足利尊氏公マラソン雑記

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11月3日は「文化の日」なわけだけど、例年天気に恵まれているという定説がある。
そして僕が知る限り、この時期に様々なスポーツ・イベントが開かれ、老若男女が身体を動かし、清々しい汗を流している。
(2013年のこの日は、楽天ゴールデンイーグルスが創設9年目で初の日本一に輝いた。ガンバ大阪がJ1昇格を決めたことなど、当事者以外はスッカリ話題にのぼらなかったけど)

ランニングシーズンというのは、秋くらいを目処にスタートする。
「今シーズン初めて」という表現が使われるとき、大抵ランナーとそうでない人の間で齟齬が生まれる。「え、3月くらいに走ってなかったっけ?」という具合に。
オリンピックのフルマラソンのイメージがあるのだろう、マラソンが冬のシーズンのスポーツだとはあまり認知されていないらしい。実際、30度を超えた中走る国際大会は無謀だと思ううんだけど、他の陸上競技との兼ね合いもあるし、夏にマラソンのビッグ・イベントが行なわれるというのは仕方のないことなのだろう。

さて、栃木県出身でもある僕は、今シーズン初のマラソン大会に、栃木県足利市で開催された足利尊氏公マラソン大会を選んだ。
フルマラソンは競技種目に無いため、この日はハーフマラソンの部に参加した。普段僕はフルマラソンを主戦場にしているので、スピードの求められるハーフマラソンは正直キツいのだけど、3週間後に控えたつくばマラソン前の調整を目的に参加を決めた。ハーフマラソンのベストは1時間35分台後半。レース前にはちゃんと走り込んだし、自己ベストを密かに狙っていた。

しかし、結果は1時間39分52秒。

40分台に突入しそうな、宜しくないタイムだった。少なくはないアップダウン、快晴で気温も高かったのに厚着してしまったこと、足にフィットしないシューズを選んだことなど、言い訳を挙げ連ねるとキリが無い。とにかくスピードと脚力のバランスが悪かったことが原因だろう。毎日コンスタントに走っても、バランスが悪ければ、良い結果を得ることはできない。

裏を返せば、マラソン歴が6年目に入ったことで、「とりあえず走ればタイムが伸びる」というフェーズを過ぎたことを意味する。走り始めの頃は、練習すればするだけ、タイムは伸びた。新入社員は3年目くらいまでは面白いように仕事を吸収しスキルを伸ばせるように。一定の分水嶺を超えた後は、もう少し戦略的にならなくてはいけない。そのことを思い知らされたレースだった。

今シーズンをフルマラソンを4つも走ることになっている。今まではだいたい年に2回だったので、無謀にも思えるチャレンジだ。
今までの自己ベストは3時間34分37秒。もちろんどの大会もサブ4で行きたいし、そのうち1回はサブ3.5を狙いたい。年齢は29歳。マラソンランナーのピークは40代まで可能性があるようなので焦りはないけれど、自分の中で区切りをつける意味でも、20代最後のシーズンを満足して終えたいと思う。

村上春樹は著書『走ることについて語るときに僕の語ること』中で、こう言及している。

一般的なランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」とあらかじめ個人的目標を決めてレースに挑む。そのタイム内で走ることができれば、彼/彼女は「何かを達成した」ということになるし、もし走れなければ「何かが達成できなかった」ことになる。もしタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり、次につながっていくポジティブな手応えがあれば、また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、たぶんそれはひとつの達成になるだろう。言い換えれば、走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。

上記の見解に、僕は大いに賛同する。
20代という遊びたい盛りの貴重な時間をマラソンに費やすという、走らない人にとって「愚か」と感じられるような行為を、僕は真剣(ガチ)に取り組んでいるのだ。

何より、走っているときに時々見かける若い女性ランナーは皆キラキラしている。犯罪にならない程度に、彼女たちのふくらはぎや首筋を眺めて大会に臨むのも悪くないものだ。

足利尊氏公マラソンでは、ゲストランナーの大久保絵里さんと、同じようなペースで走っていた。抜きつ抜かれつ3回くらい彼女の姿を追っていたのだが、その美しさに心奪われっぱなしだったことも追記しておく。後半の記述に不適切な内容があったことを、どうかご容赦願いたい。

▼大久保絵里さん

▼村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』