今日から英語の勉強を始めます

7つの習慣(英語版)

7つの習慣(英語版)

今日から英語の勉強を始めます。
今日は5分だけ本を読みました。
『7つの習慣』の英語版。
英語でも読んでみたくて、数年前に買って放置していたものです。

昇進に必要だから、
今の仕事で使うから、
転職に有利だから、

とか、そういう短期的な必要性やビジョンを見据えてのことではありません。
詳しくはTwitterで色々呟いてみましたのでご参照ください。

ポリシーを4つ定めました。

・頑張り過ぎない
・効果的に
・学習の記録を取る
・続けるために発信する

本ブログでも「言語」という項目を立てました。やる気はあります。

ただし語学というのは、一般的に熱しやすく冷めやすいものです。
日本なので、使う機会が少ないのでなかなか身に入らない。だからこそ、頑張り過ぎずに続ける仕組みを作ることが大事だと思っています。
その仕組みの1つが、「英語やってるよ!」と公言すること。一人で黙々と、それほど好きでもないことを続けるのは結構難しい。「英語やってるよ!」と言いふらすことで、止めづらくなるし、むしろ言うことが快感になるくらい、ブログ、Twitter、Instagramなどに投稿していこうかなと思っています。

2、3年後の未来のための先行投資。
何を投資するかって?「時間」です。

『 “ひとり出版社”という働きかた』を読んだ

“ひとり出版社”という働きかた

“ひとり出版社”という働きかた

「生きる」ことと「働く」ことは同義ではない。
当たり前のことだけど、「生きる」ための手段として「働く」がある。別の言い方をすれば「生きる」という大枠の中に「働く」も位置付けられているということだ。

僕は社会人に入ってから、この大原則を殆ど意識せずにいたし、むしろ「生きる」=「働く」と認識していた気がする。
ガツガツ働き、それなりに成果も出て、収入や幸福度に結びつくのであれば幸せなことだと思う。難しいことは何も考えずにいた方が良いのかもしれない。シンプルイズベスト、何事も考え過ぎはよろしくないのだ。

幸か不幸か、僕のようなややこしい(と自称している)人間が、「生きる」≠「働く」ではないかと疑いを持ち始めると、色んなややこしいことを考えてしまう。
今まで疑いなく組織の中で働いてきたことに懐疑的になる。生きるための別の方策を無意味に無謀に考えてみたりする。ちょっと失敗しただけで「辞めます」と言いたくなる(映画『モテキ』の主人公は、上司に「お前はそんなポジションにもいねーんだよ」とド突かれて辞めることなくストーリーが結末に向かった。めでたしめでたし)。

脇道に逸れてしまったけれど、そういう「ややこしい」自分に対して納得性を持たせる上でも、何かしらの刺激や理論武装が必要になる。「ややこしい」人間への対処法は、その名の如く「ややこしい」処方箋を必要とする。馬鹿につける薬はない、の一歩手前くらいの面倒さ加減ではないだろうか。

そんな中読んだ『“ひとり出版社”という働きかた』(西山雅子著)はドンピシャで面白かった。

本書の中には「一人」または「小規模」で出版社をやり繰りする人たちの様子が描かれている。
著者の西山雅子はかつて出版社に勤務し、現在はフリーランスとして活動をしている。ここで描かれているような「ひとり出版社」という位置付けで活動しているわけではは無いとあとがきでも述べている。この形で「働く」ことは「生きる」ことが保証されているわけではない。むしろ困難が山ほど発生すると述べている。
巷のビジネス本のように「これをやったら成功者になれる!」と息巻くようなハウツー本ではない。
本書は、西山が「ひとり出版社」として活動している人たちへの取材を行ない、主にひとり語りのような形で自分の活動を紹介するという構図になっている。大変そうだが、とても生き生きと働いている人たちの様子が眩しい。

