大地の芸術祭(越後妻有トリエンナーレ)に行ってきた

たくさんの失われた窓のために

たくさんの失われた窓のために

僕が最初に越後妻有トリエンナーレに行ったのは前回の2012年。
前職を辞めて、転職活動をしている最中に行ったという記憶がある。
レンタカーを借りて。移動にずいぶん時間を要したけれど、その土地に根付いていたアートの姿に何か新しい可能性を感じたし、その佇まいは都市の中で開かれていた横浜トリエンナーレとは違っていた。

新しい可能性と書いたけれど、今もその姿を捉えることは出来ていない。
安直に「地域創生」とか言うつもりは毛頭無いし、だからと言って、そこから経済振興を目指している人たちのことも否定しない。僕はアートが持つ力の大きさを感覚的に価値と感じていて、それが正の連鎖を生んでいくのではないかと思っている。

大地の芸術祭を強力に推進した、アートディレクターの北川フラム氏はこんな風に話している。http://next.rikunabi.com/journal/entry/20150120

当初は「アートはこういうものだ」という説明は一切しませんでした。「とにかくやりましょう!おもしろいよ」ってことだけを言い続けた。日記を読み返してみたら、準備に入った1996年から開催する2000年までの4年半の間で実に2000回を超える説明会をやっている。惚れた側の強みというか、とにかくしつこく「イイ!」と言ったら相手も憎からず思うでしょう。誰だって自分のルーツを好きと言われたら嫌な気はしないし、まぁ、やらせてやろうかという気にもなってくれるものなんです。半年前からですが、今も週5回は集落の説明会へ行ってます。すると、「やらせてやれや」とか「しょうがないな」とか、皆が言ってくれるんですよ。

現代アートなんて、判らないものだと思う。
実際、自称アート好きの僕だって、何が面白いのかきっちりと言語化できない。
でも、判らないけれど面白いってことはあると思う。
失礼な言い方をするけれど、第6回を数える今だって、地元の人たちが「何が面白いか」なんて判っていないんじゃないかと思う。

それでも、
正の連鎖で、廻れている。
それって価値じゃないか。

そして大地の芸術祭で、僕と妻は、奇跡的な出会いを果たすことができた。
このことも、いずれブログで書ければと思う。

正の連鎖が、広がっていく。

窓枠で切り取られた風景

窓枠で切り取られた風景

草間彌生

草間彌生

色鉛筆

色鉛筆

はしゃいでみたり

はしゃいでみたり

レースもやってた

レースもやってた

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