言葉、ことば(2015年10〜12月)

2015年最後のエントリです。
「色々あったけれど」という枕詞に相応しいほどに、2015年は良いことも悪いことも気疲れすることも手放しに喜ばしいことも「色々」あった。

その中でも一生に一度(であろう)、入籍というのはとりわけ僕にとって大きなイベントだ。
ライフステージが一気にアップデートされ、取り巻く環境や考えるべきポイントが極めて多岐に及ぶようになった。「入籍以前」「入籍以後」という区分けが生まれそうなくらい。丸くならず、良い意味で尖り続けていければと思う。

昨年に続き、今年も残念ながら小説を公開することができなかった。
長い作品になればなるほど、自分の意思や意欲を1点に集中する必要性を感じてしまう。本当は時間を決めて取り組めば良いのだが、仕事やプライベートの予定が詰まってしまうと執筆を継続することが困難になる。まあ、これは言い訳というか自分の弱い部分でもあるので、反省すべきポイントとして2016年に活かしていきたい。

前段が長くなってしまったが、2015年10〜12月の「言葉」についてのエントリ。
言葉メモは習慣として、1年以上続けることができている。良い傾向の1つである。

***

12/12
12/11日本経済新聞朝刊 私の履歴書「奥田務」
参考URL:http://www.nikkei.com/paper/article/?ng=DGKKZO94991190Q5A211C1BC8000

儒学の祖の一人である荀子の言葉から採った「先義後利」というもので、その意味は「企業の利益はお客様と社会への義を貫き、信頼を得ることでもたらされる」。天保8年(1837年)に大阪で多くの豪商が一揆の焼き打ちに遭った大塩平八郎の乱があったが、大丸は逃れることができた。大丸は徳義を重んじる家風が庶民にも広く知られ、乱の頭領の大塩が「大丸は義商なり、犯すなかれ」と命じて難を逃れたこともある。先義後利の話を初めて聞いたときに「利益を追求するためにお客さんや社会への言い訳のようなもので詭弁(きべん)だ」と思った。しかし、後に経営者となってすべての経営活動において先義後利の視点を欠くと、必ずと言っていいほどうまくいかなかった。

百貨店業を営む大丸の社長を務め、2007年に大丸と松坂屋ホールディングスの経営統合(後のJ.フロントリテイリング)を主導した奥田務さんの言葉。「先義後利」という言葉は聞いたことがあったけれど、当時の奥田さんのように、まだ僕の中で腑に落ちていない概念だ。僕もこれから経験を積むにあたり、この言葉の持つ意味合いを実感するだろうと何となく予感している。

 

12/1
村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか』。ギリシャのミコノス島を24年ぶりに再訪した際に感じたこと。

「何年か前に改築したから、昔とは印象が違ってるかもしれないね」とその青年が教えてくれた。僕が礼を言うと、ダムディロプロス青年はにこにこと手を振って「アナルギロスの雑貨屋」に戻っていった。島の人たちは(おおむねみんな)親切で友好的だ。そのへんは昔と変わらない。24年が経過しても、通貨が変わっても、辺りの風景が変化しても、冷戦が終わっても、経済が上がり下がりしても、人々の心根にはそれほど変化はなかったみたいだ。それが僕をほっとさせる。なんといっても人の心は、その土地にとっていちばん大切なものなのだから。

間接的に「福島」のことを示唆しているだろう。『職業としての小説家』に書かれていた「個の回復スペース」というのも、場所そのものの不可欠要素について言及していたけれど、円熟期に入っての村上春樹の言葉の1つ1つに深みがある。本書もさくっと読める紀行記である一方で、読んでいて唸らされるような記述もあって、とても学びになります。


 

10/25
数学者・森田真生とグラフィックデザイナー・原研哉との会談
参考URL:http://www.takeo.co.jp/reading/dialogue/15.html

そもそも「マスマティックス」には「数の学問」という意味はありません。「マテーマタ」というギリシャ語が語源で「最初から知っていたことをあらためて知る」という意味なんです。知らないことを知るのではなくて。