本書は「働きかた」というタイトルがついている。だがそれを超えて、「生き方」まで言及している方が非常に多いと感じた。
例えば赤々舎・姫野希美は大手出版社が手を出しづらい写真集の編集および出版に果敢にチャレンジする。写真家と二人三脚で取り組み、出版にこぎつける熱意と創意工夫には何度も驚かされた。

写真に写しとられたものが、その人にとって、どれほど切実な存在なのか。その写真が人間についてのなにを考えさせてくれるのか。それが私にとって、とても大事なんです。つまり、人は人に興味がある。でも、一番わからないのも人間。たぶん、自分自身も含めてわからない。(中略)私は特別な感受性をもっている人間ではないので、少なくとも私がこんなに心が動くなら、同じようにこの作品を必要としてくれる人がいるはずだと。

彼女の発言は、人間への純粋な好奇心に基づいている。
この章では、彼女が若かりし頃に上海に2年間住み、不動産の仲介業をやっていたことも紹介されている。「ビジネスには興味がない、人間に興味があったから上海に住んでみた」という言葉からも、彼女が「人間」をきっかけにした「働きかた」「生き方」を志向していることが窺える。

そういうことなんだと思う。
冒頭でも書いた通り、「生きる」と「働く」は完全に同義ではない。
でもどこか繋がっているべきなのだ。というのが登場する人たちの共通した考え方ではないかと僕は感じた。

何より面白いのは、全ての人たちが「本を愛している」という事実だ。
出版不況や電子書籍の台頭など、出版業界がなかなか立ち行かないのは良く報道で耳にする。
だけど本を愛し、情熱を持って仕事に取り組む彼らの言葉には力があるし、それを編んだ著者・西山雅子の思いも全ページを通じて真っ直ぐに伝わってくる。
スペシャルインタビューの谷川俊太郎や、寄稿の内沼晋太郎の話も面白かった。一番のオススメはミシマ社の三島邦弘の章かな。

本を愛する人、ものづくりに情熱を燃やす人なら、読んでおいて損はないと思う。

蔡國強の企画展「帰去来」に行ってきた

蔡國強「夜桜」

蔡國強「夜桜」

蔡國強と書いて、<さいこっきょう>あるいは<ツァイ・グオチャン>と読む。
横浜美術館で企画展が開催されたので行ってきた。ドキュメンタリー「Video」を作品と見做さないならば、何と展示作品は計8点。正直物足りないと感じたけれど、どの作品も「大物級」で迫力があった。いまいちドキュメンタリー映像でも判らなかったけれど、作品を火薬で爆発させて燃やし、決して何らかの味(装飾)を加えるような作風である。北京オリンピックにおける演出も担当したことで知られているようだ。

中でも僕が気に入ったのは、「壁撞き Head On」という作品。
99頭のオオカミが展示室に所狭しと並べられ、一直線に壁に向かって飛翔している作品。戦時中の「特攻」を思わせるそれは、何だか現代社会におけるシンボリックな作品でもあると感じた。
どのオオカミも目をギラつかせて牙を剥いている中で、1頭だけ、何故か物哀しい表情を浮かべていた。もう間もなく壁にぶち当たることを予見しており、来るべき挫折(あるいは死)に対する悲壮感を漂わせており、僕もその心情に共感してしまうような切迫した表情が印象的だった。

ちなみに作品のコンセプトは、ドイツの展覧会で初披露されている(1990年代だったと思う)。
原題は「壁を指して(Gegen die Wand)」。
(買っていないけれど)画集によれば、ベルリンの壁も作者は意識したのではないか?という記述があった。

ただやはり、時代は少し変わり、「壁撞き」という作品が暗示するものは、もっと広義になっていると思う。
オオカミたちがポジティヴな結末を迎えているのか、ネガティヴな結末を迎えているのかさえ判らない。斃れたオオカミたちはまた最後尾につき、絶えずジャンプしているようにも伺えたからだ。

現代アートは、こんな風に自由に解釈できる余地を与えてくれるから好きだ。
にしても、8点とはねえ・・・という感じだったが、非常に想像しやすい作品ばかりだったので、「現代アートが苦手」という方も楽しめるのではないか。しかも横浜美術館の空間はとても心地良いしコレクション展も充実しているので、両方を楽しめるという価値として1,500円(一般価格)は高くないと思う。

