Twitterのウィジェット生成機能をテストしてみる

Twitter、いつの間にこんな機能できたんだろう。
いや、見かけてたけど、こんなにサックリウィジェットを作れると思わなかった(「ウィジェット」て言葉、久しぶりに使ったな。。。)


ドゥフィ展に行ってきた

Bunkamuraで7月27日まで開催されているドゥフィ展に、ぎりぎりで行くことができた。

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僕が好きな画家って、ピカソとかゴッホとかウォーホルとか、色彩感覚に特徴のある人が多い。そのことに改めて気付かされたドゥフィ展だった。

評価されない時代はデザイナーとして、商業的な作品も制作していたドゥフィ。
年代順に作品を見ると、彼の作品がどんどん変遷していったのが分かる(そんな風に仕向けている感もあるけれど)。

絵画に関して僕は素人で、言葉を付け加えるたびに不適切な思いに駆られるのだけれど、日常と非日常の狭間を揺れるように描いていたドゥフィの作風には、とても心惹かれました。失礼ながら、あまり注目したことのない画家だけれど、意識して彼の作品に触れていければと思う。10月から開催される、「夢見るフランス絵画〜印象派からエコール・ド・パリへ〜」も楽しみです。

カメラトーク、セッション【小説】

『カメラトーク、セッション』

Ⅰ. ジャンク、意味のない落書き

 凡庸な私たちの毎日は無為無策の連続だ。
「違う」と否定する人間たちの生活と比較・参照したとしても、やはり大きな違いは無いだろうと私は思う。大なり小なり、私たちは平凡を追求している。私たちは平凡を愛し過ぎているのだから。
 未来のことは誰にも分からない。一秒先に繰り出そうとしている意思決定は、いずれ自分にとっての面倒となり、多かれ少なかれ、他人にとって迷惑を呼び起こす。些細な認識のズレが衝突を招く。けたたましく静謐とした世間の喧噪は、それらの集積だ。人間たちの呼吸の間隙を縫うように、私たちは居場所を探す。探せない者は影と同じだ。踏まれたが最期、永遠に眠る。

 物事の悪い部分だけ、私は見過ぎているのだろうか。
 私たちが住む世界にはたくさんの優しい人間がいて、時には温かい言葉で励まされることが確かにある。

 気楽にやろうよ。
 気楽にやれば、確かにどんなことでも前向きに捉えられるかもしれない。

 なるようになるさ。
 自然体で人間たちに接すれば、時間が問題を妥結に導いてくれるかもしれない。

 進路選択、就職、パートナー選び、天気予報、経済政策・・・。突然の雨に降られ、ろくでもない意思決定に振り回されることも、心意気できっとやり過ごせる。笑えないときでも口角を上げさえすれば良い。きっと誰かが何かを処理してくれるから、あなたは、タチの悪いロックンローラーに「大丈夫」と言ってもらえる。あなたはきっと、大丈夫。

 そんな人間はペテン師だ。金魚の餌にもなりはしない。禿げて死ねばいい。
 あまり快くない自己紹介かもしれないが、許してほしい。でも、これが私だ。

 ここまで。私は未来の不確からしさを述べたけれど、結局のところ、過去から現在に至るまでの自分自身の全過程を掌握しているわけではない。歴史観は曖昧だ。自分のことは自分が一番分かっているというのは出鱈目。暴かれる反証に怯えながら、私はひたすら現在を切り取ってきた。(そして闇に葬ってきた)
 この六年間、私は私を取り巻く事実を手帳に記してきた。事実だけを、なるべく簡潔に。付き合っていた恋人と別れる直前、ふと思い付いたことがきっかけで始まった、短い自分史。
 喜怒哀楽を極力排しながら。私の行ないを客観的に評価できるように。どの角度から見ても、完璧なメモになるように。メモはメモリーと結びつく。つまらないダジャレ。何も洒落ていない。でも、そういうことだ。

