『羊をめぐる冒険』—僕と鼠と同じ歳になって思うこと

2010-03-30

街について話そう。我々の生まれた街ではなく、べつのいろんな街だ。世界には実に様々な街がある。それぞれの街にはそれぞれのわけのわからないものがあって、それが僕をひきつけるんだ。そんな風にして、僕はこの何年ものあいだにずいぶん多くの街を通り抜けてきた。(中略)仕事だって実にいろんな仕事をした。大抵は退屈な仕事だったけれど、それでも働くのは楽しい。いちばん多かったのはガソリン・スタンドだね。それからスナックのバーテン。本屋の店番もしたし、放送局で働いたこともある。土方もやった。化粧品のセールスもやった。セールスマンとしての僕の評判はかなりのものだった。それからいろんな女の子と寝た。違った名前と違った身の上で女の子と寝るというのもなかなか悪くない。まあ、そんな繰り返しさ。そして僕は二十九になった。あと九ヶ月で三十になろうとしている。

2014年1月4日。
新しい年になって久しぶりに、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んだ。
登場人物である「僕」と「鼠」。この小説は彼らが29歳であるという設定のもと書かれている。

「今の僕と同じ状況だ」と思った。そのときの僕は、あと8ヶ月くらいで30歳になろうとした。

その気付きは、僕の胸を強く打った。
村上春樹が書いた初期の小説(3作目の長編だ)を、偶然、30歳になろうとしているときに読んでいたのだ。

そのことについて、何かが書けそうな気がした。
特別に、今しか書けないような、何かが書けそうな気がした。

でも、1ヶ月半経っても、特別なことは何も浮かばなかった。
当初の想いをずっと塩漬けにしたまま、今に至る。あまり長い文章をだらだら書いても仕方がないと思う。だから、最近のことを少しだけ書くことにする。

2014年に入って、良いこともあれば悪いこともあった。
小説をもっと真剣に書きたいと思ったのは良いことで、次の作品を早く書き上げたいと思う気持ちも健全なものだと思った。

だが現実は、そう上手くいかない。
頭の中で構想はブラッシュアップされ続けている。それを「形」にすることだけができない。「形」にすることこそが小説を書く者にとって唯一の存在証明になる。文字と文字を結び、意味や背景や情感を創り出すこと。作為的な印象を与えぬよう、作家は優しく嘘をつく。

それが上手くいかない。悔しいと毎日思う。

30歳になることについて。
人生に節目というものがあるとしたら、確かに「30」というのはキリが良いし、節目と言えなくもないと思う。

僕にとって「20」というのは、間違いなく節目の日だった。
アテネで一人の日本人女性ランナーが快足を飛ばし、オリンピックという舞台で金メダルを獲得した。日本時間の、2004年8月23日未明のことで、僕は当時の恋人と一緒に、家でテレビを観ていた。そのとき握りしめた「興奮」は、今も手応えと共に残っている。

そう言えば、20歳のときに、僕は将来フルマラソンを走ろうなんて、これっぽっちも思っていなかった。
だけど今、僕は暇を見つけてはトレーニングに励み、フルマラソンで自己ベストを叩き出そうとしている。

自分の意思で走ること。
僕にとってフルマラソンは、ピタリと合うメタファーなのかもしれない。
それくらいなら、諦めずに出来そうだ。「30」になっても、出来ることからやり遂げたいと思う。