ちなみに蔡國強は今週末遊びに行く予定の越後妻有トリエンナーレにも出展している。
越後妻有トリエンナーレは10のエリアで展開されている大掛かりなイベントなので、とても週末の二日間では全てを回りきることができない。3年前僕も遊びに行ったのだけれど、運転による移動で時間の大半が割かれてしまった(車で行かないと不便極まりないと思う)。ある程度計画的に動く必要がある(しかも点在されている作品群の多くは1,2点とかのレベルだったりするのも嘆息。自然と融合したイベントなので、それが楽しいと言えばそれまでだけど)。

蔡國強の展示も幾つかに分散されているし、何より今回はメイン会場とも言える越後妻有里山現代美術館(通称キナーレ)で展示があるらしい。あれだけ大掛かりな装置を含む展示には相応の時間とお金が掛かるんだろう。お金掛ければ良いというわけじゃないけれど、その仕掛けを素直に楽しみながら越後妻有トリエンナーレも楽しみたい。

週末に向けて、どんな感じで予定を立てるのかも楽しみだ。

蔡國強展:帰去来

その他個人的メモ
曽我蕭白「石橋図」。「壁撞き」の発想元になっているかもしれない江戸時代の作品。
http://ameblo.jp/eliot-akira/entry-10287017920.html

鶴岡政男「喰う」「雨」。キュビズムな作品が印象的だった。
http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9641.html

SUMMER SONIC2015

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感想を書く前に。
やっぱり30歳になると、それなりに20代の頃の音楽体験・環境と同じではいられなくなる。
フジロックもしばらく行かなくなっているし、日々音楽「も」楽しむ生活を志向するようになっているし、新譜を求めてCDショップに行くことも稀になった(代わりにApple Musicに毎日お世話になっている)。

音楽仲間も変わった。
結婚したり家族ができたり。
特に子どもがいる場合、男女問わず気軽に宿泊を伴う野外イベントには行けなくなるものだと思う。LINEで連絡を取った友達は妊娠中とのことで、車で幕張メッセまで行ってThe Chemical Brothersだけ観るのだと言う(それも凄い執念だと思うけど)。それを聞いたとき、おめでとう!と思う一方で、大好きな音楽を生で聴く機会が減るというのはどうなんだろうと思ったりする。
紆余曲折を経て、音楽を「仕事」とした仲間もいる。今回のサマソニでもブースを出して働いている元同僚に会うことができた。彼女とトム・ヨークやF.F.Sを観ながら、あーだこーだ語れる変わらぬ関係性を喜ぶと共に、その機会も実際のところ減ってしまったことにも気付かされた。

それが変化と言えばそれまでのことだ。

実際のところ、俺はどうなんだ。
俺は心の底から音楽を楽しんでいるのか?俺はまだ音楽を愛しているのか?俺の中のリトルほりそうが絶えず問うてくる。俺は答えられない。
BOSEのスピーカーでPharrell Williamsの「Freedom」をリピートする。僕は昨日の余韻をちゃっかりと楽しんでいるのだ。サマソニから一夜明けて、もう僅かの夏休みを惜しみながら今年のサマソニを振り返りたいと思う。

***

サマソニは2年振りの参加。8/16(日)だけの参加だ。
お目当ては、Pharrell Williams。妻との思い出の曲「Happy」は未だに聴いているし、ベタだけど凄くポジティヴになれるキラーチューンだ。RADWIMPSやケミカルも聴きたかったけれど、まあお気軽に、ということで妻の分も含めて1日券を購入した。思い出の曲を生で聴ける。ワンマン公演だと売り切れてしまうチケットも、フェスだとアクセスがしやすいのだ。

