[#86]今こそ『SNOOZER』を振り返る その1(2011年8月号)

snoozer #86

snoozer #86

■基礎情報
表紙
・くるり

ヘッドライン
・CLUB SNOOZER SUMMER TOUR
・TYLER, THE CREATOR
・HOTEL MEXICO
・BRIAN ENO
・CSS
・UNIT 7TH ANNIVERSARY FEAT. WIRE
・THE SOLOIST
・RADIOHEAD
・PRIMAL SCREAM(後半に掲載)
・野田努が田中宗一郎に訊く、スヌーザーの14年(後半に掲載)

インタビュー(前半)
・James BLAKE(田中宗一郎)
・THE HORRORS(小林祥晴)
・Bon IVER(岡村詩野)
・Black LIP(小林祥晴、田中宗一郎)
・Wu LYF(小林祥晴)
・Washed OUT(小林祥晴)
・THE BAWDIES(田中宗一郎)
・ロックブッダ(田中宗一郎)
・The MIRRAZ(田中宗一郎)
・踊ってばかりの国(岡村詩野)
・Atari Teenage Riot(唐沢真佐子)
・Brother(田中宗一郎)
・Dagitalism(小林祥晴)
・Battles(田中宗一郎)
・Kaiser CHIEFS(小林祥晴)
・Turntable FILMS(田中宗一郎)
・くるり(田中宗一郎)

インタビュー(後半)
・the naked and famous(小林祥晴)
・das pop(田中亮太)
・miles kane(妹沢奈美)
・skeletons(小野島大)
・mona(小林祥晴)

RECORDING reviews
・andymori『革命』(田中亮太、岡村詩野、田中宗一郎)
・ウォッシュト・アウト『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』(田中宗一郎、野田努)
・ザ・ホラーズ『スカイング』(坂本麻里子、野田努)
・CSS『ラ・リベラシオン』(田中宗一郎)
・ボン・イヴェール『ボン・イヴェール』(坂本麻里子)
・ブラック・リップス『アラビア・マウンテン』(田中亮太)
・マイ・モーニング・ジャケット『サーキタル』(坂本麻里子) etc…

その他
「野田努が田中宗一郎に訊く、スヌーザーの14年」は、あとがきである「すべてのブルーにこんがらがったベットルームのために」まで侵食して綴られている。

■SNOOZER#86を読んで…
プロダクトアウトか、マーケットインか
#86の基礎情報をざっと眺めるだけで、改めて雑誌というメディアの情報量の膨大さに気付く。
読者にとって一覧性という価値がある一方、全184ページのそれは決してユーザフレンドリではない。邦楽ファンは、くるりやTHE BAWDIESのインタビューを見て「終わり」になる可能性があるということだ。ロッキング・オンがTwitterアカウントを洋楽邦楽で分けたように、日本の音楽ファンの関心は二分している。

今の洋楽の現状は嘆かわしいとしか言いようがないですね。まず、聴く人が減っている。それはリスナーを導く「入り口」がなくなっているからです。かつては洋楽を専門に紹介するようなラジオメディアがあった。今はそんな番組はほとんどないし、ラジオのリスナー自体も減っている。洋楽に触れるチャンスがなければファンが増えるはずがない。
http://musicsommelier.jp/interview/interviewonuki.html

(以下安直だが)マーケティングの観点であれば、邦楽ファンに媚びるなら邦楽コンテンツを増やせば良いし、洋楽ファンに媚びるなら熱心な音楽ファンが聴くアーティストを取り上げれば良い。プロダクトアウトで「ものづくり」をする時代は終わった。マーケットインを徹底すれば売り上げが伸び、雑誌は休刊しなくて良い。良いこと尽くめではないか。

でも、田中宗一郎(以下:タナソウ)は、その道を選ばなかった。

野田努との対談で『SNOOZER』を創刊した理由と共に、断片的に理由を語っている。

(野田努の「大衆性みたいなところに不満を覚えてたじゃない。やっぱり細分化ってところでさ」の発言を受けて)『スヌーザー』が終わることと一番関係があるんだとすれば、そこだよね。俺は、雑誌っていうのはあくまで不特定多数の読者の持ちものであって、その帰属意識に訴えかけるものなんだと思ってた。でも、それって、前提として、ある種の大衆性が一夜にして生まれ得る可能性というのがひつようなわけじゃない。それが失われていく、分断化されていく時に、雑誌が読者の持ちものじゃなく、自分の持ちものになっていく。でも、単に一方通行的に自分のメッセージを投げかけるものになったら、それは『スヌーザー』でなはなくなってしまう。『君達が無意識下で待っていたのはレディオヘッドだよね?ストロークスだよね?』ってことをやるのが、『スヌーザー』の目的だと思ってたから。でさ、創刊号作ったわけよ。したら、1000枚近いハガキが来た。『待ってた!!!』っていう。

