくら膨らませて、サッポロくんは、とっておきの秘密を囁いた。このダルマみたいな生物が、キャンペーンガールと付き合っていたなんてことは、世界中の誰も信じることはできまいて。そして僕は、その女の子をはっきりと思い出していた。

「それはつまり、その女の子とデートとかをしてたってことなのかな?」
「そりゃあそうさ。色んなところにデートに行ったよ。一番印象に残ってるのはハワイだね。ハワイのビーチはとびきり綺麗だったな。僕らしか使えない貸し切りのビーチは最高だよ。日焼けオイルを塗り合って、好きに遊びほうけるのさ。素敵な女の子とハワイに行くって、良いもんだよ」

目を細めながら(あくまで、細めたような気がしただけだが)サッポロくんは、気持ち良く喋り続けた。お喋りは際限がなかった。時々サッポロくんは鼻穴を膨らませた。僕はそれが、彼が嘘をついたときの癖ということに気がついた。

「ねえ、でもそれっておかしいんじゃないかな」

5分間くらいサッポロくんの話を聴いたあと、僕は自分の疑問点を並べた。サッポロビールはハワイに出荷しておらず、彼はその地に足を運べないこと。仮に飛行機に乗れたとして、狭い貨物の中で泡が吹きこぼれないように耐えるリスク。缶という容器にオイルを塗っても日焼けはしない(酸化はするかもしれない)こと。そもそも、その女の子がサッポロくんのような空き缶と愛の言葉を交わし合うことはないのではないか。

するとサッポロくんは、眉を下げて僕を見つめた。

「確かに君の言うことはもっともで、おかしいって感じると思うよ」「でもね」

ふと、牡丹雪のような流星が目に入った。フロントガラスに堕ちる雨粒のように、周りの流星を巻き込みながら夜露に消えた。

(世の中は、おかしいことだらけさ)

気がつくと、サッポロくんは姿を消していた。

***

しばらくして、海の向こうから、その女の子が、小舟に乗ってやって来る。ポスターの水着と寸分違わぬ格好でやって来る。夜の闇に露出した肌は、何故か寒いという印象を与えていない。

女の子が探していたのは、サッポロくんだった。

「ねえ、この辺にビールの形をした、何というか人形?ちょっと変わった子を見なかった?」
「もしかして、それは君の彼氏?」

女の子は安心したように、にっこり微笑んだ。

「ええ、そうよ」「あなたもしかして、彼と話したの?」

事の顛末を話すと、女の子はへらへらと笑って、「概ね合ってるわ」と言った。女の子がいきいきとサッポロくんについて話すことに僕は半分うんざりしながら、何だか予想通りだと思った。

「サッポロくんはね、とてもロマンチストなの」

ーーいつか君を、流れ星がたくさん見える場所に連れて行く。そこで僕は君をひとりぼっちにするんだ。ひとりぼっちの君は、最初とても寂しくなる。だけど、その静寂と美しさに、同時に目を奪われているんだ。そして僕に会うとさ、君は「帰ってきたのね」って事も無げに言うんだ。君は僕のことを相変わらず好きだし愛してるんだけど、きっと世界のことも真剣に愛するようになると思うんだ。もちろん僕もその間独りで淋しい思いをしてる。アンドロメダが光る海の上で、僕は君にとっておきの指輪をプレゼントしたいと思うよーー

「今のところ、きっと彼の脚本通りに物事が進んでいるんだろうね」「概ねそうよ」

けれど流星は雫と同じで、その場所に留まり続けることはできない。僕らには止まってみえる現在地だったけど、波は僕らを無数ある孤島の1つに辿り着かせる。僕と彼女は波長が少なからず合って、何度目かの夜にキスをして、何年かして新しい生命を宿した。小さな孤島には、実に色々なものが打ち捨てられていて、コンタクトレンズや洗顔スプレーやアコースティックギターや味の素などが置いてある。夏の虫と、冬の風さえ目を瞑れば、何年だって生活できる。

今もどこかでサッポロくんは脚本をアップデートしている。メーカーは毎年、新しいキャンペーンガールを採用する。どんな場所にも均等に、公正にプロモーションをかけているはずだ。僕はいつか、娘をハワイのプライベートビーチに連れていきたいと思っている。二人きりの空間で、娘の大好きなボーイフレンドのことを聴きながら、ゆっくりとビールを飲みたい。夜はできれば避けたいけれど、星が綺麗な夜ならそれに勝るシチュエイションはないだろう。

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