実はサマソニ深夜公演の「Hostess Club All-Nighter」にも参加した(妻は留守番)。トム・ヨーク、F.F.S(Franz Ferdinand & Sparks)、Baio(Vampire Weekendのベーシストのソロ)、Deerhunter(残念ながらメンバーの体調不良で来日中止)という本家・サマソニに負けずとも劣らない(勝ってる?)ラインナップ。久しぶりのオールナイトだったけれど、しっかり楽しんだ。サマソニの深夜公演は初めてだったけれど(ソニマニは除く)、前述の通り充実のラインナップだったからか、入場規制が掛かるほどのお客さんが入っていた。さすがトム・ヨーク。

Hostess Club All-Nighterに関しては、BO NINGENという、普段はUKを活動拠点とするロック・バンドに度肝を抜いてしまった。一言で表現するなら、「音が厚いのに緻密で圧倒的なステージングを披露できる外見はゆらゆら帝国みたいなサイケデリックなロック・バンド」という感じだろうか。とにかく凄過ぎたので、この感想は近日中に別エントリでまとめたい。熱心な音楽ファンには怒られてしまうかもしれないけれど、トム・ヨークやF.F.Sよりも断然見応えがあった。

***

始発で帰り、ちょっと寝過ごしながらも6時40分には家に着く。3時間寝て、8/16(日)公演に妻と向かう(妻は前日参加を見送っていた)。
サマソニで「体力勝負」を感じたことは無いのだけれど、前日はオールナイトだったので仕方ない。前日夕方に仮眠を取ったのでレッドブル1本飲んで体力はだいぶ回復した。そんな錯覚に陥りながら向かう海浜幕張は、もうちょい近けりゃ良いのになとやはり思う。

13時に会場入り。MAN WITH THE MISSIONの狼お面を横目で観ながら、妻と色々なステージをくるくる歩き回る。これから幾つも演奏を楽しむわけで、序盤はこれくらいまったりと過ごした方が良いとフェス通を気取るのだけど、実際のところ手持ち無沙汰は否めない。何となく演奏を楽しむ。
野外のGarden Stageに行ったのは初めて。「こんなに野外感があるイメージはサマソニに無かったなあ」というYo-Kingの言葉に完全同意。こんな炎天下の中で野外感のあるステージの需要がどれくらいあるのかは正直不明だ。収益面と運営面の両方を考えたときに、この場所をポツンと用意しておく必然性も多少はあるかもしれない。

真心ブラザーズの後にマリンステージでZeddを見るというアイデアもあったのだけれど、ちょっと間が空いてしまうので幕張メッセに戻る。暑いのでビールが美味い。
WALK THE MOONやBEST COASTを、浅い眠気の中で観る。バキッとした音楽が聴きたいなと思っていたところで観たのが、マウンテンステージでのMODESTEP。決してパンクというジャンルには括られていないバンドだけれど、自然に身体が反応した。かなり前方で観ることもでき、ブンブンと鳴るベース音も刺激的だった。1年前のPUNKSPRING以来、けっこうパンク(に近い音)にも馴染むことができている。趣味趣向の変化。もっとも僕の中でMODESTEPはBACK DROP BOMB(大学生のときから好き)と被る部分も多く、すんなり入れたのかもしれない。佇まいも格好良かった。

郷ひろみはヒットチューンの連発。何十年もスターを張っていることに納得性を感じた。CARLY RAE JEPSENも相変わらず「Call Me Baby」良かった。それにしても郷ひろみ良かったなあ。一瞬でフロアは郷ひろみの世界に染まってたし、お客さん全員が郷ひろみのコールアンドレスポンスに応えていた。GO!GO!

