2014年1月ランニング総括

勝田全国マラソン惨敗のせいで、2014年は暗い形で幕開けしてしまったが、走り込み自体は年初からガッツリ行なっていた。
2014年1月は158キロ走破、大会と合わせると実に200キロを走った計算になる。
正月太りもせず、走る時間を作れたことはポジティヴに考えたい。

何となくだけど、走りながら思考を別の方面に飛ばすという体験も出来たような気がする。
抽象的な言い方だけど、例えば走りながら仕事のことを考えること。走っているときは頭の中がクリアになっている分、(たぶん)ゼロベースからアイデアが浮かびやすい状態なんだと思う。

まあ、実際には、走っている間にアイデアは記憶の彼方へ消えてしまうのだけど。

結果的に、この時期走り込んだことは、京都マラソンに活きたのだと思う。

2月は仕事が忙しく、走り込みがあまり出来ていない。
僕は走ることで生活のリズムを作っているので、ちょっとでも、走れるように気概を高く持っていこうと思う。

サービス公開から10年【GREE】

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2004年2月21日。
日本で初めてのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である「GREE」が生まれた日だ。今日で10年、GREEは10歳の誕生日を迎えた。
かつて僕も熱心にGREEを使っていたし、グリー関係者の方に知り合いもいる。六本木でこじんまりしたオフィスを構えていた時のことも知っている。感慨深いなんて言うとおこがましく聞こえるかもしれないけれど、初期の頃から知っている人間からすると、この10年の成長は驚くばかりである。

10年続いたこと、本当に素晴らしいことだと思う。
僕の声はきっと届かないけれど、「おめでとうございます」と声を大にして言いたい。

少し振り返る。

2004年は僕が大学1年生のときだ。
アドビシステムズの「Dreamweaver」というソフトウェアを使ってホームページを作った時期だった。大したホームページでは無かったけれど、自分でデザインできる感覚を覚えたのはこの時だったし、インターネットが僕の成功体験の後押しをしてくれたのは間違いのないことだった。

それからブログというものにハマった。
HTMLやプログラミングの知識が無くても、気軽にCMS(Content Management System)を使えることは驚きだった。僕が使っていたのはlivedoor Blog。文章を書くことに抵抗を感じない僕は、キーボードに向かって文字を打ち、インターネット上に想いを吐き出した。

で、僕が実際にGREEを使い始めたのは、2005年冬のことだ。
何やらクラスメートが熱心に使っているサービスがあった。友達と繋がる、コメントなどでコミュニケーションする、日記を書いたり写真をアップロードしたりする。その全てが可視化できるところに面白味を感じたのだろう。僕もかなりハマってしまった。当時取り組んでいた研究テーマに、無理矢理SNSをねじ込むあたりは、多少病気だったかもしれない。笑

でも、病気のように、暇さえあればGREEにアクセスして、新しい情報を求めた。
ウェブサイトを巡るようなものとは異なる快感、ついついアクセスしてしまう魔法のような仕組み、SNSには「何か」がある。
だからこそ、今でも基本的には同じ機能である「Facebook」が残っているのだと、僕は思う。

とにかく、面白かった。
ライバルとしてmixiが生まれ、山ほどSNSが登場した。今なお残っているサービスは、一握りだ。
GREEとて、狭義での「SNS」という機能は薄れており、「ゲーム」を軸に事業展開している。誰もが知っての通り、大成功を収めた。

「インターネットを通じて世界を変えていきたい」
代表取締役社長の田中さんは、昔からずっとこの言葉を掲げてきた。洗練されたロゴマークも当初からのもの。変えるもの、変えないものが明確で、サービスを展開する全ての企業にとってグリーの事例は参考になる。

これから、どんな事業を展開するのか。愉しみだ。

時期的には2006年くらいの頃か。
既に規模の大きなIT企業が幅を利かせていた中で、新興企業であるグリーやミクシィ、フェイスブックなどは「ベータ版」という言葉を良く使っていた。田中さんも2005年の著作の中で述べている。