1年前に開催されていた竹尾ペーパーショウの企画「SUBTLE」。
「紙」というものの繊細さ、精密さを再発見することができた展示会だったけれど、専門分野の異なる両氏が何度も熱くクロス・オーヴァーしながら「デザイン」「数学」について語り合う本対談は必読です。上述した言葉はその中で身に沁みた一節。イコールという置き換え作業は、誰もが知っている初まり(前提)から展開されていくものだ。前述した村上春樹『職業としての小説家』にも同様の記述がある。同時多発的なリンクが発生している。

森田真生氏の『数学する身体』、原研哉氏の『デザインのデザイン』も併せてオススメです。


 

12/4
松本人志:ワイドナショー(2015年11月29日放送分)。ワイドナ高校生の水谷果穂がワイドナショーの感想を問われて「すごく素直な意見でとても楽しいです」と答えたのに対して放った一言。

誰のことを言うてんねん。誰のことを何目線で言うてんねん。

「一億総ツッコミ時代」という少し前の言葉もあったように、TwitterなどのSNSで批評家ぶることがもはや常態化した昨今、ワイドナショーで女子高校生が何となしに発した一言+松本人志の返しがとても興味深かった。Face to Faceだと、このように「笑い」という温かみのあるコミュニケーションの中で盛り上がるけれど、匿名性の高い空間だとそうもいかない。僕自身もこうしたエントリを続けているけれど、松本人志の言葉は常に意識の片隅においておくべきポイントだと自戒したい。というかワイドナショー、やっぱり面白いです。

 

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ちなみに、
2015年のブログのエントリ数は39本(本エントリを含む)。
一番読まれたエントリは「漫才の歴史が変わったウーマンラッシュアワーの凄さ」。
2013年12月のエントリだけど、ダントツでアクセス数を稼いでいます。なんでだろ。

2015年7〜9月のエントリはこちら
2015年4〜6月のエントリはこちら
2015年1〜3月のエントリはこちら
2014年10〜12月のエントリはこちら

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最後になりましたが、2016年も引き続き「文化とカルチャーの間で」をお願いいたします。
今年は小説も書くぞー!

【Apple Music】2015年音楽まとめ

7月に日本でApple Musicがローンチした。
Spotifyなどの定額音楽配信サービスが日本国内で悉くローンチが見送られていた背景もあって、Apple Musicはローンチ直後から熱烈に日本の音楽ファンに歓迎されていたように思う。テンションの差こそあれど、無料試用期間を経ても、色んな人が使い続けているという声は良く耳にする。

ローンチ直後のエントリで書いたが、待望していただけあって殆ど毎日Apple Musicを使った1年だった。おかげでCDという形態での購入はたった1枚に留まってしまった(買った理由は初回特典のDVDに魅せられたため)し、TSUTAYAさんにも1度も行かなかったと思う。それはそれで寂しいかもしれないけれど、少なくとも昨年に比べれば数段音楽への関心度は高まったと思う。間違いなく。

このエントリでは、そう言った御託はさておき、Apple Musicで良く聴いた作品をピックアップしていければと思います。思いつきのまま、順不同で。2015年にリリースされた曲には「★」をつけておきます。半数以上は2014年以前の音楽ですが、改めて良さに気付いたり、今まで知らなかった音楽に出会えるという利点もApple Musicにはあります。YouTubeへのアクセスじゃ、何だか味気ないものね。VIVA!Apple Music!

クラムボン「triology」

クラムボン「triology」。5年ぶりのオリジナルアルバムでした。

Kai Takahashi「Soda Pop - Single」

Kai Takahashi「Soda Pop – Single」。軽快なメロディが気持ち良い。

Fishmans「Neo Yankees' Holiday」

Fishmans「Neo Yankees’ Holiday」。改めて良さに気付いた1年でした。

チャラン・ポ・ランタン「テアトル・テアトル」

チャラン・ポ・ランタン「テアトル・テアトル」。豊洲野音で2回目、素晴らしかった!

The Libertines「Anthems For Doomed Youth」

The Libertines「Anthems For Doomed Youth」。再結成、待ってたよ!

!!!「As If」

!!!「As If」。朝霧JAMでも最高でした!

