『風立ちぬ』を観たけど、何だか良く分からない違和感

kazetachinu

公開から1週間、前回の『崖の上のポニョ』も機を逃してしまった僕だから、なるべく早いタイミングで観ようと行ってきました。

「戦争」と「恋愛」を描いた作品、名作が数多くある中で、このような類いの描き方をされた作品を僕は知りません。あまり言うとネタバレになるので詳細は書きませんが、直接の戦闘シーンもないし、何が「喜び」「悲しみ」を左右しているファクターなのか不明瞭で、エンドロールが流れた瞬間、物凄く違和感でした。

登場人物の役割も、極めて分かりづらい。

ジブリ作品『コクリコ坂から』では、主役の松崎海と風間俊を取り巻く人物設定が非常に分かりやすかった(この作品が特別そうなわけではなく、どの作品も「分かりやすさ」は“重要”というか“前提条件”なんだと思うのですが)。例えば、学園の生徒会長を務める水沼史郎。全校生徒のまとめ役として物語の細かい粗を背負い込み、回収していました。また主役の二人が仲を深めるきっかけ(=パス)を送り続けます。「ちょっと寄ってくところがあるから」なんて言って、わざわざ二人きりにさせたり。

一方で、『風立ちぬ』における準主役たちの役割は何だったのだろうか。同僚の本庄や、上司の黒川、服部。そして時折、夢の中で登場するカプローニ。

登場人物だけでなく、物語の周辺を描く伏線のようなもの。何を象徴していたのか、それがいつ具現化されていたのか。TwitterやFacebookでは、「秀作」という声が圧倒的に多いのですが、どのような理解の上でそう評しているのか、僕は分かりません。

ブログ「『風立ちぬ』を見て驚いたこと」は、完全に物語の内容も含まれていますが、僕自身が感じたものに、比較的近い印象です。

ブログの前半に、

宮崎作品の代表的な「悪者」はラピュタのムスカです。宮崎監督はムスカに「人がゴミのようだ」というセリフを言わせていますが、今回は「悪者」にではなく「主人公(=宮崎駿の投影)」に言わせるのではないかと思っていました。なぜなら主人公の声に、宮崎さんが正直者と言って止まない庵野秀明を起用しているからです。

と書かれていますが、「なるほど」と思います。

僕はそうではない、と思います。しかし以下に続く「根拠」が確からしいなと感じるのです。

この作品は、マジで何だか良く分からない

多くの人は、映画を観た後に「ああ、面白かった」「ああ、なるほどね」という感覚を自然に欲している(≒期待している)。マジョリティがそうだとしたら、この作品はマジョリティのニーズには反していると思います。しかし、宮崎駿という日本国民にとってポピュラーな作品を手掛ける人が、そのような映画をつくることは、ちょっとしたビッグ・イベントなんじゃないかと思います。

僕はたいてい、作品を友人に奨めるか否か、ハッキリと意見を持てるのですが、この作品については何とも言えません。少なくとも、僕は『風立ちぬ』について、もう少し理解を深めたいと強く思っています。

朝井リョウ新作『世界地図の下書き』を読み、朝井リョウ出演の情熱大陸を観た

・『何者』
・『桐島、部活やめたってよ』
・『チア男子』

と続いて、朝井リョウの新作『世界地図の下書き』を読みました。

朝井リョウ_世界地図の下書き

朝井リョウと言えば、「学校もの」。過去の作品と異なり“小学校”を舞台にしている。しかしながら、良い意味で安定の“青さ”が随所に散りばめられていて、朝井の経験に基づいた主観や人間観が溢れている。朝井ファンの僕は、朝井のクセのある表現が大好きで、読み始めると止まらなくなってしまう。

それを前提として、感想を述べたい。『何者』を読了したとき、僕はこのブログにこんな風に書いた。「直木賞を受賞した朝井リョウの『何者』を読んだ

ラストシーンでは、帯に書かれている「あんた、ほんとは私のこと、笑ってるんでしょ」という言葉が生き霊のように登場し、何度も何度も執拗にまとわりつく。ぐりぐりと心を捩じ上げ、気付けば逆転負けを喫することになっている。1−0で勝つだろうと思ったら、1−3で負けてしまった、“あの”ワールドカップのように。

今年の1月に書いた書評なので、ワールドカップを例に持ち出したのは若さということで勘弁して欲しいものだが(笑)、終盤の畳み掛けるような叙述に、心を奪われたことは理解していただけるだろう。同じく『チア男子』でも、登場人物の心模様が万華鏡のようにクルクル表出してきて、グツグツと小説の温度を上昇させた。

朝井ワールドというか、そんなジリジリとしたトリックが面白くて、僕は最新作『世界地図の下書き』も手に取ったのだけれど、山場〜読了までの時間は、“拍子抜け”であった。