SNOOZERが復刊しない現状、the sign magazineを脈々と運営していることを鑑みると、雑誌という「メディア」は諦めるが、タナソウを始め編集部の「意思」が決して廃れていないことを感じる。

 
SNOOZERの「意思」とは?
野田努とのインタビューには、その答えとなりそうな事柄が書かれている。
敢えて遠回りに、その「意思」のかけらを探そうと思う。

SNOOZER#86では、インタビュアーがこのような問いをアーティストに投げ掛ける。

あなたにとってこのアルバムは、一番何をリプリゼントしていると思いますか?
「ホラーズというバンドにとっての、大きなステップをリプリゼントしていると思うんだ。(中略)本当に、いろんな可能性のドアが開かれたんだ。それに、僕らは他のバンドがやろうとしないことがやれるバンドなんだ、っていう強いメッセージを伝えるレコードだとも思う。
(interview with SPIDER WEBB from The Horrors)

このアルバムであなたは何をオファーしようとしているのでしょうか?
「アメリカ音楽の財産について語るのは、興味深いね。今は変な時代だと思うんだ。60年代を振り返ると、ローリング・ストーンがいて、ビートルズがいて……ま、どっちもイギリスのバンドだけど(笑)。とにかく、ああいった音楽ムーヴメントがあったわけだよね。でも今の音楽の流れを見ると、もうあんなインパクトを一つのものが与えられるとは思えなくて。(中略)今は、『コミュニティの強さが自分の強さであり、同時に人は、そのコミュニティの中で強い個人でなければならない』ってことを理解するべき時代なんじゃないかな。僕が音楽で表現したいのはそこなんだ」
(interview with Bon Iver)

あなたから見て、理想のポップ・ソングとは?理想のポップ・ソングにはどんな要素が必要だと思いますか?
「かなり難しい質問ね。素晴らしいポップ・ソングがたくさんありすぎるし、それを構成する要素も数え切れないほどあるから、1曲には絞れないな。聴いた途端に感情が伝わってくるもの、普遍的な感情に語りかけてくるものじゃないかな。私は聴いてて、どこか懐かしくなるような音楽が好きなんだけど(中略)」
(interview with ALISA XAYALITH from the naked and famous)

アーティストに対して、「(曲やバンドが)リプリゼントしているのは何か」、「ポップソングとは何か」、「(聴衆に)オファーしたいことは?」と問う意味は何だろうか。
Bon Iverのインタビューでは、60年代のムーヴメントの言及があった。作品を時代毎の「点」として表現するのでなく、過去から現在にかけて「線」の中でポジショニングさせるという意図があるのではないかと思う。

くるりとのインタビューで、フロントマンの岸田繁は、新メンバーの吉田省念(2013年4月まで在籍)の印象を次のように話している。

「『90年代のものって聴いてないやろ』って。そしたら、まったく聴いてない。通ってない。世代は近いのに。オアシスの何が素晴らしかったか、っていうことを、俺は力説して。それはビートルズとか、ローリング・ストーンズとか、フーとか、その辺の人達が歪まへんギターで、なんとかコーラスを積んだりとか、ベースの人がメロディっぽいことを弾いたりとか、いろいろやって、(中略)俺らは聴いたから、そういうもんやと思って、爆音 で”虹”とかやってる。『だから貸すよ、90年代の』って」

 
参照マニアのタナソウ
投稿プラットフォームサービス・note「くるりの一回転」(タナソウが執筆)の第4段落でも「積極的に過去の音楽を参照しようとするアティチュード」が語られている。

椎名林檎、aikoなど、いわゆるJ-POPのアーティストも挙げている。椎名林檎は60~70年代の歌謡曲+40年代のスウィング・ジャズ/ジャズ・ヴォーカルを、aikoはキャロル・キングを。aikoの音楽ファンでさえ、どれくらいキャロル・キングの影響を感じているだろうか。

そう、SNOOZERでは、アーティストのインタビュー内に、頻繁に過去の音楽のことが言及されている。
これはどの雑誌にも共通することではない。複数のインタビュアーが意図的に行なったことだと推察されるし、つまりSNOOZERの編集意図なわけだ。