The Paradise Bangkok Molam International Band「21st Century Molam」

The Paradise Bangkok Molam International Band「21st Century Molam」。バンコクのバンド?に出会えました。

やけのはら「SUNNY NEW INSTRUMENTAL」

やけのはら「SUNNY NEW INSTRUMENTAL」。のんびりした休日に聴いてました。

The Strokes「Is This It」

The Strokes「Is This It」。今までストロークスが良いなんて思わなかったんだけど。

H ZETTRIO「★★★」

H ZETTRIO「★★★」。JAZZなの何なの最高なの?!

 


Kai TakahashiはCanonのプロモーションで楽曲が使用されていて、プロダクトの世界観にピッタリだなと感心した。アーティストにも企業にもプラスになるということは、カルチャーにとっても価値があること。Pharrell Williams「Happy」の時も感じたけれど、こういうプロモーションがむくむくと伸びてくるのは本当に見ていて気持ちが良いものです。Kai Takahashi(高橋海)はLUCKY TAPESというバンドのフロントマンとのこと(こちらはApple Musicでは配信されていない様子、残念)。要チェックです。

 


H ZETTRIOは最新アルバムはApple Musicで配信されていないのが本当にもったいない。
あまりに悔しいので、公式YouTubeの「Beautiful Flight」をEmbedしておきます。超かっこいいです。朝霧JAM2015ではRafvenの裏だったのでめちゃくちゃ空いていたけれど、演奏が洗練されてて本当に良かった。彼らのホーム・グラウンドで、彼らの音楽にも酔いしれたい。

 

ということで、特に気になった2つだけは詳述してしまいました。
クリスマスイヴにはThe Beatlesの楽曲も配信されたし、邦楽もどんどんラインナップしていけば良いのにと思う年の瀬です。

2016年の音楽ライフも楽しみ。
というか、自分でも色々生み出さなくちゃ。

積ん読リストを年末にちょっとだけ片付けた

2015年は意識的に本を読んでいこう。
そう決意した年始の誓いだったのだけど、残念ながら、積ん読リストは殆ど更新されず。。。
それでも、2015年12月とある日に気付けたのは良かった。積ん読リストをちょっとだけ片付けたので報告を。

***

◆『イノベーションのジレンマ〜技術革新が巨大企業を滅ぼすとき〜』クレイトン・クリステンセン


イノベーションって、言葉にするのは簡単だけど、本書を読んでみて実際にイノベーションを目指せる組織にするのって本当に難しいんだなと実感した。

要約すると技術には2種類(持続的技術と破壊的技術)ある。
前者はこれまでと同様のビジネスモデルが通用するが、後者は通用しない。
多くの既存顧客は当初は破壊的技術を取り入れたプロダクトなど欲していない。なので企業側も破壊的技術を取り入れようか経営判断に悩む。そのように市場に対して逡巡している間に、破壊的技術をメインに据えてきた企業が市場を独占し、巨大企業(持続的技術でメシを食ってきた企業)を蹴落としてしまうというのがだいたいの要旨で間違いないだろう。

思い当たる節は幾つもあって、自分事として納得することが多かった。難解な箇所もあり何度も船を漕いでしまったのだが、経営本としては「古典」にあたる本書を年内に読み切ることができて良かったと思う。

◆『ジョナサン・アイブ』リーアンダー・ケイニー


AppleのChief Design Officerであるジョナサン・アイヴにフィーチャーした本。

ブランディングやマーケティング、プレゼンテーションに関するApple関連の著書は山ほどあったけれど、純粋にデザイン(の本質)にフィーチャーする著書はなかなか少なかったように思う。デザインを取り上げるならば彼をフィーチャーしないわけにはいかない。秘密主義のAppleの中で、筆者が丹念に取材し続けたのが分かる1冊になっている。

終盤は、やっぱりスティーヴ・ジョブズの言及が多く、主役であるジョナサン・アイヴのお株をほぼほぼ奪ってしまった。そのティッピングポイントは、Appleがもともとデザインに対して持っていた価値観が昇華して、かなり最高度水準まで洗練されてきたことで、「デザインが前提」としてAppleの中に浸透していったことを証明しているようにも思う。