悪口を言うつもりはない。時間軸が前後しながら、登場人物の思いや事情を丁寧に描きながら、主人公・太輔の“告白”が描かれる。まだ人生経験のあまりに浅い、小学6年生のピュアな“告白”には相応の納得感がある。だけど何だろう、言って見れば突っ込みどころがないのだ。「俺、朝井リョウの最新刊、○○な所が良かったぜ」「だけど、○○な部分がイマイチだったぜ」というもの。誰かに感想を話したくて話したくてたまらない、そういう気にならなかったということだ。

7/14(日)の情熱大陸は、新作のプロモーションも兼ねてだろう、朝井リョウが出演していた。

新作の発売日は過ぎているので、既に読み終わった人によっては、「答え合わせ」の一面もあったろう。そして、答え合わせはバッチグーだった。

番組の後半、ようやく新作についてのやり取り。朝井と編集者の間で、こんな会話が行なわれていた。

編集者「ここはやっぱり後半の山場で読者がどうなるんだろうって思う所だと思うんですね。なのでここはもうちょっと緊迫感を出したいというか。すごくあっさりっていうか、もったいない気がしていて」

朝井「あっさりの方が良いかなと思って、こうやって書いていたんですけどね。ここは」

編集者「全ての物事が等価で扱われている感じなんですよ。この後半」

朝井「そうやって書いてますね。盛り上げようとするとクサくなる。どうしても。スゴイ作り物の話なんだけども、いやらしくないみたいな・・・。そういう風になると一番良いんでしょうけどね。僕がやると全部いやらしく見える気がするんですよ。やっぱ23年しか生きていない、生きていないのに何でこんなこと書いてるんだろうねっていうのは、ずっとある。(中略)なので、ちょっとでも作り物の部分があると、すぐバレる気がすると思うんですよ」

なるほど、意図的だったわけですね。これに関しては賛否両論、おそらく“否”の部分が多そうだけど、1作や2作のチョンボは許されるだろう。チョンボっていうほど、悪くないし。むしろ上手くなってるし(ごめん、僕は嘘がつけないので、フォローもあんまり上手くないんです)。確かなことは、朝井は自身の「経験」を大切な材料とした、誠実な小説づくりを行なっているということだ。

周知の通り、朝井リョウは、社会人2年目のサラリーマンでもある。二足のわらじで、作家とサラリーマン業をこなしている。(この辺りも、一定の層に物珍しさで支持されている理由だろう)

朝井自身は言及しなかったが、サラリーマンを続けているのは、サラリーマンそのものを「経験」したかったのではないかと僕は邪推する。村上春樹はBARの経営を、横山秀夫は新聞記者を、湊かなえは教師を、それぞれ「経験」してきた。作家はフィクションを扱うから、「経験」がマストではないかもしれない。しかしながら、物語に活き活きとした色彩やトーンを与えるためには、「経験」が武器になることもあるだろう。

朝井は、きっとこれからも書き続けるだろう。

そのための糧を貪欲に、仕込んでいる。

そして、きっと、しれっと、“大作”を書いてしまう。

学生時代、文学サークルに所属しなかった朝井が、しれっと、作家デビューしてしまったときと同じように。

剛力彩芽の力強さ〜剛よく柔を制す〜

このエントリ、結論から述べると剛力彩芽さんの力強さを書く。

gouriki

それに先立ち、まずは音楽ジャーナリストの宇野維正氏の剛力評を紹介する。
剛力彩芽のデビュー曲はなぜ炎上したのか?

異性にアピールするのか、同性にアピールするのか、オシャレなイメージで売り出すのか、親しみやすいイメージで売り出すのか。今回の『友達より大事な人』の「元気なクラスメイト」というぼんやりとしたコンセプトからは、肝心なリスナー像が見えてこない。まさに「誰得」な楽曲に仕上がってしまっているのだ。

氏はこの記事を書くにあたって、魅力が彼女には確かにあると自分は思う、というように、中立な立場からも彼女のことを評価している。ただ、この売り出し方に疑問を呈しているというわけだ。

翻って自分のこと。僕は剛力さん、特に好きではない。ネットバッシングで見られるようなアンチでもないものの。だって、他の女優やタレントと比べると可愛くないではないか。

「可愛い」とはなんだろうか。この個人差がある問いに対して、なるべく私見を排除するように努めて考えてみる。

例えば、AKIRA主演「GTO」に出演していた瀧本美織、川口春奈、本田翼。彼女たちは「誰もが魅力的」と思われるチャーミングさを持っている。目がパッチリしていて、笑顔が眩しくて、ちょっとドジっぽいキャラクターも垣間見える。朝ドラで20%強の視聴率を誇る「あまちゃん」の能年玲奈、東北弁を喋る彼女もとってもキュートだ。ずっと前から僕は思っていたが、日本の若手女優は次から次へとニューカマーが現れる。僕は28歳で、そろそろおっさんに成ろうとしているわけだが(もう、おっさんかもしれない)、そんなおっさんからすると、自分より年の若い女優が出てくるのは喜ばしいことだ。しかしながら、ちょいとスピードが速い。