冒頭のプロダクトアウトかマーケットインか、という話に戻る。
「この音楽は参照が多いんだ、素晴らしい、お金を出してCDを買ってみよう」というストーリーが描かれることはないだろう。マーケティング戦略として成立しないことを意味する。

 
タナソウは嘘つきか
アンサー:タナソウは嘘つきだ。
#86でもたびたび記述のある「メディアガイド」について。3年以上経った今でも、1冊たりとも発売されていない。タナソウのTwitterなどで本件に関する言及はあったかもしれない(『リトルモア』のウェブサイトには特に言及はない)。僕は待っていたし、そういう元読者は多いだろう。

僕の記憶だと、タナソウは過去にも大風呂敷を広げたことが多かったように思う。
「もうクラクソンズしか愛せない」(#59)と言ったはずなのに、田中宗一郎の「生涯ベスト・ソング11」には含まれていない。それはおろか、SNOOZER発刊以降の音楽が1つも含まれていない。Radioheadの「Lift」は発表すらされていない。

ただ、そもそも「嘘」とは何だろうか。
「嘘」、「幻想」、「虚構」、「フィクション」など類義語がある。単体ではポジティヴにもネガティヴにも振り切らない。
タナソウの成否は保留する。そもそもタナソウの功罪を露わにする旅ではない。

 
3.11以降の音楽
視点を変えて。RECORDING reviewsにて、磯部涼が書いた中川敬「街道筋の着地しないブルース」に3.11の言及があった。

3.11以後、歌が違って聞こえるようになったという人は多いと思う。筆者がそれをはっきりと認識したのは、3月15日に自分のオーガナイズで七尾旅人にライヴをやってもらった時だった。(中略)中川敬の弾き語りによるソロ・アルバムも同様である。石田正隆のライナーノーツによると、3.11以前に録音された曲が大半だというのに、今、聴くからには、どうしたって震災のイメージから逃れることは出来ない。

#86でSNOOZERは終わってしまったので、震災以降の音楽が語られるのはこの号限りである(2011年8月号だが、発売されたのは2011年6月18日)。くるりも社会的意義を考えたと苦悩していたし、タナソウは「音楽で社会は変えられない」と開き直っている。

何が言いたいかというと、音楽は社会と関連付けられている。
音楽をはじめとするクリエイティヴは人々の感情を揺らす。社会と切っても切れない関係にあることは、ある意味当然のことなのかもしれない。

SNOOZERの歴史を読み解くということは、1997年まで遡るということだ。9.11もリーマンショックも戦争もiPodにも関わりがある。もしかしたら神戸の震災や、地下鉄サリン事件にインパクトを受けたアーティストもいるかもしれない。これらの「事件」を改めて考えるきっかけになるだろう。

 
僕が再会した音楽
この振り返りを通じて、僕が再会した音楽をリスト化しようと思う。
「再会」と書いたが、初めて聴いた音楽も含んでいる(というか初めての音楽の方が多い)。

旅を通じて、たくさんの音楽に再会できますように。

Hotel Mexico「Dear Les Friends」

The Beatles「Tomorrow Never Knows」

Carole King「You’ve got a friend」

Radiohead「Lift」

■補足
バージョン
1.1

追記情報
・「SNOOZER#86を読んで…」にて大幅に加筆(下書きした内容がゴッソリ抜け落ちていました)

言葉、ことば(2014年10〜12月)

これから四半期ごとに、僕がEvernoteにメモしている「言葉」についてポストしたいと思います。
印象に残ったこと、役に立ったこと、初めて見聞きしたことなどを、今年の10月からEvernoteに記録するようになりました。その中から幾つかピックアップし紹介します。

言葉って不思議です。言葉だけでは意味を持ちません。
受け手の解釈が重要で、そこから意味あるいは価値が発生します。
僕にとって重要だった言葉が、あなたにとって重要だと思いません。その逆も然り。
あるいは僕にとって重要だった言葉が、あなたにとって人生を変えるくらい重要である可能性もあるわけです。

1. 2014/10/1
坪田知己さんのFacebookポスト「自分を捨てるな」
参考URL:https://www.facebook.com/tomomi.tsubota.1/posts/514521045317268

私は、「物書き」です。そのために、いつも筆記用具と本を携帯しています。大事なことを聴いたらメモします。「いい言葉」もメモしています。その場でメモしないと忘れるからです。私の教え子の数人は、お酒を飲んでる時でも、本の名前や気になる言葉が出てきたら、さっとメモ帳を開きます。「恥ずかしい」「カッコ悪い」とかでそれをしない人との間には大きな差が付きます。そういう「メモする子」は必ず大成します。恥ずかしがらないでください。