ちなみに本書は特にジョナサン・アイヴにオーサライズを取っているわけではなさそう。
この手の人物評は過剰に良く描かれるか、その逆かどちらかなことが多いけれど、非常にフェアな視点で書かれているような印象を受けた。

彼に影響を与えたロバート・ブルーナー(かつてのAppleで工業デザイン部門の責任者を務め、ジョナサン・アイヴをAppleに引き抜いた人物)の言葉も面白い。

退屈な仕切り机の中ではデザインなんてできない。そんなところじゃだれも働きたがらない。天井が高くて気持ちの高揚するようなオープンスタジオが絶対に必要だ。それがものすごく大切なんだ。それが仕事の質を左右する。やる気を生むんだ。

***

まだまだ積ん読リストがいっぱいあるので、2016年こそはしっかりインプットの質を高めていきたい。

〜coast to coast〜 房総半島横断60k雑記(2015年12月20日)

2015年最後のチャンレンジは、千葉県房総半島で行なわれた「〜coast to coast〜 房総半島横断60km」を選んだ。
以前から興味のあった、トレイルランニングへの初めての参戦だ。

文字通り、鴨川市、君津市、富津市、鋸南町という千葉県内の3市1町を横断するレースになる。
房総半島の安房小湊駅近くの内浦海水浴場を出発し、66キロを12時間で駆け抜け、浜金谷駅を目指す。外房線の安房小湊、内房線の浜金谷。電車移動だったとしても1時間半ほどを要する。

コース前半

コース前半

コース後半

コース後半

高低差

高低差

コースマップを見ると、見事に山の中という印象を持っていただけるだろう。
初めてのトレランで60キロ超。どれくらい困難なレースになるのか予想もつかなかった。

だが僕には、サロマ湖100kmウルトラマラソンを走り切った自負があった。
やれないことはない、そう直感した。

走る前、多くのランナーがどんな心情を抱いているのか知る由も無いけれど、こと自分に関しては「走りたくねえ」と思う。
フルマラソンなら4時間、ウルトラマラソンなら13時間、これだけ長い時間を真剣に走らなければならない。レース中に、必ず絶望感に襲われる瞬間がある。安穏無事にレースが終わることなんて絶対に無い。そのことを知ってしまっているから、実際に弱音が口をつく。レースに申し込むときは「やってやるぞ」と意気込むのだが、レース直前は見事にそんな思いが萎んでしまう。

考えてみれば。
その繰り返しで今までレースに臨んでいるみたいだ。
早々に頭をもたげてくる「走りたくねえ」気持ちを、まずは胸の奥に仕舞い込まねばならない。

早朝に始まるレースは、アラームが鳴る少し前に目が覚めるのが常だ。
睡眠時間が明らかに足りていないときでも、身体は来るべきレースのことをしっかり意識しているから、目が覚めてしまうのだろう。

この日は会場から徒歩15分内のところに宿をとったので、4:45起床(レースは6:00から)とした。
ホテルが用意してくれた朝食を急いでかき込み、アンダーアーマーのコンプレッションウェアに腕を通す。この辺りで、ようやくレースへの覚醒が始まっていく。

今回は初めてのトレイルランニングということで、事前にコースマップをもとにメモを準備していた。
エイドが約12.5キロ間隔であるため、

12.5キロ(第1エイド):2時間以内
25.0キロ(第2エイド):4時間以内
37.5キロ(第3エイド):6時間以内
50.0キロ(第4エイド):8時間以内
61.5キロ(第5エイド):10時間以内
66キロ(ゴール):11.5時間以内(走行禁止区間もあるため余裕を持たせた)

というペース配分にした。何度かシミュレーションしてみたけれど、至ってシンプルな形になった。
序盤に多少の余裕を持ちながら歩を進めていけば、後半のアップダウンも歩きを取り入れながら進んでいけるという寸法だ。
エイドでは、それほど充実した飲食を楽しめる訳ではなさそうだ。また山の中を走るためにコンビニなどに寄れる可能性も低いだろう。各エイドで食せるように、ゼリー飲料を6つほどリュックの中に忍ばせた。着替えも含めるとリュックが少々重くなってしまった。それでも、背に腹は変えられない。

