いとうせいこう『想像ラジオ』を読んだ

いとうせいこう『想像ラジオ』

いとうせいこう『想像ラジオ』

「話し言葉」
「会話中心」

時々、そういったフォーマットの小説を読むことがあるけれど、当たり外れが結構激しいので個人的にはあまり好みません。
あまりにリアリティを意識した「話し言葉」が綴られていると浅いと感じるし、一方で小説というフォーマットを意識したものだと流れが悪く会話として成立しない。

ラジオを聴いているからこそ、
ラジオというフォーマットが生きるわけで、
ラジオを小説にそのまま置き換えたとて、その瑞々しさがそっくり移行されるわけでは決してない。ということ。

特に、わりと日常的に「読書」に勤しんでいる人たち(村上春樹は全国民の5%くらいだと見積もっている)は、意識的・無意識的に関わらず小説というフォーマットにどっぷり浸かっている。
起承転結があり、地の文があり、適切な人称の形があり、常体と敬体があり、作家独自の文体があり、過去からの適切な引用があり、時代の不文律がある。ルールとか、マナーとか、そういった呼び方でも支障は無い。そんな中で、「話し言葉」「会話中心」の小説というのは奇を衒っている印象を持たれがちだし、前述のルールないしマナーにそぐわない側面が生じてしまう。

だから、

こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。
こういうある種アイマイな挨拶から始まるのも、この番組は昼夜を問わずあなたの想像力の中でオンエアされるからで、月が銀色に渋く輝く夜にそのままゴールデンタイムの放送を聴いてもいいし、道路に雪が薄く積もった朝に起きて二日前の夜中の分に、まあそんなものがあればですけど耳を傾けることも出来るし、カンカン照りの昼日中に僕の爽やかな声を再放送したって全然問題ないからなんですよ。
でもまあ、まるで時間軸がないのもしゃべりにくいんで、一応こちらの時間で言いますと、こんばんは、ただ今草木も眠る深夜二時四十六分です。いやあ、寒い。凍えるほど寒い。ていうかもう凍えています。赤いヤッケひとつで、降ってくる雪をものともせずに。こんな夜更けに聴いてくれてる方々ありがとう。

といきなり導入されても、初回はついていけない。それも無理からぬことなんじゃないだろうか。

ただ、著者は話し言葉を武器に仕事をしている(□□□のメンバーだったり、タレントとしてテレビに出たり)だけあって、読み進めているうちに、徐々にラジオを聴いているかのような錯覚に陥るから不思議だ。本書がベストセラーになるのも理解できる(裏表紙に「ベストセラーとなった」と書いてあるので、しっかり売れたのだろうと推察している)。
これだけ書くとあまりに乱暴なので具体例を一つ挙げると、主人公のDJアークの人柄や声色を想像し、何となく読者の耳元で展開されているような気分を味わえるということだ。
多かれ少なかれ、良い小説というのは、登場人物に感情移入してしまうものだし、自分が原作を映像化するときの妄想さえ勝手にしてしまうものではないかと僕は考えている。だからこそ実際に映像化されたときに、愛読者は不平不満を漏らしてしまうのではないだろうか、その思い入れの強さから。

僕はこの小説を映像化するときの妄想はしなかったけれど、DJアークの声をけっこう具体的に想像した(妻もこの小説を2年前に読んでいたけれど、面白いくらいに僕の印象とは異なっていた)。彼が章を経るごとに「弱く」あるいは「潔く」なっていく様子も、彼と同じレベルで気持ちを寄せることができたように思う。東日本大震災という重いテーマを、軽やかかつ誠実に描けるいとうせいこうの筆力は、世間で評価されているよりもずっと高いように僕は感じた。

なかなか作家間では辛口な評価もあるみたいです。
僕は、近々もう1度読みたいなと感じましたけどね。
想像の中で。

想ー像ーラジオー。

***

なお、そのときApple Musicで聴いていたThe Whitest Boy Aliveの「Rules」という2009年の作品が個人的にすごく好みだったのでご紹介しますね。
この時代のバンドって、現時点で解散しているのが殆どで、彼らも残念ながら例に漏れずといったところですが。。。

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