言葉、ことば(2015年7〜9月) 

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7〜9月の集約が思いの外、遅れてしまった。
印象的な言葉はたくさんある。だけどそれをキャッチアップできるのは、その当人次第だと常々感じる。同じ言葉を発していたとしても、著名人か一般人かで受け止められ方は変わる。「お前が言うな」と糾弾されることもある。

このエントリを続けていくにあたり、そのあたりのバイアスに影響されず、少しでも価値のある言葉を拾っていくことが重要だなと思う次第である。

余談だが、10/26から僕は自分のMacに新OS「OS X El Capitan」をインストールさせた。新機能の1つ「ライブ入力」、未だ慣れないけれど、なんやかんや続けている。凄いかもしれないと思うからだ。キーボードを打っているとき、人間は色々なことを考える。その打ち方が変わるということは、自らの思考過程を変えると言っても言い過ぎでは無いと僕は思う。まだ利便性は高くないけれど、「ライブ入力」をOFFにするには、早いんじゃないかって思います。

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8/19
『“ひとり出版社”という働きかた』(西山雅子)谷川俊太郎の言葉

自分の詩の理想型をそのように(道ばたの草)想い描いている。つまり、詩というのは、なにかを伝えるものじゃなくて、そこに存在するものだと思っているのね。道ばたの雑草はなにも意味していないし、伝えようともしないけれど、そこにあるだけで美しいわけでしょう?人が見て、感じる力さえあれば。本もそれと同じでいいと思うよね。だって今もう、どんなにいい作品もストックになりようがなくて、全部フローで流れていくじゃない。

自分でもブログを書いたけれど、改めてこの本は面白いなと感じます。詩人・谷川俊太郎がいつまでも情報に対する感度がみずみずしくて驚くばかりです。なかなか書き手で「コンテンツは全部フローだよね」って言い切れる人はいないと思うから。本書を読んでいただければと思うけど、だからと言って、自分の仕事に対して誇りを持っている姿勢が僕はさすがだなと思うわけです。

 

8/21
『コミュニティデザイン』山崎亮

いえしま地域の場合、まちづくり活動もさることながら、主幹産業が衰退する中で新たな産業をどう生み出すかということが大きな課題だった。(中略)採石業の後に観光業に取り組む場合も同じ轍を踏まないように気をつけなければならない。いえしまをリゾート化して、一度にたくさんの人が呼べるようにすれば、一時的に景気が良くなるかもしれない。しかし何年かあとに尾奈じような課題に直面することになるだろう。じわじわと観光拠点をつくり、じわじわと観光案内人を育て、じわじわと町民におもてなしの心を理解してもらう。その間、じわじわと来訪者が増えてくれば、その対応にあわてることもなく、借金して設備投資する必要もなく、急に人を雇うこともない。観光まちづくりをゆっくり進めることにはそれなりの意味があるのだ。そしてその速度は、住民が試行錯誤を繰り返しながらプロジェクトを推進し、そのプロセスで主体性を取り戻すための重要な時間をあたえてくれる。コミュニティデザインにおいて「ゆっくりであること」は大切なことだ。

即効性なんて、どこにも無いんだという話。
あるいは、即効性があったとしても、それにこだわるのは良くないよねというメッセージかもしれない。
人が、人の手を借りて、人の手の中で、じわじわと成長していくっていうのは、人も組織も地域もプロジェクトも変わらない。家島を始め、様々な地方で実績を上げてきた氏の言葉は、じっくりと重みがあります。4年前の情熱大陸も面白かったので、改めて見直してみようかなと思います。(ていうか、もう4年も前のことなのか・・・)

 

9/7
日本経済新聞「私の履歴書:荒蒔康一郎」
参考URL:http://www.nikkei.com/article/DGKKZO91172230R30C15A8BC8000/

「先生、今度の宿直はいつですか。お邪魔してもいいですか」。中学2年の夏休み。理科の鈴木直之先生が学校に泊まる日を楽しみにしていた。生物への興味は年を追うごとに高まっていて、大学出たての鈴木先生は私たち生徒の疑問に親切に答えてくれた。口癖は「興味があるならやってみな」。

(中略)話を中学時代に戻そう。先生から解剖の手ほどきをしてもらった。カエル、ウサギ、ネズミ、マムシなど。田舎ならではの贅沢(ぜいたく)な学習だと思う。胴体が太くなったマムシを解剖すると、いくつか卵がでてきた。マムシは卵胎生でお腹(なか)の中で孵化(ふか)して、出てくると聞いて驚いた。大学時代にはこの時の解剖の腕前が役に立つ。理屈はわかっても納得せず、なんでもやってみることを心がけた。光合成による酸素の作り方は知っていたが、水槽の中に水草からたくさんの酸素を発生させるために重曹をいれ、ライトをあてて出てきた水泡から酸素を採取した。時間さえあれば先生がいる理科室に入り浸っていたのが懐かしい。どんなことでもこの目で見ないと納得しない現場主義の考え方はこんなことから根付いていく。

ほかの勉強はそっちのけ。読書も仏細菌学者、パスツールや野口英世の伝記などばかり。母は「もっと違う本も読みなさい」とあきれ顔。父は黙って見ていた。実は社会人になっても「小さなファーブルになりたい」と酔っ払うと言っていた。

元キリンビール会長の「私の履歴書」、初回の言葉。興味関心というのは本当に大事だけど、幼少期〜青年期にその芽を摘まないように配慮や環境の整備をすることは大人の責務だ。なかなか難しいことだけど、「ファーブルになりたい」と言ってしまうくらいのキラキラした大人だったら信用しても良いかもしれない(否、ちょっと痛いかも。笑)