だって、宮﨑あおい、長澤まさみ、堀北真希、綾瀬はるか、上野樹里、満島ひかり、武井咲・・・。彼女たちもまだまだ20代の若手。上述した女優に比べるとキャリアも積んでおり、いっぱしの実力派としてテレビや映画の世界で当たり前のように活躍するようになった。多かれ少なかれ「濡れ場」に近いシーンもあったりする。書き忘れていたが、上戸彩や新垣結衣も石原さとみも、一世を風靡した女優と言えるだろう。

そんな中で、例えば川口春奈。

あなたは知っているだろうか。今クール、彼女がヒロインとして連続ドラマに出演することを。Kinki Kidsの堂本剛さんと一緒に「天魔さんがゆく」という深夜ドラマに出演するのだ。え?深夜ドラマだって?!

深夜ドラマの是非を細かく言うつもりはないが、僕はそろそろ彼女がフジテレビの月9などでヒロイン役を張っても良いはずだと思っていた。ルックスも申し分ない。演技だって悪くない(GTOでは少し影のある女子高生を演じた)。主観になっちゃうけど、僕は彼女のことが大好きだ。

この原因は、少し触れたように、若手女優の多さ、スピードの速さに起因すると思っている。この2つが、結果的に「入れ替わり」の速さに繋がってしまうのであって、良い女優であっても埋もれてしまうことが少なくない。

芸能事務所にとって、女優は大切な財産だ。実力のある女優は安売りしないし、キャリアのない女優は猛烈にプッシュする。ということをエクスキューズに挙げておくと、上野樹里は2011年のNHK大河ドラマに主演して以来、目立った作品に出演していない。一旦温めている可能性もあるだろう、しかしながら、彼女がしばらく出演していない事実に気付いている人がどれだけいるだろうか。

前段が長くなった上、肝心の剛力さんのことはそれほど触れるつもりはない。

宇野氏曰く、剛力さんの新曲は、

『友達より大事な人』は80年代まんま。今時、どうしてこんな古くさいサウンドにしたのか謎。そして、もっと混乱させられるのはミュージックビデオだ。楽曲のイメージ通りに学校を舞台にした作品なのだが、その中で剛力彩芽はまるでR&B系シンガーのように踊りまくる。5歳からダンスをやっていて、以前からCMの中でもキレキレの踊りを披露していた彼女。この曲も同じシリーズのCMソングとしてオンエアされているので、そこの整合感だけはあるのかもしれないが、歌詞、サウンド、リズム、ダンスの振り付け、それぞれのバランスがメチャクチャ。さらに言うなら、CDジャケットのアートワークの写真や色彩や文字のフォントもすべてがチグハグ。とにかくいろんな人の意見をすり合わせていくうちに、よくわからない場所へ不時着してしまったという印象

と評している。

しかし僕は、クオリティの質が高い低いを別にして、しかも幸か不幸か論じることもせずに、たくさんのエクスキューズを挟みながら、短期的にメリットを生み出してしまっていると考える。

「可愛くない」「よく分からない」「歌が下手」「バランスがメチャクチャ」。色々な悪循環は、他の女優やタレントと一線を画している。こんなにも何を考えているか分からない女優は初めてだ(何を考えているか、知りたくない女優も初めてだけど)。それが妙なミステリアスを生んでいるのではないか。それが多くの老若男女に飛び火して、「剛力?なんか好きじゃないけど気になる」に繋がっているのではないか。

でなければ、あれだけ頻繁にYahoo!ニュースには載らない(たぶんAKB48の次くらいに載ってるんじゃないかな)。でなければ、月9にも起用されないし、高くはないにせよ平均視聴率11.3%だって取ることはできなかっただろう。

剛よく柔を制す。いにしえの諺とは逆、そんなに定説が覆されるとは思えないから、剛力さんのブームだってそうは長く続かないだろう。しかし、美貌や才能のある若手女優が、脚光を浴び切らない時代の中で、剛速球の如く、トップランナーを駆け抜けている剛力さんのことを、僕は安直にバッシングすることはできないのである。

◎追記◎

http://www.youtube.com/watch?v=QR6Gj0MKcew

7月11日現在、剛力さんの新曲は、YouTubeにて380万回の再生がある。単純比較はナンセンスだが、同じレコード会社、ロックバンドのDr.DOWNERの新曲『レインボー』は1.7万回の再生に留まっている。

http://www.youtube.com/watch?v=1D9O6iazCgU&

まあ、こっちの方が情熱感じられて良い曲っぽいけどな、おかしいな。