第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン雑記(2015年6月28日)

思えば1年前から、この日をイメージしてきた。
別に今日まで物凄くストイックに自分を追い込んできたわけじゃない。
それまでに走った最長距離は75キロ。
初めての「100キロ」はサロマ湖100kmウルトラマラソンと決めていた。
ただ憧れだけ胸に抱いて、このレースを13時間以内にゴールする自分をイメージしてきたのです。

曇天=好天。ここ数年で一番「走りやすい」と思われる今大会。
だけど僕は、レース中盤から苦しくて仕方なかった。少しだけ長い記録になると思うけれど、感じたことをつらつらと書き連ねようと思う。

***

前日はまるで眠れなかった。
8時半から新千歳空港を出発しての約300キロドライブ。
普段運転しない僕にとって、慣れない運転は疲れるものだ。14時半、受付終了後、コース下見も十分に行なった。宿に着いたのが19時過ぎ。友人とビールで乾杯。彼と宿泊を共にするのは、昨年11月の南伊豆みちくさマラソン以来。語り尽くすようなことはしない、いつも通りのんびりと会話を楽しみ、どちらともなく眠りに就く。心地良い眠りに就くはずだったのだ。だけど。

どういうことが起こりうるだろうか。
無事に完走できるだろうか。
完走したらどんなことを自分は感じるだろうか。
嬉しいだろうか。辛くて倒れてしまうだろうか。クールに淡々とゴールテープを切るだろうか。
イメージは妄想へと遷移し、取り留めなく仕事のこととかに波及しながら、思考は当ても無くグルグルと回ってしまった。

21時半に電気を消した。
22時、23時、24時、25時。
廊下がパタパタと鳴る。気が早いランナーは、もうスタート地点に向けて出発するらしい。
出発してもおかしくない時間ではある。僕らも1時半後の26時半に起きる予定なのだから。

何とか眠りに就いたのは25時30分。
それから1時間後にiPodのアラームで目を覚ます。
さすがに眠い。ただ、二度寝するわけにはいかない。幸い、頭の中はすぐクリアになる。
まだ寝ている友人に声を掛ける。早く用意をしよう。ゼッケンを安全ピンで留める。レストステーションがあるので、二つ分のウェアにゼッケンをつけなければならない。起き抜けには面倒な作業だ。
同時に、コンビニで買っていた朝ごはんを食べる。ウルトラマラソンは体力勝負だ。お腹が空けば走れなくなるから、無理にでも腹に入れる。

サロマ湖100kmウルトラマラソンは、55キロ地点にあるレストステーションに荷物を送ることができる。
僕は着替え一式(コンプレッションウェアも含む)、ウイダーインゼリー、アクエリアス、饅頭、バンドエイドなどを詰め込む。どんな状態に陥ったとしても、少しでも回復できる用意をしなければ。荷物の量は加速度的に増えていく。
友人はそんなに準備をしていない。僕ほど緊張していないのだ。そんな彼を羨ましく思う。(主に僕が)慌ただしく用意をしているうちに、出発予定時刻を大幅に過ぎてしまった。

紋別市から30キロ離れた、湧別町の湧別総合体育館がスタート地点だ。
スタートの25分前に現地に到着する。幾ら何でもギリギリだ(受付は前日に済ませてはいるものの)。
荷物を預け、トイレを済ませ列に並ぶと、感慨に耽る間も無くスタートの号砲が鳴った。3,054人のランナーが一斉に走り始める。
「いよいよだなぁ」というより、「準備運動してないなぁ」という思いの方が強かった。

***

スタートは3分半のロスだった。
初めは飛ばし過ぎない。ウルトラマラソンの鉄則を、殆どのランナーが守っている。
昨今のフルマラソンの大会に見られるような、「明らかな初心者」は見掛けない。ウェアと脚を見れば判る。