***

スタート地点

スタート地点

スタート地点の朝日は仄暗い内浦海水浴場を厳かに照らしていた。

【朝日と共にスタートし、千葉県房総半島の変化に満ちた地形の中を海から海へ60kmに渡る旅をして、夕日と共にゴールする】というのがこの大会のキャッチフレーズだ。まさに1日を通じての「旅」だし、その工程は太陽と共に歩んでいくわけだ。

参加者約300人が、スタートの号砲と共に一斉にスタートする。
毎度のことながら、軽く身震いする。これほどの人たちが完走を目指して走るということ。クタクタによれた装備と鍛え上げられた両の脚。見れば日頃、いかに真剣にトレーニングに勤しんでいるのかがすぐ判る。

静かに、確実に気持ちが盛り上がっていく。

最後方に近い位置から、まずは歩くようなペースを保ちながら前進する。
思いの外、参加者の足取りは軽く、1キロ6分台くらいのペースで前進しているように感じる。前述したペースで行くのであれば、1キロ10分台でも構わないくらいなのに。
僕ら(友人の山ちゃんと参加)は意識的にスピードは抑えることにする。なるべく肉体が消耗しないように。前半戦を抑えすぎくらいのペースで走ることが望ましいだろう。

スタートから20分ほど。徐々に進路は緩やかな上り坂になっていった。県営のキャンプ場に至る道である。
「歩いても良いんじゃないか」友人と話すが、傾斜の角度によって歩く/走るを切り替えていくことで合意する。フルマラソンのベストタイムは僕の方が上だけれど、直近のレースやトレーニングは明らかに友人の方が充実している。脚力で劣る僕は、慎重に傾斜とタイムを見極めながらレースマネジメントに徹することにした。

電車で数時間揺られて本州の端っこまでやって来たのだ。
完走せずには帰れない。それは2人が共通で抱く思いだった。

6〜7時、7〜8時という時間帯の中で、確実に太陽は昇っていく。
朝の薄暗さは無い。海を朝日が染めている。その様子を山から見るのはなかなか壮観だった。
まだまだ元気な僕は、iPodを取り出して写真を撮りながら走った。

朝日が綺麗でした

朝日が綺麗でした

朝日とともに走る

朝日とともに走る

第1エイド(12.5キロ地点)を予定よりも早く通過すると、ロード、林道を経て山道に入った。
レース全体を通して林道の比率が高かったのだが、12.5〜25キロ内に限っては山道(いわゆるトレイル)を走ることのできるコース設計となっていた。トレラン用のシューズを用意した僕としては、山道をソールでしっかり掴むような感覚がたまらなく楽しくて、自然とスピードが上がってしまった。他のランナーが歩くような階段をピョンピョンと駆け上がってしまったが、さすがに脚力のある友人も閉口していた。確かにここで「はしゃいだ」ことが、以降のペース配分に影響をしてしまったかもしれない。

高低図を見る限り、第2エイドまでは下りが多いはずだったのだが、山道がメインだったせいか、4時間を若干上回るタイムでの第2エイド到着となった。到着直前で転倒するというハプニングも(しばらく左腕の痛みが引かなかった)。その辺に腰掛けると、脚に疲労が蓄積されているのが判る。
低体温症に襲われたのだろう、第2エイドでは頭まで毛布にくるまって暖を取っていたランナーがうずくまっていた。低体温症と脱水は、走っている中で突然訪れるもの。「大丈夫だろう」とタカをくくっていると痛い目にある。そのことは2014年1月の勝田マラソンで学んだことだ。水分とエネルギー補給だけはしっかり行なった。

第2エイドを出発すると、数キロはロード(アスファルト)を走ることになる。
硬い地面は、踏み込みの反発が想像以上に強い。友人についていくのでやっとという感じになってしまった。

友人から適宜休憩も提案されるが、コースマップによると傾斜の大きい上り坂がこの先に待ち受けている。
そこまでは多少の上り坂も我慢して走ろうと話し合った。こんな風に二人で走るというのはプラス面も大きい。
どちらかが体力消耗したときは、どちらかが前に出て走る。風除けとペース作りのためだ。別にお互いが提案したわけではないけれど、第2エイドを過ぎてからは、自然とそんな風にペースを作っていけたように思う。