インターネットサービスが当たり前のように使われて久しいですが、随分とフロー型のサービスが多くなったように感じます。情報や言葉が氾濫する中で、記憶しておきたい言葉を「残す」ようにしました。Evernoteと併用することをお勧めします。
坪田知己さんは大学時代の恩師。僕がこの習慣を始めたきっかけになった言葉です。参考URLの本文はもう少し長文が掲載されていますが、坪田さんの魂のこもったメッセージに心打たれます。お時間あれば是非お読みください。

 

2. 2014/12/7
沢木耕太郎『旅する力―深夜特急ノート』(P206-207)

(小学館の編集者、白井勝也さんの言葉で)私がもっとも強い印象を受けたのは、マンガの世界はアクションからリアクションの時代に入った、という言葉だった。
それは、主人公が試合を通してスポーツの頂点を目指したり、恋愛を暴力や事件とからめながら展開させていく作品から、微妙な感情の揺れや些細な出来事を通して人物を描いていくマンガへの変化を予告する言葉だった。

(中略)

重要なのはアクションではなくリアクションだというのは、紀行文でも同じなのではないだろうか。どんなに珍しい旅をしようと、その珍しさに頼っているような紀行文はあまり面白くない。しかし、たとえ、どんなにささやかな旅であっても、その人が訪れた土地やそこに住む人との関わりをどのように受け止めたか、反応したかがこまやかに書かれているものは面白い。たぶん、紀行文も、生き生きとしたリアクションこそが必要なのだろう。

アクション的観点の世界はアニメの「ドラゴンボール」、リアクション的観点の世界は映画の「ゆれる」かなと、勝手ながら感じました。どちらも好きなのですが、後者の視点が丁寧に描かれている作品にハズレはない気がします。

 

3. 2014/12/14
博多大吉、THE MANZAI2014のコンビ紹介VTRにて

25年漫才をやってきて、漫才は人柄(にん)なんだなということが、ようやく分かってきた。華丸さんが言うから面白い、華丸さんが言うから笑う。無理して設定を考えたり、ボケなくても良い

THE MANZAI2014で優勝したのは、ベテラン漫才コンビの博多華丸・大吉でした。
若手が多い中、彼らの人柄を生かした味のある漫才が評価されたものと思われます(個人的には和牛が良かった)。優勝した分、この言葉に価値が生まれました。「笑う」というのは感情の発露の結果ですし、「情」が絡む以上、芸人の内面的要素がとても重要なのは納得です。それは我々のような一般人にとって、あらゆる場面で同様なのかもしれません。

 

4. 2014/12/27
橘玲「風俗嬢にもなれない「最貧困女子」問題の解決法とは?:世界投資見聞録」 参考URL:http://diamond.jp/articles/-/63557

ひとは人的資本、金融資本、社会資本から“富”を得ている。人的資本は働いてお金を稼ぐ能力、金融資本は(不動産を含めた)財産、社会資本は家族や友だちのネットワークだ。この3つの資本の合計が一定値を超えていれば、ひとは自分を「貧困」とは意識しない。

(中略)

いったん友だちネットワークから排除されてしまうと、地元にいても面白くない。こうして学校を卒業すると(あるいは中退して)東京や大阪などの大都市を目指すのだが、そのときじゅうぶんな人的資本か金融資本を持っていないと、(社会資本は地元に捨ててきたのだから)すべてをかき集めてもほとんど「資本」を持たない状態になってしまう。これが「貧困」だ。

医療が発達した現代は、昔よりも人々が「不安」に感じることが増えたそうです。
「豊かさ」についても利便性が高まった現代に、それほど実感を持てない人々が少なくないことは想像できるわけで、この記事は色々考えさせられました。

振り返ると、それ以前に自分の中に残ってる言葉って本当に少ないなと。
ズタボロに怒られたり、よほど嬉しかったことだったり、何か感情を揺さぶられたりということ以外は容易に思い出せない。私の引き出し、それほど豊かにクリエイティヴなことは詰まっていませんが、フレキシブルに出し入れができるよう思考の整理はしておきたい。このやり方は非常に便利だなと改めて思いました。