それはそうだ。
ウルトラマラソンの聖地と呼ばれるこの大会には、北海道外のランナーが半数を占める。
多くのランナーがわざわざ飛行機に乗ってやってきて、北海道の北東へ赴き、北見市、湧別町、佐呂間町を跨ったコースを13時間かけて走る。言い方は悪いが、冷やかしで参加するにはコスパが低い。
というか、ここまで来たからには、どのランナーも「絶対にリタイアしたくない」と思っている。目の前にいるのは、練習に練習を重ねた人たちなのだ。

5時。身体が冷えるくらいだ。
僕ら(僕と友人)は、通常のレースと同様、最後尾付近に位置する。それほどスピードを上げないために、なかなか身体は温まらない。
とは言え、飛ばし過ぎたり、急にペースを上げたりするのは厳禁だ。50キロくらいまでは、2キロ13分30秒〜14分で行くと決めている。
塩タブレットを持参し、5キロ毎に補給する。給水所でも水を摂る。喉は渇いていないかもしれない。けれど身体が、いつ脱水症状に陥るか判らない。

スタートして1キロ過ぎ、土踏まずに痛みを感じる。
普段、痛くなることの無い箇所だ。足を止めて、足首をグルグルと回してみる。痛みは遠のくけれど、不吉な予感が近接している。いつ、また痛みが顔を覗かせてもおかしくない。
ウルトラマラソンは「メンタル7割、実力3割」と言われる。100キロという途轍も無い距離感にビビっているのだろうか。少しだけ笑ってみる。少しだけ落ち着く。

何も考えないことがポイントだ。
他のランナーのフォームを観察したり、朝焼けのコントラストを見つめたり、昨日聴いた道の駅のオリジナルBGMを心の中で口ずさんだり、何でもないことをぼんやりと思考に登場させる。タイムのことを気にしても、距離が縮まるわけではないのだ。6/7に走ったレースのときのように、身体に染み付いているリズムで走ることが肝要だ。想定通りのタイムで進行する、それ以上でも以下でもない。

10キロを過ぎて、サロマ湖が右側に初めて見える。
更に15キロを過ぎたところで、続々と先頭を走るランナーたちとすれ違う。
力強いストライドで駆け抜けていくランナーは、6時間台の記録を狙っているに相違ない。
しばらく走っていくとオホーツク海が左に見えてくる。ただ広い景色。オホーツク海とサロマ湖に挟まれたエリアで、潮と風の匂いが混ぜになる。最初の折り返しは20キロ手前の地点。ようやく身体が温まってくる。

朝8時。東京の知り合いも起き出す時間帯だ(いや、まだ寝てるかもしれない)。
だいたい、出場者のペースも落ち着いてきて、何人かのランナーを頻繁に見掛けるようになった。彼らを基準にレース展開を確認したり、後についてペースを整えたりすることは経験から非常に有効なことだと思う。

ただこの辺で落とし穴があった。身体が温まり、少しペース・アップしてしまったのだ。「ペース速まってない?」と友人に指摘される。「落ち着こう」と何度も言うけれど、なかなかペースは元に戻らない。僕らにとって20キロを過ぎてからの走りが、後に少なからぬ悪影響を及ぼしてしまったかもしれない。

***

30キロ地点は、何もない田園の中を走る。
日が差してくる。今日は一日中曇天というわけではなさそうだ。
コースに設置されている「かぶり水」を、頭から被る。身体にかからないように慎重に。股擦れや靴擦れを避けるためだ。中には氷の混ざっているかぶり水もある。気候のせいか、それは冷やし過ぎで、僕の身体の体温は、汗が引くくらいに下降する。

35キロ手前で、坂道に出喰わすようになる。
高低差はせいぜい40メートルほど。フラットなコースと言われているし実際そうなのだが、疲れが溜まってくると少しの傾斜もキツくなる。僕はどちらかと言えば登りを苦にしない。歩いている人を横目に、せっせと前進することがエネルギーになる。

