Czecho No Republicライヴイベント《ドリームシャワー2016》に行ってきた

なんて美しいバンドだろう。

初めてCzecho No Republicのライヴを観ながら、僕は泣きそうになってしまった。
間もなく32歳になる私。Czecho No Republicが奏でるメロディは、Over 30に向けられたものでは無いにも関わらず。
新木場Studio Coastに来場していたファン層は若く、まだ大学生くらいの若者がたくさんいたと思う。場違いを感じながらも、彼らの魔法のような演奏を観て、僕は呆然と「こんな夢のような共同体は長く続くまい」と思わざるをえなかった。

年の功で、昔話をさせてもらいたい。
フロントマンの武井優心はかつてVeni Vidi Viciousのベーシストであり、The Mirrazのサポートメンバーとして活動をしていた。どちらも2010年前後のロック・シーンで活躍していたバンドである。Veni Vidi Vicious活動休止に伴い、残された山崎と2010年に結成されたバンドがCzecho No Republicだ。
僕が今日まで彼らのことを記憶していたのは、某音楽雑誌の記事で紹介されていたことによる。チェコというユニークなバンド名(僕は旅好きで、チェコにも一度行ってみたいと思っていた)に加えて、主張の希薄な武井のコメントが面白かったからだ。

(Veni Vidi ViciousやThe Mirraz、THE BAWDIESと比較され)あの辺とは違うだろうなって思ってます。やっぱあの人達はカッコいいっすね。俺は、もっともやしっ子な感じがするんで。ちょっと軟弱な、風邪引きそうな感じの。『ひ弱ロックですか?』みたいな感じっていうか

(自分たちの曲は)押しつけがましくないじゃないですか。生活の一部になったらいいんじゃないですかね、チェコの曲が。通勤通学中でも、洗いもの中でも。ど主役じゃなくてもいいんで。サイコーの二番手みたいな。あと、俺達、全員、次男なんですよ。全員末っ子なんですよ。だから誰一人リーダーがいない。マジそれ出てますよね。

Czecho No Republicが世に出た頃、偶然にも僕は以前より熱心に音楽を聴かなくなってしまった。村上春樹の言葉を拝借するならば「音楽との倦怠期」である。理由は未だに言語化できないのだけれど、新しい音楽を敬遠して古い音楽ばかり聴いていた。そんな傾向は数年間続いて、昨年Apple Musicがリリースされたことでようやく解消した。

その間に、気付けばCzecho No Republicはメジャーデビューしていて、とびきりHappyでPeacefulなロック・バンドとして位置付けられていた。時の変遷に驚いたけれど、キャラ立ちしたベーシスト・砂川一黄や、コーラスもできる紅一点・タカハシマイなどが加入して、5人としての佇まいに「美しさ」が足されたことで、それは必然だったように感じる。
当時から武井の音楽(声)は、本人が自覚しているように渋さという面では程遠いものだけれど、おもちゃ箱から遊び心だけが踊りに出てきたようなポップさがあって(Vampire WeekendやLos Campesinos!など同時代の洋楽とも歩調が合っている)。まさか僕にとってのフェイバリットである「Oh Yeah!!!!!!!」がドラゴンボールのエンディング曲になっているとは思いもしなかったけれど、考えてみれば、彼らの音楽が若い世代を無条件に巻き込んだことは時代における必然であり、SEKAI NO OWARIや星野源とは違った側面から「夢」や「感動」を示している。底抜けに明るいのだ、とにかく。

儚ささえ感じるほどに、Czecho No Republicは美しい。
《ドリームシャワー2016》で楽しそうに演奏する5人は、音楽も、ビジュアルも完成された美しさがあって、それはマンガの中のような非現実感さえあった。それが「今だけ」許されたものだとしたら、美しさとはなんて脆いものなのだろう。
色々なバンドが音楽を辞めてしまった。Czecho No Republicも、いつかそんな決断を下す日が来るかもしれない。ファンには怒られるかもしれないが、HappyでPeacefulな新木場Studio Coastにいてこそ逆説的に、そんな思いに駆られた僕を許して欲しいと思う。誰に?というツッコミが入りそうなのだが、そんな確信めいた悲劇的な妄想が(半ば勝手に)頭に浮かび、消えては浮かんだ。そんな繰り返しの中で、僕はぼんやりと彼らのライヴを眺め、何より楽しんでしまったのだ。