第3エイドにはスタートから5時間55分ほどで到着。関門が7時間半だから、多少の余裕を持てていることになる。
第3エイドまでは上りが比較的多かったが、殆どが林道だったため走りやすく感じた。
新しいコンプレッションウェアに着替え、友人とコースを改めて確認する。第4エイドまでは下りが多い。山道が無ければ、8時間以内にて到着するだろう。

そのような見込みで出発したのだが、第4エイドまでの道のりが一番キツかったように思う。
走り出しの感触は悪くなかったが、既に両脚の踏ん張りが効かなくなってしまっていた。下りで速度をコントロールできなくなったのだ。惰性のまま、流れるようにスピードが上がってしまう。
スピードが上がることは悪くはないと思われるだろう。ただし速度をある程度抑制しないと、確実に脚のエネルギーが奪われ、疲労だけを蓄積させてしまうことになる。

加えて、僕がコースマップの読み違えをしてしまった。
「もう少しで着くのではないか」「もうアップダウンはないのではないか」とアテもなく走るが、幾度となくアップダウンが現れる。その度に心が折れかかる。うんざりしながらも上りと下りを繰り返す。

結局、ショートカットなどはどこにも無いのだ
地道に、1歩1歩を刻んでいくしかない。

第4エイドにようやく到着する頃には、フラットな道でさえも歩くようになっていた。
タイムは8時間。当初の想定通りのペースということにのみ、救われた。

熱と冷えが交互に身体を蝕み、リュックサックを枕に横になる。
前日に喉が激しく痛んでおり、身体も風邪を引いたときのようなダルさがある(やっぱり風邪でした)。
とは言え、残り16キロ。決して短くは無いけれど、絶望を感じるほどの距離では無い。なんせ、まだ4時間の猶予がある。休憩を十分とって、次のエイドに向けて走り出した。

もっとも、序盤は傾斜の大きい上り坂。
僕らは無理せず、歩くことにした。友人とくだらない話(小室哲哉は詞が良いのか、メロディが良いのか)をしながら、上りが終わるのを待った。ときに声を上げて笑うこともあった。

ここでリフレッシュできたのが奏功したのかもしれない。
疲労が一巡したような感覚があった。

第4エイドを出発してからは、適度にスピードをコントロールできるようになっていた。
下りだったとしても、スピードを適度に抑えることができた。体幹を上手く使って走れていた。フォームに無駄が無くなったのだ。
この一連の所作は無意識に始まり、意識的に継続することができた。第5エイドまでの区間でそれほどタイムロスしなかったのは、ここで僕自身に踏ん張りを効かせることができたからだと思う。周りを見る余裕さえ出てきた(ニラみたいな葉脈の花がやたらあるなと感じたことを覚えている)。
加えて、人の幻想にしばしば遭遇した。色付いた紅葉がランニングウェアに見えたり、遠くで見える人たちが実は葉っぱだったり。300名規模のレースでは、常に周囲にランナーがいる状態ではないのだが、やはりランナーが目に見える位置にいると知らず知らずのうちに安心していたのだろう。

一種のランナーズ・ハイだったのかもしれない。

採掘場にて

採掘場にて

やがて石の採掘場に行き着く。
ここまで来れば、最終エイドまで残り数キロ。つまり採掘場はスタートから58キロ程度走ってきた地点であることを意味する。この採掘場はなかなかの難所だった。石でできた粗い階段を上らなければならないからだ。

二人で走っていると、それまで抜きつ抜かれつを繰り返してきたベテランランナーの方に「良いコンビですね」と声を掛けられた。そうかもしれない。青春漫画のように叱咤激励するような関係性ではないけれど、たぶん彼がいなかったら、これくらいのペースを保持できなかったと思う。もっと歩いてしまっていたかもしれない。