通常ソフトを開発する時は、まず「アルファ版」という第1段階、「ベータ版」という第2段階を経て、「正式版」とする。ただ、正式版ということは、“その時点で完成してしまった”ことになり、開発の終わりも意味してしまう。だからグリーはあえて永久にベータ版であることを目指している。グリーはソフトウェアなどの製品ではなく、サービスである。ユーザーの変化に応じてサービスを変化させ、常に最善を模索し続けるため作り続けなければならない。それを支える組織を作るのが、グリーの目標となった。“GREE is Perpetual Beta”

ここで使われている意味合いでの「ベータ版」という言葉が、僕は大好きだった。
サービスだけでなく、人間も、社会も、自然環境も、宇宙も、全てのものが「ベータ版」であり続けている。
次の10年も、愉しみにしたい。

何だか誕生日ネタが続いているけど、気のせいだよね)

『羊をめぐる冒険』—僕と鼠と同じ歳になって思うこと

2010-03-30

街について話そう。我々の生まれた街ではなく、べつのいろんな街だ。世界には実に様々な街がある。それぞれの街にはそれぞれのわけのわからないものがあって、それが僕をひきつけるんだ。そんな風にして、僕はこの何年ものあいだにずいぶん多くの街を通り抜けてきた。(中略)仕事だって実にいろんな仕事をした。大抵は退屈な仕事だったけれど、それでも働くのは楽しい。いちばん多かったのはガソリン・スタンドだね。それからスナックのバーテン。本屋の店番もしたし、放送局で働いたこともある。土方もやった。化粧品のセールスもやった。セールスマンとしての僕の評判はかなりのものだった。それからいろんな女の子と寝た。違った名前と違った身の上で女の子と寝るというのもなかなか悪くない。まあ、そんな繰り返しさ。そして僕は二十九になった。あと九ヶ月で三十になろうとしている。

2014年1月4日。
新しい年になって久しぶりに、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んだ。
登場人物である「僕」と「鼠」。この小説は彼らが29歳であるという設定のもと書かれている。

「今の僕と同じ状況だ」と思った。そのときの僕は、あと8ヶ月くらいで30歳になろうとした。

その気付きは、僕の胸を強く打った。
村上春樹が書いた初期の小説(3作目の長編だ)を、偶然、30歳になろうとしているときに読んでいたのだ。

そのことについて、何かが書けそうな気がした。
特別に、今しか書けないような、何かが書けそうな気がした。

でも、1ヶ月半経っても、特別なことは何も浮かばなかった。
当初の想いをずっと塩漬けにしたまま、今に至る。あまり長い文章をだらだら書いても仕方がないと思う。だから、最近のことを少しだけ書くことにする。

2014年に入って、良いこともあれば悪いこともあった。
小説をもっと真剣に書きたいと思ったのは良いことで、次の作品を早く書き上げたいと思う気持ちも健全なものだと思った。

だが現実は、そう上手くいかない。
頭の中で構想はブラッシュアップされ続けている。それを「形」にすることだけができない。「形」にすることこそが小説を書く者にとって唯一の存在証明になる。文字と文字を結び、意味や背景や情感を創り出すこと。作為的な印象を与えぬよう、作家は優しく嘘をつく。

それが上手くいかない。悔しいと毎日思う。

30歳になることについて。
人生に節目というものがあるとしたら、確かに「30」というのはキリが良いし、節目と言えなくもないと思う。

僕にとって「20」というのは、間違いなく節目の日だった。
アテネで一人の日本人女性ランナーが快足を飛ばし、オリンピックという舞台で金メダルを獲得した。日本時間の、2004年8月23日未明のことで、僕は当時の恋人と一緒に、家でテレビを観ていた。そのとき握りしめた「興奮」は、今も手応えと共に残っている。

そう言えば、20歳のときに、僕は将来フルマラソンを走ろうなんて、これっぽっちも思っていなかった。
だけど今、僕は暇を見つけてはトレーニングに励み、フルマラソンで自己ベストを叩き出そうとしている。

自分の意思で走ること。
僕にとってフルマラソンは、ピタリと合うメタファーなのかもしれない。
それくらいなら、諦めずに出来そうだ。「30」になっても、出来ることからやり遂げたいと思う。