幾つか続く登りを経て、友人に異変が起こる。
どうやら新調したシューズが足に合っていないらしい。40キロを過ぎ、スピードがガクンと落ちる。何度か声を掛けるも、歩く頻度が高くなる。この地点でのスピードダウンは致命的だ。最終的には僕が前に進み過ぎて、友人がついてこれず、そのまま離脱するという形になってしまった。
これまで72キロ、75キロのレースを共に走った。制限時間内を、全て一緒に走ったのだ。その友人がいなくなり、これから凡そ60キロを僕は一人で走らなければならない。
だが、孤独だと感じることは無かった。「いよいよリタイアできないぞ」と思いの方が強くなる。ようやくここに来て、心地良い緊張感が身体を包むようになった。

55キロの手前にレストステーションがある。「区切り」となる地点だ。
ますます日差しが強くなり、上下のウェアが汗だくになったせいか、45km過ぎからはレストステーションで休憩することばかりを考えていた。邪念だ。余計なことを考えていると、どうしても身体が自然に動き出さない。
脳が、前頭葉が指令を出すのが良く判る。「あと5キロでゴールだから、もう少し頑張りなさい」。彼らの指令を受けないと、身体は動かない。身体は嫌々ながら従っている。ゆえに身体は重い。
40〜50キロは1:09:25。1キロ7分を僅かに下回るペース。悪いペースでは無いけれど、特に休憩を取ったわけでは無い。もう少し走れた気がする分、中盤をロスしたなという感じだ。

レストステーション。休憩は10分と決めていた。
着替えの入った荷物を受け取り、そのまま更衣室に直行する。パンツも交換するためだ(結果的に替えのパンツは入れ忘れていたのだが)。幸いなことに更衣室は空いており、パイプ椅子に座れることができた。テント内だから日も当たらない。クールダウンには最適な場所だ。
上半身、下半身のウェアを脱ぎ、タオルで身体を吹く。何の工夫もない、普通の白いタオルだが気持ちが良い。身体は熱を帯びたままだが、すうっと風が通るような感覚がある。コンプレッションウェア、ウェア、ソックスなどを一通り着替えると、まるで生まれ変わったかのよう。手元の時計は10分を過ぎてしまっていた。補給食はウイダーインゼリーを2種、アクエリアスを半分程度に留めた。13分半でレストステーションを後にする。

レストステーション直後の上り坂は、休憩のために固まってしまった筋肉のせいで、思うように脚が動かなかった。おまけに尿意まで感じてしまう。ちょうど良くトイレがあったのはツキがあったんだと思う。トイレを済ませて屈伸をする。痛みがじわりと脚全体を駆け抜ける。それでも、改めて走り直したときに、若干コンディションが戻っているような感触があった。ウェアを着替えたおかげで風通しも良い。気分上々のまま、60キロ地点を目指す。

***

60キロ地点を通過。
7時間48分の関門を、約25分上回っての通過となる。
ほどほどの貯金だ。十分ではないけれど、心許ないほどではない。

つまり、先が判らないということだ。

意図せず、「ここからフルマラソンを走るのか」という思いが過る。
そういうことを考えるべきではない。そう思い直すけれど、一度心にのしかかった重しを簡単に除くことはできない。ペースも極端に落ちてしまう。
顔を上げるのもキツくなる。目を瞑りながら、ただ前に進むだけ。フルマラソンで35キロを過ぎた辺りで、こういうことはよく起こる。でも。

まだ40キロもあるんだ。
残り7キロとはわけが違う。

65キロまでは絶望との戦いだった。
屈伸するたびに、この世の終りのような痛みが襲う。
刻もう。とにかく刻もう。7分脚を動かせば、だいたい1キロになる。65キロを過ぎて、ちょうど「魔女の森」というエリア(森の中を走るコースで、日陰がある)に差し掛かるも、フラフラと蛇行するようにしか走ることができなくなっていた。

しばらくすると、沿道で応援していた方と目が合って、その方がやおら僕の元に近付いてきた。
「ラッキーですね。レッドブルをあげますよ」と言われる。なんということ!なんというナイスガイなんだ!
一気に飲み干し、彼に感謝の意を告げる。こぶしを強く握る。何だか暗示に掛けられたように、僕はペースを上げることができた。
僕はラッキーなんだ、僕は特別なんだ。
書いていて不思議だけれど、シンプルに彼の言葉を鵜呑みにすることができた。僕はきっかけを待っていたのかもしれない。