採掘場を経て、林道、ロードと続く道をしっかりと進む。
疲労はそこそこに感じるが、下りに限っては安定感を保てていた。

最終エイドに到着する。ゴールまで、あと4.5キロだ。
スタートから10時間10分が経過していたが、この時点でも想定通りのレース展開だった。
休みながら数名の参加者と会話を楽しむ。残り時間から推測するに完走は「間違いない」と皆が確信していたんだと思う。キツいコースだったにも関わらず、笑顔になる。

「あまり休憩に時間を使わない方が良いですよ」
とエイドのスタッフが声を掛けてくれた。理由は明白だった。

最後の難関、走行禁止区域でもある、鋸山 日本寺の「階段」が待ち受けていたからだ。
大仏(薬師瑠璃光如来)を見るために1,000段超の階段を登らなければならない。
いくら走行禁止区域だからとは言え、60キロを走った後に「階段を歩く」というのは途轍もなく脚に負担のかかることだった。顔を上げて進むことができない

そもそも僕はそれほど上りを苦手とするタイプでは無いのだ。
だけど、1段1段を、それこそ鋸で脚を削られるような思いで登っていかなければならない。手すりがないところ、道幅が狭いところなど、フラフラな僕は少々危なっかしく見えただろう。階段を登った先にそびえ立っていた大仏はかなり迫力があり、思わずお参りをしてしまった(写真はない。こんな感じです)。

しかし、大仏のいる地点は、長い階段路の半分を僅かながら超えた地点に過ぎなかった。ここからもうひと踏ん張りが必要だった。この頃になると、言葉数も少なくなり、友人の後ろをひたすらついていくだけに終始した。陽も沈み、ハンドライトを灯けなければ前も見えなくなるほどに暗くなっていた。

走り続けている限り、「終わり」は必ず訪れる。
階段を登り切ると、夕暮れの房総半島、東京湾岸が見える山頂展望台にたどり着く。絶景だったように思う(疲れ過ぎていて、横目でしか見れなかったのだ)。だが、写真も撮らずにゴールを目指す。

ここまでキロ表示やエイド到達を示す看板など一切無かったが(タフなレースなのだ)、ようやく「ゴールまで残り2キロ」という看板に出会う。時計を見ると、17時15分。走行禁止区間でジリジリと時間を浪費するかもしれないという焦りもあったが、地道に歩を進めていくと、車の行き交う道路にぶつかった。

ここからは走っても構わない。
まあ、歩いても何とかゴールできるだろう。

残り1キロで自分に甘えることもできたが、結局は走ることにした。どれくらいまともに走れるのかは不明だったが、ここまで抜きつ抜かれつのレースを展開してきた他のランナーは着実に走り始めていた(すごい)。
僕も重くなった脚に発破をかける。脚が応えてくれるのを実感する。何と言っても残り1キロなのだ。さっさとゴールしたいではないか。

町に入ったが、しばらくは灯りや人気の少ない場所が続き、「本当にゴールがあるのだろうか」という不安があった。暗い道で、僕らの息遣いしか聞こえなかったのだ。
杞憂だった。5分もすると、ハンドライトを照らす必要が無くなったのだ。道沿いにキャンドルが灯され、疲弊した心を温めてくれた。何よりゴールが近いことを示唆している。

そこで、僕の背中をふと押されたような感覚があった。
スピードが上がり、前方に走る二人のランナーを追うように指示された。
ストライドも大きくなり、最後の力を振り絞る。まず女性のランナーを、ゴール直前で男性のランナーを抜く。男性からは「ナイスラン」と声を掛けられる。軽く頷く。お互いの健闘を讃え合うということ。

「FINISH」。両手を上げて、黄色のゴールテープを切った。
11:37:33でゴール。もう走らなくても良いんだ。

FINISH!

FINISH!