京都マラソン雑記

フルマラソンに参加し始めてから、どれくらいのレースに参加しただろう。
そう思って数えてみたら全部で【8回】。どのレースも記憶に新しく、どこで自分の心が折れたのかちゃんと憶えている。そう、いつも心、折れるんです。1回くらいは必ず。
フィジカルも重要だけど、メンタルをいかにコントロールできるか。それが出来なければ自己ベストは伸びないし、途中で歩く羽目にさえなる。

そして【9回】目となるレースは、初めて関東を飛び出しての京都マラソン。
世界文化遺産のそばを走れるという触れ込み、評判も良いらしくて、抽選参加。3倍くらいの倍率をくぐり抜けて参加してきました。

高低差のあるレースは自己ベストを望みづらいものだけど、前月の勝田全国マラソンのリベンジは何としても果たしたい。
イーブンペースは何となく僕のメンタルに合わないようで、最初から1キロ4分50秒台で、願わくば30キロくらいまでは飛ばしていこうという作戦だった。30キロ以降で動けなくなっても、前半の貯金で心に余裕があれば、何とか自己ベストに近いペースを展開できるはず。かなり楽観的な目論見だけど、そういう気概で臨むことが大事。

根拠、というか自信も無くはなかった。

2月はわりと仕事で走る時間を割けずにいたけれど、1月はけっこう走ることができた。
平日に頻度高く走ることができたし、週末は上り/下りもある林試の森公園を30キロ走ったりもした。
前回は寒さに負けたのもあるけど、後半勝負というプレッシャーが激しく僕のメンタルは蝕まれたのが惨敗の要因だ。やってきたことは間違っていない。大好きな京都という街、楽しみつつ、ガチで走ろうと心に決めていた。

スタートは9時。
昨年より30分遅くなったそうだが、寒い京都での【待ち時間】はキツかった。

スタートとフィニッシュの場所が異なり、預けた荷物はフィニッシュ地点に輸送される仕組み。
スタートの45分前に荷物受け取りは締め切られるため、レース前の寒さ対策を講じなければならなかった。地味だけど、けっこうキツい。

でも走り出すと、天気が素晴らしく良く。暑いくらいの陽気だった。
最初の頃は、スピードも出るので体感温度が高くなりがちだけど、日も差して汗が流れ出す。

最初の1キロは5分30秒弱くらいだったが、2キロ目は4分50秒台に。
かなりのペースアップでフィジカルが心配になる。だけど、かなり身体が動いている感覚があったので、当初のプラン通りに行けるのではないかとスピードを落とさずに走り続けた。

ちなみに今回のレース、ゼッケンに自分のニックネームが印字されているタイプのものだった。
ニックネームを入れるか入れないかは任意だったよう(記憶が定かではない)。だけど入れていない人の方が多かった。
もちろん僕は「ほりそう」というニックネームを胸に走っていたんだけど、沿道から「ほりそう、頑張ってー」みたいな声援が多く飛んできて嬉しかった。

フルマラソンを毎回走るたびに思うが、沿道の声援やボランティアの声掛けに助けられることはめちゃくちゃ多い。
今回は僕の名前を呼んでくれたので、いつもよりも元気を貰えた(ハッスルした)ような気がします。ハッスルし過ぎて、ペースは上り調子になってしまった感も良い意味で否めないが。京都の人は、ほんま温かかった。おおきに!

中間地点を過ぎると、短距離間で50メートルの【高さ】を駆け登る急坂に突入する。
中間地点のタイムは1時間42分。ハーフマラソンとそれほど変わらないペースで駆けてきたので、この急坂は体力をかなり奪ったことだろう。
事前にコースに目を通していなかったら、この坂が延々続くのではないかと心が折れてしまっていたかもしれない。改めて事前に高低差図をチェックする必要性を感じる。

だけど、気持ち的にはそれほど大変ではなかった。
知らず知らず身体は悲鳴を上げているものだけれど、少なくとも心は揺らがなかったし、気持ち良いくらいだった。給食として生八つ橋が出てきてきたのも京都らしい。美味しくいただきました。笑