 

9/20
村上春樹『職業としての小説家』。

そのような自分の体験から思うのですが、自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出すには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいです。考えてみれば、僕らは生きていく過程であまりに多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。情報過多というか、荷物が多すぎるというか、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試みるとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみたいな状態に陥ってしまいます。

スティーブ・ジョブズも似たような思想で、数々のプロダクトを作っていたと多くの方が解釈しているのは広く知られていることだけど、村上春樹の新著を読むと、同様の考え方で、彼の文体は作り上げられたように感じる。自己表現(アウトプット)にはある程度、インプット量が必要であることは間違いないかもしれないけれど、いざ走り出すときには、なるべく荷物は少なくした方が良いってことなのかな。その答えは、自らの試行錯誤の果てにあるだろう。

 

あっという間に、2015年が終わろうとしています。
無事、年末に着地できるよう、もう一踏ん張り。まずはリズムを取り戻さないと。

『 “ひとり出版社”という働きかた』を読んだ

“ひとり出版社”という働きかた

“ひとり出版社”という働きかた

「生きる」ことと「働く」ことは同義ではない。
当たり前のことだけど、「生きる」ための手段として「働く」がある。別の言い方をすれば「生きる」という大枠の中に「働く」も位置付けられているということだ。

僕は社会人に入ってから、この大原則を殆ど意識せずにいたし、むしろ「生きる」=「働く」と認識していた気がする。
ガツガツ働き、それなりに成果も出て、収入や幸福度に結びつくのであれば幸せなことだと思う。難しいことは何も考えずにいた方が良いのかもしれない。シンプルイズベスト、何事も考え過ぎはよろしくないのだ。

幸か不幸か、僕のようなややこしい(と自称している)人間が、「生きる」≠「働く」ではないかと疑いを持ち始めると、色んなややこしいことを考えてしまう。
今まで疑いなく組織の中で働いてきたことに懐疑的になる。生きるための別の方策を無意味に無謀に考えてみたりする。ちょっと失敗しただけで「辞めます」と言いたくなる(映画『モテキ』の主人公は、上司に「お前はそんなポジションにもいねーんだよ」とド突かれて辞めることなくストーリーが結末に向かった。めでたしめでたし)。

脇道に逸れてしまったけれど、そういう「ややこしい」自分に対して納得性を持たせる上でも、何かしらの刺激や理論武装が必要になる。「ややこしい」人間への対処法は、その名の如く「ややこしい」処方箋を必要とする。馬鹿につける薬はない、の一歩手前くらいの面倒さ加減ではないだろうか。

そんな中読んだ『“ひとり出版社”という働きかた』(西山雅子著)はドンピシャで面白かった。

本書の中には「一人」または「小規模」で出版社をやり繰りする人たちの様子が描かれている。
著者の西山雅子はかつて出版社に勤務し、現在はフリーランスとして活動をしている。ここで描かれているような「ひとり出版社」という位置付けで活動しているわけではは無いとあとがきでも述べている。この形で「働く」ことは「生きる」ことが保証されているわけではない。むしろ困難が山ほど発生すると述べている。
巷のビジネス本のように「これをやったら成功者になれる!」と息巻くようなハウツー本ではない。
本書は、西山が「ひとり出版社」として活動している人たちへの取材を行ない、主にひとり語りのような形で自分の活動を紹介するという構図になっている。大変そうだが、とても生き生きと働いている人たちの様子が眩しい。

本書は「働きかた」というタイトルがついている。だがそれを超えて、「生き方」まで言及している方が非常に多いと感じた。
例えば赤々舎・姫野希美は大手出版社が手を出しづらい写真集の編集および出版に果敢にチャレンジする。写真家と二人三脚で取り組み、出版にこぎつける熱意と創意工夫には何度も驚かされた。

写真に写しとられたものが、その人にとって、どれほど切実な存在なのか。その写真が人間についてのなにを考えさせてくれるのか。それが私にとって、とても大事なんです。つまり、人は人に興味がある。でも、一番わからないのも人間。たぶん、自分自身も含めてわからない。(中略)私は特別な感受性をもっている人間ではないので、少なくとも私がこんなに心が動くなら、同じようにこの作品を必要としてくれる人がいるはずだと。

彼女の発言は、人間への純粋な好奇心に基づいている。
この章では、彼女が若かりし頃に上海に2年間住み、不動産の仲介業をやっていたことも紹介されている。「ビジネスには興味がない、人間に興味があったから上海に住んでみた」という言葉からも、彼女が「人間」をきっかけにした「働きかた」「生き方」を志向していることが窺える。

そういうことなんだと思う。
冒頭でも書いた通り、「生きる」と「働く」は完全に同義ではない。
でもどこか繋がっているべきなのだ。というのが登場する人たちの共通した考え方ではないかと僕は感じた。

何より面白いのは、全ての人たちが「本を愛している」という事実だ。
出版不況や電子書籍の台頭など、出版業界がなかなか立ち行かないのは良く報道で耳にする。
だけど本を愛し、情熱を持って仕事に取り組む彼らの言葉には力があるし、それを編んだ著者・西山雅子の思いも全ページを通じて真っ直ぐに伝わってくる。
スペシャルインタビューの谷川俊太郎や、寄稿の内沼晋太郎の話も面白かった。一番のオススメはミシマ社の三島邦弘の章かな。

本を愛する人、ものづくりに情熱を燃やす人なら、読んでおいて損はないと思う。