 そのメモから推察するに。私のことを愛した男性は、私の生きてきた二十九年間で四人いた。愛することは、関係を持つことと同義ではない。圧倒的な百パーセントの温度と意思と意欲で接するということだ。

 例えば、
 性行為のあいだに、ビートルズの音楽をかけないということ。

 例えば、
 感じさせるでなく、受け容れるために耳を舐めるということ。

 時には、
 優しさと一緒に、暴力を行使するということ。注:暴力は肉体や精神を傷つけるものとは限らない。

 それらを満たす愛には、なかなか巡り会うことはできない。

 私を愛した四人の男性と、私はこの先二度と会うことは無いだろう。
 (恋愛の始まりに理由はないが、恋愛の終りには理由がある)

 一番目の男は、ありきたりで凡庸な男だった。私の記憶から、いつ消えても可笑しくないほどに。
 毎回同じようなデートをして、同じような味のラーメンを食べて、同じような体位のセックスをした。当たり障りのない会話は、まるで微風のように、部屋のカーテンを揺らすだけ。彼は私のことを愛して、私は彼のことを愛さなかった。そんな関係は永く続かない。短くはない時間の中で得た、為にならない人生訓。

 最初のうち、彼は挨拶のように「好きだ」と私に言った。彼は私の左側に立つのが好きだった。右手で私の左手を握るのを常とした。右手で私の髪をくしゃくしゃにした。真っ直ぐ私の目を見つめ、何でもないようにキスをした。私は目を瞑り、明日の朝食は何を作ろうかと密かに考えていた。
 周囲には、蜜月のように見えていただろうか。二人を結びつけていたものは、あまりにプラクティカルなものだった。ギブアンドテイクのやり取りが為され、乱れのないリズムが刻まれていただけだった。交流していなかった。確実に二人の世界はそこにあったと思う。でも、その世界の中で一人ずつが孤立していた。非連続に訪れた偶然や必然は、すれ違いを露わにするだけだった。

 最期の頃、彼はマントラを唱えるように「愛している」と私の方に言った。じめじめとした湿り気が、私の可動域を小さくしていく。いつしか私たちの間は、重く巨大な回転扉で仕切られるようになった。気付けば、それは私たちの間にしっかりと根付いていた。ひゅうひゅうという不快な音が風を切り、生温い空流が渦巻いている。彼は、その内側をぐるぐると廻り続けていた。私にもそれを求めたが、かなり前から、私は別のボートに乗り込んでいた。回転扉に留まり続けた私は別人格、あるいは残像に過ぎなかった。そんな私をひとしきり抱いた後で、彼は泣いた。汚い言葉で私を罵り、涙が出るほどに乳房や腕や太腿をつねった。

 けれど結局のところ、彼は自らを壊しているだけだった。
 壊れていく彼を見るのは、気持ちの良いものでは無い。彼は本質的にまともな人間で、私たちと一緒にいることが不幸せにさせていたことは明白だった。そんな彼と一緒にいれば、否応無しにその崩壊を直視せざるをえない。関わらなければならない。致し方ない、それが残像の義務だ。
 カケラのような分銅が、一方の上皿天秤に積み上げられていく。残像(あるいは影)は、彼と同じ仄暗い穴倉に閉じ込められた。私たちの後方では、彼が不連続にのたうち回っている。私は泣かなかった。彼のことを罵りもしなかった。

 そうして。いつしか彼は、カバンにナイフを忍ばせるようになった。刃先は、私の生命を狙っていたのだと思う。身の危険を感じて逃げることも考えたが、彼に殺されることも悪くないように思えた。敢えて逃げたとしても、私たちに行き場は無かった。
 彼と会い、会話を交わすのは、私たちに与えられた唯一の義務だったのだ。会うたびに、その日彼が何度笑うかを記録した。その数が二桁から一桁に落込み、程なくしてカウンターは作動しなくなる。故障では無い。彼の眼孔から、鋭い光が止むこと無く放たれていた。ぶつぶつと何かを呟いていた。私は聞こえないフリをして、スマートフォンを弄っていた。落書きできないような黒い画像ばかり検索し、それを全部集めて東京湾に廃棄したらどうなるかを夢想した。