フィジカルが悲鳴を上げ、メンタルに余裕がなくなったのは30〜35キロのあたりだ。
2〜3時間というのは鬼門で、ここでしっかり走り切るというのが僕のテーマなんだけど、30〜35キロはその後半部分に該当する。
コースで言うと、賀茂川沿いの土手?を走る辺りなんだけど、一部区間の地面が【土】だったのだ。前日に雨が振っていて、地面は柔らかくなっている。泥状にはなっていないが、踏みしめるたびに力が下方に伝わり過ぎて、上下動がスムーズにいかなかった。踏ん張りが効かないのだ。

35キロ過ぎはコンクリートに移ったが、しばらく脚が言うことを効かなかった。
また今レースの唯一のミスが【朝食】。あまり上手く摂れず、空腹を感じてしまったのだ。35キロ過ぎてから、急に。給水や給食で慌てて腹に物を入れたが、それが力になるには時間が掛かる。焼け石に水だった。

これらのことで身体はバランスを崩した。首の左側のあたりが痺れるようになってきて、35〜40キロは31分10秒。大幅に減速してしまった。
走っていて気付いたけれど、微妙な【上り】という点も心憎い。折り返してからの【下り】で、改めて走れるようになったのだが、ここのロスは大きかった。ここが26分台でキープできていれば、サブ3.5に肉薄していた。改善はしただろうが、まだ体力不足と言えるだろう。

ゴールした後は、全身に【痛み】を感じた。
でも、フルマラソンを走り始めたときのような、尾を引くような【痛み】ではない。階段も、ゆるりと登ることができる。
年数を経て、【走る身体】になってきたということだろう。

実際、このタフなコースを、90%程度はプラン通りに展開できた満足感もある。
自分が強くなったところ、まだ弱いところを知ることができた気がしたし、何より京都の風は気持ち良かった。また走りたいと強く思った。
総じて、楽しいレースだった。

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さて、次は3月16日の「第2回サンスポ古河はなももマラソン」。
昨年はこの大会で自己ベストの3:34:37を叩き出すことができた、思い出深いレースだ。
ただし後半のRAPがかなり悪く、ここが伸びしろだとも思っていた。

その課題が完全にクリア出来たわけではない。
けれど、京都マラソンという高低差のあるコースで、35キロまでは良いペースで走り抜くことができたのは自信になった。
どうなるかは分からない。雨や風に苦しめられるかもしれないし、肉離れで棄権を余儀なくされる可能性もある。

でも、やはり目標は高く持ちたい。次のレースは自己ベストを更新、そしてタイムも【3時間半】切りを目指す。
なかなか最近天気が悪くて、走れない日も続いているけれど、その日までに出来る準備はしていければと思う。

代田昭久『校長という仕事』読了

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僕が教育系の仕事を始めて、早いもので1年が過ぎた。

仕事の関係で、各地の学校を訪問するため、先生に会う機会も多い。時には校長先生と直接話すことさえある。
若輩者の私と、威厳のある佇まいの校長先生。対面での打ち合わせは今でも緊張するけれど、校長先生の幅広い知見や深い教養はいつも勉強になる。何より、生徒のことを真剣に考えていらっしゃるので、話を聴いていても楽しい。「楽しい」なんて不謹慎かもしれないが、熱意のシャワーとも言うべき「熱さ」はとても心地良いものだ。

そんな校長先生だが、具体的にどんな仕事をしているのか。
知っているようで知らない。知られていない。

知られざる校長先生の仕事を、元リクルート、IT会社を立ち上げた経験を持つ代田昭久氏が丹念に書き上げているのが本書だ。

私が本書を知ったのは、佐賀県武雄市の樋渡市長のブログだ。

(中略)苦労を交えながら校長という仕事を詳細かつ客観的に紹介する。生徒、保護者、教員、教育委員会、地域といった様々な人々からなる「学校」を舞台に日々起こる問題。これらにどのように対処していったのか。本書からは、保護者とも教員とも違った視点で、丁寧に一つ一つ解決を図っていった、「校長」ならではの苦渋、労苦を見て取ることができる。その上で、校長の激務を筆者が「素敵な校長の仕事」(はじめに)と紹介できるのは、5年間に注いだ日々の情熱と愛情、そしてその確かな手応えゆえであろう。本書は、こうした「校長」の日常のほかに「学校現場」といういわばフロンティアに、経営やマネジメントの考え方、手法を導入することで改革を進めていった過程を具体的に紹介する。