今こそ『SNOOZER』を振り返る(連載企画) 実施にあたって

Music Magazine, snoozer

Music Magazine, snoozer

2014年12月8日(日)。

一大決心、とは言い過ぎだけど、僕は「荷物」を少なくしようと決めた。
猥雑なほどに、僕はあまりに多くの荷物を持ち過ぎていた。

「誰だって重い荷物は好きじゃないさ。でも気がついたときは重い荷物だらけだ。それが人生だ。セラヴィ」
フィンランドのタクシー運転手に、楽しげに笑われてしまうくらいに。

僕の荷物の中で、大きな割合を占めているのが、書物、雑誌、CDだ。
いずれもデジタルデータに置き換えることができるもの。しかしながら、そのうち書物は、CDのようにデジタルデータとして簡単にコピーできない。「自炊」専用と言われるスキャンマシンが必要だ。いずれ技術が追いつけば、書物を容易にデジタルに変換できるかもしれない。捨てるのはそれからでも良いではないか。

だから僕は、まずCDを捨てた。
その後で、雑誌を捨てることに決めた。雑誌は基本的に「残す」ために作られたものではない。その時々で発生している旬の物事を編集しているもの。雑誌が好きだった僕にとって、些かの躊躇いはあったが、「荷物」は捨てないとmobilityが低くなる。

ブックオフに持ち込むことはしたくない。
「荷物」とは言え、とても大切にしていたものだ。それを売り飛ばすようなことはしたくない。
「荷物」だって、完全に処分されるよりは、売り飛ばされて誰かの元で活用された方が嬉しいかもしれない。でも、売り飛ばさない。顔の知れない第三者に、かつて僕の所有していた「荷物」は譲らない。一度そのような「手軽さ」「安直さ」を選択したならば、僕はそのサイクルから抜け出せなくなるだろう。

要らなくなった荷物は売り飛ばせ。
そんな考え方、在り方は間違っていると思う。

だいぶ御託を並べたが(御託を並べるのが僕の人生だ)、
僕は約40冊を占める、音楽雑誌『SNOOZER』を捨てることにした。2011年8月号で廃刊になった音楽雑誌。
かつて『ロッキング・オン』、『Remix』、『CROSSBEAT』などと並んで、音楽ファンに影響を与えた音楽雑誌。僕自身『SNOOZER』を読んで、興味を持ったバンドやアーティストがたくさんあった。熱心に音楽を聴いた僕の20代、『SNOOZER』は僕にとって欠かすことのできないパートナーだった。起点になっていた、女の子を紹介してくれる世話好きな友達みたいな存在として。

僕は音楽業界の人間ではない。
ただの素人の音楽ファンに過ぎない。アコースティック・ギターだって、ろくに弾けやしない。
でも、そんな素人の音楽ファンであっても、かつて音楽雑誌が役割を持っていたことを実感している。
「音楽を正しく批評し、価値を伝播し、リスナーに対して聴くべき音楽へ対価を払わせる」という、音楽雑誌が担うべきだった役割。音楽雑誌は媒体として、リスナーとアーティストを繋げる役割を担っていた。

今、「音楽を聴く」という行為は大きく変容したと思う。
具体的には、音楽を聴くことに対して対価を払うことに対して、様々な見解が生まれたということだ。
インターネット産業が成熟期に入り、デジタル環境の中で「ほぼ無料」で音楽を聴くことができるようになった。僕自身、しばらくの間、リッピング目的以外でコンパクトディスクに手を触れることはなくなっていた。デジタルデータに頼り、クラウドサービスの恩恵に預かり、結果として払うべき対価を惜しむようになった。最後にタワレコに行ったのはいつだろう。とっくに引き換え期限を過ぎたポイントカードは、そっとゴミ箱に捨てた。

聴き方だけではない。新しい音楽への出会い方も。
Amazonのレビューなど匿名コミュニティ内における評価や、身近な友人や家族からのレコメンドを僕らは参考にするようになった。マスメディアからのプロモーションを信頼しなくなった。温かくクローズドなコミュニティでストーリーが完結するようになった。僕たちは「何か」を求めて冒険することは減った。堅実になった。これらが一概に言えるとは思っていないけれど、この所感は60%くらいは正しいのではないだろうか。「出会う」ことがハプニングではなくなった。「出会う」ことは既成事実の中で行なわれ、その関係性も穏やかに前進していく。

僕だって、かつて生き甲斐だった音楽への出会いに対して、最近は目立ってパッシブになっている。
そこに時間を費やすことに対して、些か面倒な気持ちを抱くようになる。radiko流していて、「面白い音楽だな」と思っても、わざわざアーティスト名を確認することはしない。そしてiPodで繰り返し聴く音楽は、2000年代の音楽が殆どだ。