 彼に殺されるのを待っていたが、その瞬間は永遠に訪れなかった。ナイフは先に、彼の喉元を貫いた。

 浴室で血にまみれた彼は、かつて鮮やかだった紅葉がその役目を終たときのように、土色に変容していた。目は大きく見開かれ、私の方を睨みつけているように見えた。酢を思わせる尖った臭いが充満していた。信じたくは無かった。けれど、間違いなく彼から発せられているものだ。その異臭は、今も鼻に残る。

 私が殺した。殺したようなものだ。
 義務を果たせなかった。私のせいだったんだ。

 もはや彼がいなくなって六年の月日が流れた。記憶は徐々に平面的になり、細部は曖昧になっていく。事実だけが褪せずに存在し、鎖のように私の動きを制御する。

「私と一緒にいて楽しい?」
「楽しいよ。啓子のことが好きだからね」
「もし、私のことを嫌いになったらどうするの?」
「啓子を好きな気持ちがなくなったら、俺の生きてる意味なんて無いよ」

 彼がそんなことを言ったのを覚えている。誰も崩壊していなかった季節は、例年に比べ蒸し暑い夏だった。油蝉がひっきりなしに吠えていたけれど、気付かないフリをして、私は遅めの朝食を準備していた気がする。
 愛されていたことへの返礼は、同じような気持ちを言葉にして、彼に伝えたことだった。その罪も無い発言(意思決定)は、結果的に誤りだった。私にとって消えない傷であり、言うまでも無く、締め付ける痛みを伴っている。

 生きる意味なんて無い。でもそれは誰だって同じなんだ。
 それでも私には許されている。記憶を思い出として切り取ることは。

 良い思い出もあれば、悪い思い出もある。
 一方は胸に秘めたまま、一方は鴉のもとに。
 悪い思い出は鴉のもとに、生ゴミと一緒に放り投げよう。仮定の世界はいつだって便利だ。

 今だって、グーグルで彼の名前を検索すれば、ふらっと彼の顔面が投影される。情報社会の賜物だ。

「ねえ、でもそれは誰のため」

 それは、思い出したくもない相手から来た、読みたくもない手紙のようなもの。
 開封するかしないか、私に選択権があるのなら、もちろん私は開封しない。そんな手紙を既読にしたまま、私はこの先、上手く感情をコントロールできるだろうか。
 やはり、ここは、あまりに暴力的に無関心な世界だ。強制的に開封を迫られるケースが大半だ。
 逃げちゃ駄目だ。逃げれば抹殺されるようなペナルティを負うことになる。前進したとしても、表出されている重大なリスクの中に飛び込まなくてはならない。私に自由を、さもなくば死を与え給え。

 ああ、思い出したくもないし読みたくもない。
 一方だけの場合と比べて、不快感は倍以上になるかもしれない。あるいは幸運なことに、負の部分が相殺し合って、不快感が多少和らぐかもしれない。でも、正の値に転化することは殆ど無いはずだ。一般的にそれは、奇跡と呼ばれる類のものだから。

 奇跡、ミラクル、クリスマス。
 数学や論理で、世の中の全てを説明することは困難だ。整頓された公式を幾重にも振りかざし、円周率のような無理数を根気強くカウントし続ける。膨大な時間と、遂行する意思と体力が求められる。ただし証明の果てに、クエスチョンマークが漏れなく付与される。見える終りが、本当の終りか分からない。
 でも、それが残された私にとって、最初で最期のアサインメントなんだ。私だけに与えられたユニークID。存在証明を鳴らせ。解明に向けて、私は物語を立ち上げる。