マネジメントの考え方を、学校経営に。

各地で民間校長に採用された方は、マネジメントの手法を熟知されており、学校経営においても「抜本的改革」が期待されている。しかしながら民間校長という仕組み自体に否定的な声も少なくない。

岐路に立つ横浜市の民間人校長 4年連続不採用 現場で高評価の一方、根強い慎重論

私自身はロジカルに意思決定できるマネジメントの手法は、どんな分野にも通用するのではないかと、わりと合理的に考えている。
だけど、それが上手くいく事例と、そうでない事例があるのも事実だ。何が違うのだろう、結局本人の資質なのかと漠然と考えていた。

著者が5年間務めた学校は、学力向上や生徒数増加に貢献するなど、目に見えた成果が現れた好例、つまり上手くいった事例である。
樋渡市長もブログに書いていたが、関係者に対して丁寧に接して、問題を1つ1つ解決していったのが何よりの成功要因だろう。マネジメントの手法は、あくまでツールの1つ。それが目的なわけではないということ。

何だか、立場は違えど、今の自分への戒めのようにも感じてしまった。


「お客様のクレームを機会と捉えろ」という顧客視点を持って、保護者に対して接しながら、生徒、保護者、教員など全ての関係者の信頼構築に努めるあたりは、まさに学校の司令塔としてバランス感覚があるなあと感心してしまった。
言葉では簡単だが、なかなかそこまで、一歩引いた視点でクレーム対応には臨めないものだ。

そして、一番印象に残った点。

「戦略とは、何をやらないかを決めることである」。これは、アメリカの経営学者マイケル・ポーターの言葉です。また、マネジメントの神様、ピーター・ドラッカーが経営者の条件で強調しているのは、「優先」順位でなく、「劣後」順位をつけること。つまり、やりたいことは常にあるけれど、経営資源や時間は限られており、成果を挙げるためには、切り捨てていく判断こそが大事なのだ、という教えです。教員の忙しさを解消するには、思い切って何かをやめなければ、と思いました。

その後、具体例が挙げられるわけだが、一番の味方であるはずの副校長と意見の相違が見られた中で、きっちりリーダーシップを取って成果に繋げた一連のプロセスは、見習う点が多いと感じた。

また、学校は成果の「検証」が難しい。
そのあたりのもどかしさは、本書の中にたびたび見られる。
だが、本書全体がロジカルだが、とても温かい表現で描かれているので、「ああ、和田中学校って良い学校なんだなあ」と印象づけられる。

ICT活用など、公立中学校としては先進的な取り組みが多く、研究対象として見学も多いとのことなので、機会を見つけて訪問できればなと思う。

改めてですが、良書でした。

そんな和田中学校のホームページはこちら
しっかり独自ドメインも取っているし、何よりもUIがとても計算されていて、情報が見やすい。ファーストビューで知りたい情報が一覧化されている。

著書では月間17,000人のユニークユーザ(UU)がいるらしい。ウェブに詳しい人なら分かると思うが、たかだか中学校で、これだけのUUがいるとは俄に信じ難い。それほど内外、特に外部からの注目度が高いのであろう。そんな中、スマートフォン対応されていないのは少々残念だが、それもいずれ対応していくだろう。

試しに、自分の出身の中学校のホームページを見てみたが・・・。お世辞にも見やすいとは言えない。というか、トップページ以降のページに「ホームに戻る」リンクくらいあっても良さそうなものだが。でも、一般の公立中学校などそんなもので、ウェブサイトを活用しての情報発信には未だ課題が残る。

この他にも、ウェブサイトを眺めていると残念な点がたくさん浮かんでくる。そう言えば出身中学の校長先生は、僕が野球部在籍時代の監督を務めていた方でした。ということで怒られるような気もしますので笑、本エントリはこの辺で筆を置きます。