50歳になることなんて想像はつかないけれど、たぶん50歳になっても(2030年代だ)、僕は2000年代の音楽を聴き続けるのではないか。平穏無事な音楽ライフ。

僕は数年ぶりに『SNOOZER』を手に取った。

#86の最終号は3年前に発刊され、暫くの間、押入れのダンボールの中に閉じ込められていた。
表紙のくるりが(くるりの表紙が)、若干ザラついている。ちょうど彼らが2枚目のベストアルバムをリリースし、そして5人編成のロックバンドとして再始動を果たすタイミングで。『SNOOZER』の編集長である田中宗一郎(以下タナソウ)が愛したロックバンド、最終号の表紙に選ばれた理由が今なお褪せずに感じさせる。

僕は本当に久しぶりに、『SNOOZER』を“ちゃんと”読んだ。
紙に刻まれた一言一句が懐かしかった。アーティストとタナソウの双方が、茨の道を切り拓こうとする意欲が溢れている。時々、どちらがインタビュアーなのか分からなくなることもあった。
商業的に成功しているアーティストも、そうでないアーティストも雑誌でフィーチャーされている。だが、そこに断絶はない、共通項で括られる「何か」があった。

「俺は今まで『SNOOZER』の何を読んできたのだろう」
「俺は結局、『SNOOZER』から何を学んだのだろう」

メディアとレーベルが拵えた与太話ではない。僕と違う世界で生きる人々のお花畑でもない。
「何か」自分事にしなければならないような、そんな予感(仮説)が胸を過ぎった。「何か」答えがあるのではないか。

たくさんのバンドやアーティストが、『SNOOZER』廃刊後に、音楽の表舞台から姿を消した。
一時代を築いた「ブーム」なる現象も、寂しげな痕跡が残るだけ。

Keith、THE BEACHES、The Holloways、LCD Soundsystem、The Rapture、andymori、テムズビート、UKインディ。

時代が変われば、音楽も変わる。
時代が変われば、リスナーも変わる。

ただし、時代が変わっても、
音楽を愛する人たちは変わらずに存在し続ける。
僕が知らないだけで、たくさんの新しく素晴らしい音楽が生まれてきたのだと思う。
それが僕自身の推測の域を超えないのは、僕が自ら招いた無知と無関心の顛末だ。

僕は天邪鬼だ。
何故か「新しい音楽をキャッチアップしていこう」とは思わなかった。
Back to the Future. 僕は2011年から過去にスリップしていきたいと思った。過去にこそ答えがある、そんな予感。

具体的に。
これから時間をかけて、僕は各号の『SNOOZER』を読み直します。頭からケツまで、誠実に丁寧に。そして、それぞれの号で、何が書かれていたかを振り返り、このブログにエントリしていく。
最終号である#86を起点に、#1まで遡る旅だ。過去に向けての旅。Back to the Future. (ちなみに僕は#48以前の号を持っていません)

何度も言うけど、言い訳がましくても構わないけど、俺はただの素人。一介の音楽ファンに過ぎない。
音楽の歴史に関する知識もないし、楽器の音を聴き分けられる音感もないし、アーティストやレコード会社とのコネクションだってもちろん、ない。
変なこと書いて、どこぞの誰かに怒られる筋合いはない。全てが妄想だ。何ならこの企画からフィクションでも産み出してやろう。

『SNOOZER』のあとがき、
タイトルは「すべてのブルーにこんがらがったベットルームのために」。

タナソウが思い思いのことを書いているわけど(絶対にシラフじゃないよな)、結構勢いがあって僕は好きだった。
タナソウの文体に、何だかんだで惹きつけらてたんだよな。今読むと、ただの自己満足のナルシストやんけ!