そして最後はPharrell Williams。この日初めてのマリンステージ、ヘッドライナーにしてはお客さんの入りが大人しかった印象だった。裏はディアンジェロ大先輩。バランス良くお客さんが分散したのかもしれない。おかげで開演ギリギリの入場であったにも関わらず、前方に位置取りできた。
僕にとってファレルは、言ってみれば「Happyの人」。N*E*R*Dも聴いたことがないし、彼がプロデューサーとして手掛けたプロダクションにも関心は低かった。だから正直、(クライマックスに披露するであろう)「Happy」まで、どんな感じで時間を潰せば良いものか開演前から頭を悩ませていた。

全くの、杞憂。

ファレルのパフォーマンスは想像以上で、終始激しく、僕はスタンドに入った瞬間からファレルの声やグウンと鳴るグルーヴに心を鷲掴みにされ、直感的に「踊りたい、踊らなければ!」という思いに駆られるのであった。お客さんが密集している最前方まで行くこともできたのだけれど、比較的スペースの空いたエリアに全ての荷物を放り投げ(パーティと聞いていたので色付きのサングラスも持ってきていた。全然、不要だった)、残っていたエネルギーを全て踊ることに集中させた。もう全ての音が楽しみや喜びに包まれていて、エンターテイナーってこういうことなんだよなと思う。郷ひろみ、Jepsen、ファレルという流れはなかなか象徴的だったんだな。

当たり前だけど、
音響機器からの音楽と、生で聴く音楽は全然違う。
一人で聴く音楽と、お客さんがたくさんいる中で聴く音楽も全然違う。

ファレルの音楽は、その事実を改めて思い返してくれたし、それは僕に限らず全ての音楽を愛する人たちにも共通するのではないかと思った。たぶん僕のようにファレルの音楽にそれほど精通していなかった人たちも、あの場所には大勢いたはずだ。そのお客さん全員が熱を帯びていた。
内側から沸いてくる熱のようなもの。それは初めて聴こうが、熱心なファンであろうが関係ない。音楽を愛すればこそ沸き上がる共通体験なのだ。

その熱を共通体験として味わうことができたお客さんがたくさんいることを僕は誇りに思う。
たぶんこれから先に出会う音楽好きの友達も、あの夜ファレルのパフォーマンスを観ていたかもしれない。「良かったよね」「凄かったよね」「楽しかった」「むっちゃ踊ったわ」などのシンプルなフレーズで完結するかもしれない。それを語る友達の表情は、生き生きとしているに違いない。それを聴く僕もたぶん幸福で、それは2015年の熱量が特別にスペシャルだったからなのだ。

それは全てのパフォーマンスにも、多かれすくなかれ同じことが言えるだろう。
共通体験に費やされた時間は僅かなものなのだ(短いもので20分、長くても2時間程度)。
でもそれくらいの短い時間で、しっかりと体験として語れるようになるのは本当に素晴らしいし音楽の力なんだと思う。僕もその接点を、これから持ち続けられるような感受性をしっかり持ちたいと思う。Apple Musicも確かに貴重だ。だけど生の音楽には、それを遥かに超えた柔らかな強度があるように思う。2ヶ月後の朝霧JAM、生の音楽「を」しっかり楽しみたい。

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戦後70年

今日から70年前の1945年8月15日。
昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送、いわゆる玉音放送が当時の日本国民に伝えられた。諸説あるようだが、日本ではこの日が終戦記念日として設定されている。

古市憲寿くんが2年前に書いた『誰も戦争を教えてくれなかった』にもあるように、僕も戦争のことをあまり知らない。終戦記念日とあるが、この日を「敗戦」「終戦」のいずれで記述するかでも数時間の論争が発生するという。

倉本聰さんは、日本経済新聞(8月1日朝刊)における「私の履歴書」で以下のように述べている。

リベラリストを自任してたけれど、右寄りと言われたり、左と言われたりしてきた。ちょうど80歳。終戦のときに10歳の、まぁ戦中派だ。疎開して空襲には遭わなかったけれど、死はすぐ隣にあって怖かった。いつも腹が減っていた。戦争は二度とごめんだ。
国を愛する気持ちはひと一倍だが、愛国心を強調すると右と批評される。国を守るのは大事なことだ。しかし、衆院を通過した安保法制には反対。戦争の臭いがするからだ。そうすると左とレッテルを貼られる。