30秒後に友人もゴールする。
僕自身の暴走で一緒にゴールすることはできなかったけれど、とにかくお互いが完走を果たせた。

近くの銭湯に寄って、汗を流す。
早くも筋肉はカチコチに固まり、ろくに歩けなくなっていた。
それでも、もう走らなくても良いんだという安堵感があった。こんなに疲れたのに、次のチャレンジを頭に描いている自分がいた。いつものことだった。また走らなければ。

***

最後に。

前日の12月19日(土)に、父方の祖父が亡くなりました。
葬儀は翌日の月曜日だったことから参加を決断しました。
どうしても走っている最中、祖父との思い出が蘇りました。もちろん泣きはしなかったけれど。
レース中、脚がなかなか言うことを聞かないような大変なときもありましたが、結果的に何とか乗り切ることができました。何度かの試練のたびに、祖父が背中を押してくれたのかもしれません。

安らかに眠ってもらえればと切に願います。

晩秋の趣あり

晩秋の趣あり

第2エイド目前で転倒

第2エイド目前で転倒

山道でテンションが上がる

山道でテンションが上がる

サンタランナー

サンタランナー

初めての舞台『稔』に行ってきた(その感想)

minoru

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「文化とカルチャーの間で」というブログを書いていながら、
文化なりカルチャーなりに関して、僕が語れる守備範囲は非常に狭い。

小説を読んだり、音楽を聴いたりはするけれど、
その類の熱心なファンの方々に比べれば大したことない。
映画に関しては年に何度か映画館に足を運ぶレベルで、映画好きな友人と映画に関する話題を共有するのも憚られてしまう。(自分の性格ゆえに、そういう話を振ってしまいがちなんだけど)
クラシック、ミュージカル、歌舞伎などの伝統芸能、落語、サブカルチャー、ゲームなどなど、狭いどころか、語れることが皆無のものも山ほどある。

偏り。
全てを網羅することは、なかなか難しいだろう。
だけど少なくとも、食わず嫌いや先入観などは持たぬよう、心掛けたい。

***

さて。
そんな前提のもと、初めて「舞台」なるものに行ってきた。
ザムザ阿佐ヶ谷という、100人が入るかどうかというハコ(そのサイズがどれくらいなのかも僕には判別つかない)。
舞台の名前は『稔』。11/7〜12まで計9回公演されていた。
その回数がどれくらいの水準なのかも、やはり僕には判別つかないのだが。

既に舞台は終わってしまったので、多少あらすじを書いても良いと思う。
男性登場人物の殆どが『稔』という名前。訳あって集められた稔たちが、自らのバックグラウンドを自分語りする。内面を描きながら、他者である私たちに心情を移入させていく。舞台背景が次々に変わることは無い。トーンはだいたい一定に保たれている。だが長回しの台詞がそれぞれ展開されていくので(1人も噛まなかった。すごい!)、間延びせずに舞台を注目することができた。

というか、
ちょっとでも気が緩むと、ついていけなくなるのだ。

なかなか脚本も練られている。
伏線と思われる仕掛け(違和感)があるのだけれど、お客さんに判るか判らないかの絶妙なバランスを保ちながら放たれていた。つまり、だいたいの伏線は、劇中にお客さんが拾っていける(もちろん、意図的に構成されている)。演じられている「現在」と、演じられていた「過去」をお客さん自身が繋ぎ合わせることができる。能動的に舞台に入っていけるということだ。

ちなみに、
肝心要のラストシーンの伏線を、僕は劇終了後に気付くことができた。
「うわぁ、気付かなかった!」という悔しさと共に、「あー、なるほど!」という爽快感がしっかりあった。主演を務めた木田健太さんとも話ができたけれど、してやったりな表情が印象的だった。

そういう演出の妙だけでなく、
100人が入るかどうかというハコという環境が面白みに拍車をかけている。
お客さん同士、あるいは役者との距離が近接していることの効果だろう。息を呑む音、役者の呼吸や汗、感情の高ぶりと共に充血していく役者の眼…。普段ダラっと、ドラマや映画を観る感覚とは、かなり違って、演劇の中にすっぽりと呑み込まれてしまう感覚があった。

前述の通り、演劇に関して比較対象を持ち得ない僕だけど、とても面白かった。
舞台に行く人の気持ちが判ったし、(傲慢かもしれないけれど)舞台に心血を注いでいる人たちの気持ちも判る気がした。

観ること、観られること、そのダイナミズムが「舞台」という装置を通じて、直接的に結びつけている。
いつでもどこでも何度でも観ることのできるユビキタスな時代と相反するアナログなそれは、たぶん今後も消えることは無いだろう。役を演じる人たちに、惜しみない拍手を送りたい。