言葉、ことば(2015年1〜3月)

言葉って不思議です。言葉だけでは意味を持ちません。受け手の解釈が重要で、そこから意味あるいは価値が発生します。僕にとって重要だった言葉が、あなたにとって重要だと思いません。その逆も然り。あるいは僕にとって重要だった言葉が、あなたにとって人生を変えるくらい重要である可能性もあるわけです。

少し前のエントリで書いた通り、前四半期で感じた言葉について書きたいと思います。
言葉って、やっぱり武器にもなるし凶器にもなる。「武器」って、捉え方次第だなあ。うーん、難しい。

1. 2015/1/5
普段の会話の中で。

先輩の家では廊下に本棚があって、1000冊以上の本が並んでいた。そこで育つ子どもは自然に本に触れることができるし、家族と色んな本を共有できる

紙の本や電子書籍の話をしていたときの話でした。何だか素敵な生活だなと印象に残り、このブログでもシェアします。
本に限らず、音楽や視聴メディアなどがパーソナライズされていくと、人にシェアする機能はTwitterやFacebook、まとめサイトなどに移行されます。それは悪くないのだけれど、意図しないナチュラルなシェアにも価値があると思っています。
前の会社でも、ビジネスに関する書籍が会社の本棚に並んでいました。新入社員だった僕は、「こういう本を読まなくちゃいけないんだな」という思いに駆られました。広島カープに復帰した黒田博樹投手も、「男気」という生き方のシェアをナチュラルにしています。人間は、社会の中で相互依存せざるをえない生き物なので、日々何に接しているかというのは本当に大事やなと思いました。

 

2. 2015/1/18
やる気は5秒で死んでしまう。テレビ司会者のメル・ロビンス(Mel Robbins) 氏の言葉。
参考URL:http://logmi.jp/32799

リスクを冒すのではなく、居心地が良いところから抜け出すのです。ベッドから出た後の3秒間は最悪ですよね。でも一度起きてしまえば、最高です。このような会場で座っていて、誰かが「立って、一緒に踊ろう!」と言った瞬間、あなたは「あぁ、私は踊るべきだわ」と思います。でもすぐに「でも……」となってしまうのです。やりたいという衝動があったのに、それを強制的にさせるための活動的エネルギーを出さなかったという経験は、まさに緊急ブレーキが作動したときです。「ここに座っていよう。あんなクレイジーな人たちと踊ったりしないわ。踊るのは好きじゃないし……」。

(中略)

もうひとつ使えるもの、私は「5秒ルール」と呼んでいます。人間の頭は、人の表情を33ミリ秒で判断することができます。かなり速く働きますよね。もうひとつ速くできることは、もし何かやりたい衝動があっても、それを5秒以内に行動に移さなければ、緊急ブレーキを作動させるということです。そしてそのアイディアは死んでしまいます。立ち上がり、バンドが演奏している間に踊りたいという衝動があっても、5秒以内にそれをしなければ、緊急ブレーキを引いてしまうのです。もし今日誰かのスピーチを聞いて、何かをしようという衝動にかられてら、5秒以内に、ノートをとる、自分にメールを送るなど、実際に何か行動をしなければ、緊急ブレーキを引いてしまいアイディアを殺してしまいます。問題はアイディアではないのです。問題は実際に行動しないということです。あなたがそれを殺してしまうのです。

これはすごく分かりやすいし、実感としても正しいものだと思いました。
早起きにせよ、仕事終わりのトレーニングにせよ、「ああ、面倒臭いな」と思ったら最後です。5秒以内に行動すること、これはシンプルで強力なメッセージのように思います。(未だ実践できていませんが)

 

3. 2015/1/31
バカリズムと三遊亭円楽(6代目)のやり取り。バカリズムの「僕はリアリティについて聞きたい。僕も師匠と一緒でコンビでなく一人でやることが多いが、コンビよりもリアリティを演出する、リアリティのある作り方が難しいんですけど、一人で細かくリアリティを出す演出を出すっていうのは(どうすれば)」という問いに対して。
参考URL:https://www.youtube.com/watch?v=ac4d5UrYEXA