僕もそんな風に思われること、あるいは糾弾されることを恐れて、この問題に公然と意見を述べることを避けてきたように思う。避けてきただけじゃない、たぶん考えることも停止していたんだと思う。「戦争はダメだ」「平和が一番だ」と言う当たり前の結論に身を委ね、僕はそのプロセスに真剣に向き合わなかったと思う。

古市くんは本の序章で、真珠湾攻撃の舞台になったパールハーバーを訪問した感想を以下のように語る。

アリゾナ・メモリアルの隣には、日本が連合国に対して降伏文書を調印したミズーリ号が停泊している。つまりアリゾナという「開戦」の記憶、ミズーリという「終戦」の記憶が同時に喚起されるような構成になっている。
(中略)
妙な居心地の悪さを感じる場所だった。それは、アリゾナ・メモリアルが僕の持っていた戦争というイメージを、いくつかの意味で裏切る場所だったからだろう。
そこは、あまりにも「爽やか」な空間だった。白を基調に構成された建物は南国の青空によく映える。博物館内の展示物にもグロテクスなものはあまりない。展示はすぐれて「中立的」である気がした。もちろんアメリカ目線ではあるけれども、過剰に戦争の悲惨さを説いたりはしない。日本に対する感情的なバッシングもない。
そして、そこは「勝利」に溢れた場所だった。

戦勝国のアメリカと、敗戦国の日本。
戦争をどのように遺すかということに興味を持った古市くんが語る戦争論。

僕は2012年に韓国に行ったとき戦争記念館を訪ねた。元同僚と別行動で行った理由は何だっただろう。それほど明確に語れる理由は無かったと思う。でも、殆ど人のいない記念館で、異邦人(韓国人ではない私)としての僕は、とても居心地の悪い思いを抱いた。
当たり前のことだけど、日本人と韓国人にとって、「戦争」の持つ印象や意味は違う。

松本人志は自身が主催する番組「ワイドナショー」で次のように述べている。

安倍(首相)さんがやってることに対して反対しているのって、意見じゃないですか?それはただ反対しているだけであって、対案が見えてこない。じゃあどうするのかっていう。前もいいましたけど、このままでいいわけではないんですよ。もしこのままで良いと思っていたら平和ボケですよね。世界情勢は確実に変わっているわけですから。何か変えないといけないんですけど、イマイチ誰もそのことについて(対案を、あるいは論点を)言ってくれない。

松本人志の発言が一部メディアで批難されたりしているけれども、番組を最初から最後まで観ると決して「偏った」ことを言っているわけではない。
対案を、あるいは論点を、というように僕自身が補正してしまった感もあるけれど、僕もそこを聴きたいし、語る術(意思)を持ちたいと正直に思う。

機会があって昨年は長崎に、今年は広島を訪問した。
「原爆」という信じられない虐殺兵器が投下された街で、僕は色々なことを思った。冬の長崎は雨で寒く、春の広島は快晴で汗ばむほどの陽気だった。過去から見た未来(つまり現在)はしっかりと時を刻んでいることを実感した。
僕は過去に恥じない人間になっているだろうか。過去から良質にアップデートされた人間として機能しているだろうか。

戦後50年の村山談話も、戦後70年の安倍談話(昨日発表されたもの)も読んでみた。もう少し色々なインプットをして、何らかの形でアウトプットをしたい。

タイトルを「戦後70年」とした。
だが、こんな風なタイトルを付けること自体が、松本人志の言う「平和ボケ」なのかもしれない。
世界を見渡せば、あるいは世界の中にちゃんと位置されている日本にいる僕らも、もはや戦時中かもしれないからだ。

ちなみにワイドナショーで話していた読者モデルの岡本夏美のコメントも興味深い。東野幸治に振られたとき、

(高校生がデモを行なっていることについて)正直意識があるのは凄いと思うけれど、クラスにこういう子がいたら、引いちゃうというかちょっと入れない。

これも致し方ないと思うけど、参政権が18歳に引き下げられるのであれば、この辺も問題かもしれない。「何が問題なのか」「何がイシューなのか」という感もあるけれど。結構面白いよ、ワイドナショー。