村上春樹『アフターダーク』を単行本で読んだ

afterdark

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2004年に本作が上梓されたとき、僕にとって「村上春樹の小説を読み始めたかどうかの境目の時期」だったと記憶している。
それは僕が大学生のときだった。今から思えば時間だけが有り余っていた頃で(だのに、何故か忙しい状況を作っていた)、あらゆることに時間を割く自由を持っていた。

「読書」という行為が、当時の僕にとって有効な時間の使い方だと確信していた。
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を初めて読み、その次に2作目『1973年のピンボール』と、順序良く読んだ。その後は短編とか、『海辺のカフカ』とかに飛んでしまったかもしれない。あまり記憶が定かではないが、授業なんてそっちのけで、大学内のメディアセンターにこもり、ただひたすら村上春樹の世界観に没入していった。

1つだけ言えることは、僕が『アフターダーク』を読んだのは発売後しばらく経ってから、時期的には文庫本として売り出されて以降のことだった。
何の意図もない。デジタルデバイドならぬ村上デバイド。彼の小説の発売タイミングなんて知らなかったのだ。村上春樹の主要作品をおおかた読んだ後の「アフターダーク』は、とにかく暗く、しかも物語性が低いもの。村上春樹「らしからぬ」作品だなと思っていた。

僕が好きなのは『ダンス・ダンス・ダンス』であり『海辺のカフカ』であり、後に発売された『1Q84』であったのだ。物語性が高く、明るさも暗さも、真実も虚栄も含まれる作品たち。何度も何度も繰り返し読んだ。もちろん『アフターダーク』も複数回読んだけれど、他作品に比べれば、読む分量は限定的だったように思う。

***

それから時が流れ、2015年11月7日。
その週からどうも体調が芳しくなく、身体からエネルギーが湧いてこない辛い日々だった。
朝はベッドから起き上がれないし、夜は生気もなくこんこんと眠るだけだった。結婚式に参加した火曜日を除いて、お酒も殆ど飲めなかった。本も読めなかったし、小説を書こうなんて意欲も無かった。いくら寝ても眠かったし、いくら体力を消費しないようにしてもナニカが次々と身体から欠落していくのを感じた。

精神疾患の類では無いかと僕なりに心配したけれど、休みに入り、こうしてブログを書くことができている。自分を客観的に見つめることができるだけで、僕はそれほど深く損傷してはいないだろうと安堵している。専門的な見地も無いし、根拠はまるで無いけれど。でも経験上、たぶん僕は、週明けからいつもと同じように戦っていけているはずだ。

もとい。
本棚を物色できるくらいの元気は取り戻せたけれど、やはり、難しい本を読む意欲は湧いていない。
だから、とりあえず村上春樹を選択することにした。困ったときの村上春樹。安心をもたらす一種の清涼剤的な効果がある(と僕は思っている)。

それで『アフターダーク』を選んだわけだけど、本作をご存知の方は「はて?」と思うからもしれない。
前述の通り、病み上がりの人間が読むには、今ひとつ明るさが足りない。深夜23:56〜翌朝の6:52までを描く物語。視点がぐるぐる動く、不定点カメラのような「私たち」が主語。よくよく考えると、結構難しいチャレンジを村上春樹がしていることが判る。中編小説という手軽さはあるとは言え、なぜ僕はこの本を選んだか。

答えは単純。
村上春樹の本は、目の見える範囲での村上作品は、そのとき『アフターダーク』しか無かったからだ。
『アフターダーク』だけ視線の先にあったのは、たぶん運命だったんだろう。

ちなみに本棚に置いていたのは単行本の『アフターダーク』。僕では無く、妻の持ち物である。
文庫本の『アフターダーク』と違い、単行本の『アフターダーク』は、当たり前だけど重みがある。
文庫本の装填は上下に明るめのグレイのスペースがあるが、単行本は全体が闇色とも言うべきダークな色調を添えている。僕の微妙な状況も重なったのだろう。これまで読んでいた『アフターダーク』よりも、目盛り1サイズ分ほど「暗さ」が深いなと感じた。
正確な物言いでは無いかもしれないけれど、登場人物たちが抱える闇やコンプレックスが、自分の心にはっきり投影されて、彼らの痛みや迷いや悩みが自分事のように感じられてたのだ。

なぜ、そんなことが起こったのか。
僕は理由を説明できるほどの言葉を持たない。

本作に登場する、マリ、高橋、カオル、白川、コムギ、コオロギ、エリなどは、だいたいが主役を張れるようなキャラクターでは無い。
マリや高橋は準主役くらいの位置付けになれるかもしれない。
だけど、いかんせん主義主張がハッキリしない。キャラクターが立ってないし、こう言っちゃ何だけど浅はかな思考の持ち主だと感じるほどだ。もちろん、村上春樹はそう読者に感じさせるために意図的に書いたのだろうけれど。

村上作品が好きな読者は、彼の登場人物がしばしば哲学的になるのを楽しみにしている。
普段、意識的あるいは無意識的に感じていることを、彼の登場人物は問題提起したり再定義したりする。読者に対してブンブンと鉈を振り回すが如く。

『アフターダーク』でも、「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」と高橋が象徴的な台詞を呟く。
僕の言い方が適切かどうか不明だけれど、あまりに読者に解釈を委ね過ぎているように感じる。小説全編を通じて、伏線の回収に至っているとは思えない。もちろん僕の読み方が甘いだけかもしれないけれど。

だけど、ナニカ、今回は登場人物たちとフィーリングが合ったように感じたのだ。
腑に落ちたことで、物語の闇を逆説的に深め、判らないことが闇となり僕の心を黒く染めたのだと思う。

これからマリがどうなるのか、高橋が実質的に成長できるのか、白川は捕まってしまうのか、コオロギは幸せになれるのか。

方向性さえ、予感しえない。
だけど、それを楽しむ余裕が、今日の僕にはあったのだ。

***

「中学生のときに、中古レコード屋で『ブルースエット』っていうジャズのレコードをたまたま買ったんだよ。古い古いLP。どうしてそんなもの買ったのかなあ。思い出せない。ジャズなんてそれまで聴いたこともなかったからさ。でもとにかく、A面の一曲目に『ファイブスポット・アフターダーク』っていう曲が入っていて、これがひしひしといいんだ。トロンボーンを吹いているのがカーティス・フラーだ。初めて聴いた時、両方の目からウロコがぼろぼろ落ちるような気がしたね。そうだ、これが僕の楽器だって思った。僕とトロンボーン。運命の出会い」

男は『ファイブスポット・アフターダーク』の最初の八小説をハミングする。

「知ってるよ、それ」とマリは言う。

彼はわけがわからないという顔をする。「知ってる?」

マリはその続きの八小説をハミングする。

「どうして知ってるの?」と彼は言う。

「知ってちゃいけない?」

この小説には、どれくらい異なる世界が林立していたのだろう。
混じったり、交わらなかったり。重なったり、すれ違ったり。

闇は物事の境界を曖昧にするけれど、ナニカをしっかり浮き立たせている。
『アフターダーク』はある意味、村上作品で一番、哲学的なのかもしれない。

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