それに倣うわけじゃないけれど、ムダに気障なことを、このエントリの最後に俺も言いたい。
俺はこれから過去に向かって長い旅に出るよ。僕が旅に出る理由はだいたい100個くらいあって、そのうちの1つが音楽への回帰なのだ。

祖父との約束

12月10日、祖父が亡くなった。
週末にかけて葬儀を執り行なった。
準備に奔走したのは、祖父の息子・娘である叔父夫婦と両親。何ら準備の力になることは出来なかったけれど、亡くなったその日から葬儀まで、ずっと近くで立ち会うことができた。会社の計らいで、平日だったけれど、息を引き取る前日もお見舞いに行かせていただいた。翌日の朝7時50分頃に亡くなったので、僕は死に際に立ち会うことはできなかったけれど、強烈な痛みを感じることなく命を終えられたのではないか。安らかに眠ってほしい。

考えてみれば、僕は祖父に叱られたことが無かった。
僕の数限りない意思決定の数々に、私見を挟まれたり、反対されることも無かった。
僕が「こうしたい」と主張すると、「大したもんだ」と言ってくれた。「大したもんだ」祖父の口癖だった。その言葉を聞くたびに、僕は「大した人間」としての矜持を持つことができた。そのせいか、少しばかり僕は驕り高ぶる人間になってしまっているかもしれない。

しかし、祖父の死を前にして、僕自身の未熟さ、卑小さを改めて思い知らされる。

祖父は、ものづくりが得意な人だった。
技術屋、つまりエンジニア職として職務に就き(その前には徴兵され満州に赴いていた)、会社のために勤勉に働いたという。昭和40年に科学技術長官賞を受賞する名誉もあった。

第一線を退いた後も、手先の器用さを生かして、僕の実家に煉瓦造りの門をこさえてくれたり、かつて飼っていた愛犬の犬小屋を作ったりしてくれた。温かい祖父の言葉を添えて、季節の折々で絵葉書を作るのも祖父の楽しみだった。昔のことを思い返すと、笑っている表情しか浮かんでこないのだ。

そして祖父の愛は、僕たち孫だけに向けられてはいなかった。
地元の子どもたちのために自作の神輿を作ったり、町内の運動会を仕切ったり、登下校の私設パトロール隊を務めたりするなど、祖父は地域活性に貢献していた。そのことを僕は、祖父の口から直接聞いたわけではない。母や祖母や、近所に住むおじちゃんやおばちゃんから聞いた。「おじいちゃんは偉い」何となく昔から抱いていたイメージだったけれど、祖父が死んだ今、その愛の大きさを受け止めると言葉にできないほどの感慨が募る。

「公共福祉のために働いた人」
弔辞でそのような紹介があった。この時代に、誰もが出来ることではない。

亡くなる前の数年間、祖父は療養のために、馴れ親しんだ家を離れた。
祖父のいない祖父の寝室で、僕は祖父がつけていた「5年日記」をこっそり読んだことがある。実直な祖父は、殆ど欠かすことなく毎日の記録を日記に収めていた。

そこには僕が産まれた日のことも書かれていた。僕が祖父母の家に預けられていたときのこと、遊びに行ったときのこと、祖父母のお祝い事、家族旅行のことなど、思い出の数々が記されていた。
どれも決して長い日記ではない。所定の記入欄の中に、祖父の文字は慎ましく綴られていた。簡潔だけど、どれも温かみを帯びていた。どうしたら、そんな風に温かい感情を抱き続けられるのだろうか。

祖父の義兄の弔辞は素晴らしかった。
「棺を蓋いて事定まる」という中国の故事を引用した。
「遺体を棺に納め、蓋をして、初めてその人の評価が定まる」という意味だが、まさにその通りだと思った。祖父の素晴らしさは生前から家族に認められていたが、その真価は揺るぎないものとして僕たちの記憶に留まることとなっただろう。

誰に対しても等しく無償の愛を注ぎ、皆から愛された祖父を、僕は誇りに思う。

実は、僕は1つだけ、祖父と果たせなかった約束がある。

僕が大学4年生のとき、「地域の安全」をテーマにした卒業論文を手掛けていた。
テーマが大きすぎて、方向性を絞り込むことができず、結果的に出来の悪い論文を提出してしまった(先生の情けで単位は貰えた)。

そのとき、僕は祖父母が住む地域を、対象エリアの1つとして選定していた。
祖父に頼み、僕は地域内でリーダーを務めていた方に対して、1時間程度の長いインタビュー取材を敢行した。その人と祖父に対して「卒業論文が完成したら報告に行く」と約束をしていた。

前述の通り、僕は出来の悪い論文しか仕上げることが出来なかった。
情けなくて、申し訳なくて、祖父に報告することが出来なかった。

その約束について、ここ2年間で温めている構想がある。
かつて行なった取材をベースに、僕が感じたことは未だに体内に染み込んでいる。
もちろん「卒業論文」としての形に成すことはしないけれど、しっかりとした形にして発表したいと思う。

まだまだ時間はかかるだろう。
でも僕は、いつか、祖父との約束を果たしたい。
祖父の墓前に報告したら、きっとまた、「大したもんだ」って褒めてくれると思うのです。

street.

street.

park.

park.

picture postcards.

picture postcards.