例えば蕎麦を食べるときの所作、普通はこう(盛りそばを口元まで運んで)見せる。だけど柳朝師匠に言われたの、楽太それじゃ蕎麦が入っていかねえよ。ここまで行けと(目の上くらいまで)。だけど現実はそこまでいかない、これは誇張だよね。これはリアリズムじゃないもんね。いい加減なところがあっていい。ちょっと破れてるくらいがね、お客様の方で勝手に(想像を)張り混ぜにしてくれるから。(中略)ファジーな部分があると、柔らくなって面白く伝わると思う。(リアリティを出し過ぎると)芝居になっちゃう。

前回の博多華丸大吉に続き、お笑い界からのエントリ。
芸をより良く見せることに対して、ベテランの円楽師匠は本質的なことを言っていると思いました。

これはビジネスにも、小説にも言えることも知れません。
つまり、僕自身のリアリティと受け手の感受性との間に、ギャップというものが常に存在するわけです。誇張することで腑に落ちたり、オーバーリアクションすることでメッセージが伝達したり。村上春樹も読者の想像力をとても信頼しています(そう僕は感じます)。プロフェッショナルの一端を垣間見た気がするのです。

 

4. 2015/2/1
日本にて行なわれた、イチローのマーリンズ入団記者会見において。
参考URL:http://full-count.jp/2015/01/29/post7640/

(若く将来性のあるマーリンズ外野陣のバックアップが役割と見做されていることについて)そのことはもちろん分かっていますし、4番目の外野手であるというのは想定内のことで。なかなか3番目、特にアメリカでは40(歳)を越えた野手にポジションを与えるということは……、その時点でカットされる、年齢を見ただけでね。そういう傾向がありますから、4番目というのは何の問題もないことで……。3番目を望むというのはそんな自分はどうかなと思いますけどね。5番目ではそれはつらいかもしれないですけど。

「応援してください、とは言わない」という言葉が広まりましたが、僕はむしろこの言葉にプロフェッショナルを感じました。期待される役割は誰しもある。けれど、それに甘んじないのがイチローなのです。

例えばアマチュアの僕が小説を書くとして、何かの新人賞に引っ掛けるために小説を書こうとするのか。それとも1000年に1度残る小説を書こうとするのか。どちらも真剣かもしれないけれど、スケールが変わるような気がします。現状や少し先の未来に迎合するのでなく、僕は後者でありたいと思いますし、そこはエゴの張り過ぎかもしれないけれど全力を尽くす(クオリティが例え追いつかないにせよ)道を選びたいと思います。

その道を信じるのであれば、ですが。

 

5. 2015/2/7
村上春樹「村上さんのところ」
参考URL:http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/05/073700

<質問>
僕は40歳ですが、ずいぶんと想像力や記憶力が減退して来ていることを実感しています。村上さんは僕より歳上で父と同学年ですが、『1Q84』のような創造の塊のような進歩的作品を生み出しました。なぜそのようなことが可能なのでしょうか。

<村上春樹の回答>
十年先のことを考えてみてください。五十歳のあなたはきっと「十年前はおれもまだ若かったよな」と思われるはずです。そういう(まだ)若い日々を、老いを愚痴りながら生きていていいんですか? 腰を上げて何か新しいことに挑戦してみてください。四十歳なんて、そんな老け込む歳じゃないですよ。がんばらなくちゃ。

5月末まで掲載されるという期間限定サイト「村上さんのところ」。朝と昼と夜に、このサイトを見るのが楽しみになっています。
質問主の悩みは、僕もすごく分かります。そして20歳になったばかりの頃、可能性が限定されていた自分に嘆息した記憶もあります。「俺はこの彼女(当時付き合っていた女性)と何年後かに結婚して、のんびりと余生を過ごすのかなあ」みたいな。全然違う人生を歩みましたし、20代で持っていたエネルギーや感受性は微笑ましくもあります。

村上春樹の言う通り、失ってしまったものに思いを馳せるより、失ってしまった後に生えてきた草に水や栄養を与えて、後世に残るナニカを作っていきたいものです。それがクリエイティヴってものでしょう。

 

日々の忙しさに追われてしまうと、印象に残る言葉が、記憶から溢れてしまいます。
心の中に、個人的なゾーンを残しておくこと。これを意識しながら、2015年度も頑張っていかなくちゃ。

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