70キロから80キロは、確かに苦しかったけれど、前の10キロよりも1キロ1分ずつくらい早めて走ることができた。ゲストとして招かれていた砂田貴裕さんが、ランナーたちに檄を飛ばす。「もっとペースを上げないと次の次の関門に引っ掛かってしまうよ」。砂田さんは100キロ走の世界記録保持者。もっと優しい言葉を掛けてくれれば良いのにと思うも、何だか見返してやろうという気持ちになる。

そして80キロ関門を突破すると、次はいよいよワッカ原生花園。
約8.5キロ×2で往復すると、いよいよゴールが近付いてくる。

はっきり言って、ワッカ原生花園のことは、あまり憶えていない。コースの中で最も美しく、そしてランナーにとって最も過酷であるというこの場所は、僕の想像を超えて厳しいものだった。
往復であるがゆえに、たくさんのランナーとすれ違うことになる。彼らは先にゴールに辿り着くランナーなのだ。そんな彼らへの嫉妬もさることながら、2時間後の自分を投影するような険しい表情を見ると、背筋が凍るような思いがした。当の本人である僕も、いよいよ走りに安定感が無くなってしまう。脚がもつれ、前から走ってくるランナーにぶつかりそうになってしまう。歩道を外れ、原生花園に足を取られそうになることもあった。

限界を感じる。
「残り20キロを3時間4分」というのは、決して難しいことではない。
1キロ8分ペースに減速しても、十分余裕を持ってゴールができる。1キロ9分ペースだったとしても、4分の余裕がある。だいたい歩くと1キロ11分ほど。歩くほどに余裕は無いが、従来通り刻んでいけばゴールに近付くのだ。

刻む。80キロを過ぎて、刻むという感覚は、殆ど味わえなくなってしまっていた。
惰性で前進しているに過ぎない。少し前傾になっているから、止まらずに進めているのだという自覚。残念ながら、僕は走っていたわけではないのだ。

行きはとにかく長く感じた。
一方で、帰りは歩道をなぞることを認めざるをえなくなって、たぶん短く感じるように仕向けられたような感じになった。言葉にするのは難しいのだけど、「あと20分くらいでワッカ原生花園を抜けるぞ」というときに「残り5キロ」という表示に切り替わったのが大きかったと思う。「95キロ」でなく、「残り5キロ」。もう走らざるをえないし、悔しいけれど随分と気持ちが楽になった。

ワッカ原生花園を抜けると、間も無く「あと2キロ」の表示が現れる。
残り25分、歩いてでもゴールが出来そうなペースである。

でも、ここまで走り続けていると、歩こうという気持ちがまるで沸かなかった。
ここまで来たら、このままゴールしてやろうという感じである。

残り1キロ。
ペースは落ちない。ガクンとスピードを落としているランナーも殆ど見かけない。
何故なら、間も無く「FINISHER」だけに許されるビクトリーロードを通り抜けるからだ。
拍手、声援、ハイタッチ、打楽器の演奏、笑顔。僕はそれに応えるほどの元気は無いけれど、少しずつ自分を祝福したい思いに駆られてくる。

ビクトリーロードを曲がると、FINISH地点が大きく見えてきた。
前を走る2人のランナーが、両手を上げてゴールテープを切った。
僕も、もうあとわずかでゴールになる。両サイドから歓声。手を合わせ、何かに祈ってみた。

ゴールと引き換えに、完全なる痛みに包まれる。
身体の中で、痛くない部分を数えることの方が難しい。
でも、痛みに慣れると、そんなに苦い味はしないものだ。
「苦痛」とかではない。むしろ味わい深い。

帰りのバスの中で、次のチャレンジは何をしようか考えていた。

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第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン雑記(2015年6月28日)” への1件のコメント

  1. コメント残します。
    私もサロマをおいかけ・・2015年完走できました。

    もう最後にしようと思ったけど・・
    また出たくなりました(笑)

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