くるり「ロックンロール」

再会

再び会う、と書いて、再会。

高校でロックを知り、大学に入ってからロック・ミュージックを本格的に聴き始めた。
折しもiTunesがWindows XPに対応し始めた頃、僕はアルバイトのお金をCD購入やCDレンタルに注ぎ込んだ。洋楽・邦楽問わず、音楽に夢中になったのだ。

音楽を仕事として扱う会社にも入り、音楽への熱は20代ずーっと燃え続けていた。
フジロック、サマソニ、ロッキンフェスなどの主要フェスに留まらず、色々なフェスやライブイベントにも足を運んだ。仕事柄、有難いことにゲストとして呼ばれることもあった。ゲストの立場ながら、人一倍盛り上がる。フェスであれば、ステージ間の移動は基本的にダッシュ。とにかく聴けるだけの音楽をインプットし続ける。
大好きな音楽もあれば、大嫌いな音楽もある。同僚が大好きな音楽を、僕は大嫌いだったりもして(その逆もまた然り)、文字通り朝まで飲みながら語り続けたこともあった。素晴らしい経験だったし、あの頃には、もう絶対に戻れないなと思っている。

そして今、音楽を聴く量はめっきり減った。
もちろんiPodがあるので、朝起きればradikoでInter FMを聴く。通勤は好きな音楽をイヤホン越しに。カフェに入れば自然と音楽が耳に入ってくる。
能動的にせよ、受動的にせよ、音楽は生活に不可欠だ。だけど、貪るように音楽を聴くことは無くなった。どんな音楽でも「つまらない」「馬鹿みたい」と思うことも少なくなった。「良いところは何にでもある」、丸くなったのだろう。

デジタル時代にも、物は貯まる。
使わないものは、押入れの中へ。僕の場合は、CDだった。大量のCD。コンパクトディスク。直径12cm、厚さ1.2mmのそれは確かにコンパクトだし、ケースはどの会社も共通の規格。ケースが割れることはあても、本や雑誌のように劣化はしない。ちゃんと押入れ(ダンボール)の中に収まってくれる。それらは、もう二度と、それらを通じて音楽が聴かれることは無い。可能性の話をしているのではない、絶対に無い。だって、聴きたい音楽は既に、1TBのハードディスク内に収まっているのだから。

だけど、僕はCDに再会した。
今年は満を持して、CDを全て処分しようと決めた矢先のことだった。
大掃除をしていて、CDを手に取った瞬間、何とも言えない愛おしさを感じた。

そして、ちょっとだけ発想を変えてみる。
「要らない」と感じるものは、手に取る機会が無いから「要らない」と思われているのではないだろうか。

試しに僕は、8畳のアパートの一室の、すぐ見える場所にCDを格納した。

CD, DVD, BOOK

CD, DVD, BOOK

そこはもともと、衣服類を収納していたスペースだった。CDが置き換わったのだ。
衣服類は現在、玄関前の通路に、ケースごと移動させられている。通るたび邪魔だし、厚着しようと思って手を伸ばしたら、そこはCDだったりする。大変不便だ。

でも、そのおかげで僕は、久しぶりにTHE BEACHES、BACK DROP BOMB、SIMIAN MOBILE DISCOを聴くことができた。BDBの音楽は迫力があってライヴに行きたくなったし、シミアンの「Husler」は、相変わらず最高で踊りたくなった。あの頃、夢中で聴いた音楽たちとの再会。ケースを開けて、「これどんなアルバムだったっけ?」と想像するのも、何だか楽しい。

デジタルではなく、アナログで。
こういうことって、この先もあるかもしれない。

僕は全然、アナログ回帰派じゃない。
全ての「物事」はデジタルデータに置き換わるべきとさえ思っている。

でも…

当たり前のことだけど、「物事」の使い道は、使う人の「在り方」で左右されるものだ。
使う人が望めば、気付けば、強く感じれば、「物事」はしっかり役割を果たす。

「人」と違い、「物事」は自らの存在を声高に主張したりはしない。
「人」である僕たちが、「物事」に役割を最大限発揮いただけるよう、働きかけることが大事だ。

さて、僕自身の「在り方」は、どうだろう。
そんな難しいことを考える前に、懐かしい友人たちに再会してみたいなと、ちょっとだけ思った。

このMVも最高だよね。