The Rifles「None the Wiser」を買った

本当に好きなアーティストというのは、もう宿命的に好きなのだ。
という書き出しは何となく既視感を覚えるが、誰にとってもフェイバリット・バンドや、フェイバリット・アーティストがいると思う。

村上春樹にとっての、ビーチボーイズやザ・ドアーズやローリング・ストーンズのように。
ある種の人たちにとっての、フリッパーズギターのように。

今でも新しい音楽を聴くたび、身体が疼くような興奮を禁じ得ないことがある。
2013年で言えば、グラミー賞を授賞したDaft Punkの「Random Access Memories」、スピッツが2年半ぶりに奏でた「小さな生き物」、Franz Ferdinandの「Right Thoughts, Right Words, Right Action」の3枚。何度も聴いた素晴らしい作品だった。
新しい音楽で言うと、邦楽ならシシド・カフカやクリープハイプ、MOP of HEAD。新たな潮流を感じさせる自由度の高い音楽を聴かせてくれた。洋楽ならば、何と言ってもアイルランド出身のThe Strypes。まだ高校生くらいの年齢にも関わらず、バリバリのロックンロールは痛快そのものだった。

だが、僕が20歳だったら。
もっと僕は暑苦しく音楽に興奮していたし、寝る間も惜しんでYouTube巡りをしていたと思う。

家庭は無いけれど、30歳を間近に控え、僕はそれなりの生活を営んでいる。
相変わらず考えていることは青いままだし、悩んだり迷ったりしているけれど、それなりに全うな時間の使い方をしていると思う。つまるところ、明日のことなど無視して音楽に耽るような時間の使い方はしなくなったということだ。同様に、女の子と遊ぶことばかり考えて携帯電話を弄っていることも無くなった。

ある意味で、20歳の頃に見たこと聞いたこと行動に移したことは、身体の中にすっかり染み込んでいる。「価値観」という手垢のついた言葉に逃げたくはないけれど、その頃に「良い」と思ったものは今も「良い」と思えるし、その頃に「悪い」と思ったものは(残念ながら)そのイメージを覆すことは難しい。

僕が20歳の頃に夢中で聴いた音楽は、邦楽であればBUMP OF CHICKENであり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONであり、スーパーカーであり、くるりであり、SPARTA LOCALSであり、BACK DROP BOMBであり、髭であり、奥田民生であり、GRAPEVINEだ。洋楽であればArctic Monkeysであり、ASHであり、THE KOOKSであり、JETであり、CSSであり、SIMIAN MOBILE DISCOであり、HADOUKEN!であり、TORTOISEであり、Digitalismであり、Metronomyであり、The Hollowaysであり、Keithであり、The Riflesだ。

まだ第一線で活躍している者、小さなステージで音楽を続けている者、音楽は続けているが裏方として再起を図った者、消失してしまったバンドなど実に様々だ。

だけど、その頃に、飽きずに聴いたメロディーラインやリズム、その時代の空気感は未だに僕の中で生き続けている。

先週、3枚目のアルバム「None the Wiser」を出したThe Rifles。
僕の無条件で大好きなバンドの1つだ。

イングランドを旅行したときに、ロンドンのアストリアというライブハウスで彼らのライブを観た。
2007年3月だったと思う。もう1ヶ月もすれば社会人、というタイミングでの一人旅だった。

2007年1月に彼らの音源「No Love Lost」を聴き、あっという間に彼らの音楽にハマってしまった。ギターボーカル、ギター、ベース、ドラムスの極めて普通なロック・バンドだ。凝った表現をするわけではない。思わずシンガロングしてしまうような、シンプルなメロディ。3分半の楽曲群。何が好きなのか、言葉にするのは意外に難しい。3枚のアルバムは、たぶん進化しているはずだけど、何も進化していないように見える。ライフルズは、ライフルズなのだ。

この記事で言いたいことは何か。
好きなものは大声で好きと言い続けていきたいし、忙しい最中だけど、できればしっかり好きなものを追いかけていきたい。

当たり前のことかもしれないけれど、
新しいアルバムが出たらお金を払うし、日本でツアーが組まれるならライブハウスに行くし、時々はTwitterやFacebookでリツイートやシェアをする。

当たり前のことだし、誰でもできることだけれど、何故か「しない」。
そんなことが多くなってきたような気がするけれど、それはやはり年齢のせいなのか。

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