少しだけ安心しているのは、そういった刹那性を彼ら自身が自覚していることだろう。
「Firework」「Festival」「Forever Dreaming」「Amazing Parade」といった曲名やモチーフを選択していることから明白だ(武井は「楽園志向」という言い方を記事の中でしていた)。《ドリームシャワー2016》で最後に演じた曲は「ダイナソー」。恐竜なんて絶滅しちゃったじゃんという。そして7/20に発売される新作アルバムのタイトルは「Dreams」。メンバー自身が、自分たちの「楽園志向」を重々承知の上で、夢をばら撒いてくれているのかもしれない。

夢を見せてくれる音楽。
Czecho No Republicであれば、言い過ぎじゃないと思う。

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映画「バクマン。」を観た

映画「バクマン。」

映画「バクマン。」

妻の強い希望もあり、先週末に映画「バクマン。」を観た。

【原作・大場つぐみ/作画・小畑健】と聞けばピンと来る。「DEATH NOTE」だ。
漫画に疎い僕でも、「DEATH NOTE」は実際手に取って読んだことがある数少ない漫画の1つだった。藤原竜也、松山ケンイチ主演の映画も観たし、作品中に散りばめられていた仕掛けや伏線にいちいち感心したのを覚えている。感心、っていうと偉そうだけど、要はすげえな・面白いなって思って読んでいたわけだ。

それでも。
悲しいかな、僕の中の漫画ブームは単発で終わることが多い。
あんなに面白かった「DEATH NOTE」だけど、その次作品である「バクマン。」までは気が回らなかった。いつの間にか話題になり、いつの間にか最終回を迎えていたという印象(あくまで個人の感覚です)。
アニメ作品にもなっていたらしい。面白いらしい。漫画をモチーフにした漫画らしい。

漫画をモチーフにした漫画?
それじゃあ、俺には関係ない。
そう思ってスルーしてしまったところが正直ある。
今回だって、妻に誘われなかったら進んで観ようとは思わなかっただろう。

もっとも関心を引かれたポイントはもう1つある。
映画監督が大根仁だったことだ。僕の好きな映画作品「モテキ」「まほろ駅前番外地」を手掛けた監督だ。それを聞いて、ちょっと自分に近付いてきたかな、という感触があり、観ることを決めた。

結論から言うと、なかなか面白かった。
演出が細かくて飽きさせない工夫が為せる技だろう。特に舞台装置。漫画だらけの仕事場、疲弊し追い詰められた感のあるトイレ、なーんにも考えずに時を過ごす装置である学校生活の様子、時代と共に変遷していく漫画というツールの懐の深さ、神木隆之介演じる高木秋人の絶妙な垢抜けない感じ。
大根仁だけでなく、キャストやスタッフ全員が「こういう感じの映画を作ろうぜ」っていう感覚が揃っていたからこその成果ではないか。全体を通して、ある種の「部活」を感じさせる映画だったように思う。

それに加えた感じたのは、「邪道」をひたすら走っていく潔さだ。

「バクマン。」は、主人公の二人(作画を担当する真城最高と、原作を担当する高木秋人)が、週刊少年ジャンプ連載を目指して奮闘する「青春」を描いた作品だ。
それは週刊少年ジャンプの方針(「友情」「努力」「勝利」のいずれか(いずれも)を入れ込むこと)とも重なっている。例えばドラゴンボール、ワンピース、スラムダンク、キャプテン翼、HUNTER×HUNTER。これらの漫画の内容を思い浮かべてもらえれば、「友情」「努力」「勝利」がいくら青臭く響こうとも、結果的に多くの人の心に残る名作になっていることを理解してもらえるだろう。

週刊少年ジャンプの連載を目指す、というテーマ設定。
それは極めて王道から逸れたチャレンジであり、そこにストーリーとしての面白さ、画力の確かさが無ければ「キワモノ」扱いを受けること必至だろう。
僕は原作を読んでいないけれど、映画化されたり、かなり売れているという事実を聞いたりすれば、このチャレンジは成功したと言っても良いだろう。

それもそのはずだ。
漫画家なんて、全く関係のない存在なのに、僕はこの映画で主演の二人にかなり感情移入をした。
漫画家としての彼ら、ではなくて、天才に挑む天才ではない人たちが努力をする姿に、だ。「ダイの大冒険」で言うとポップのような存在の彼らが死に物狂いでジャンプ連載に挑戦する姿は、やっぱり古今東西で普遍のテーマとして機能しているなあと思った次第です。佐藤健と神木隆之介のコンビも息ぴったりで良かった。佐藤健がいわゆるイケメンでなく、凡人として奮闘する演技もグッド、素材として本当に優秀だなと思った。

ネタバレになるから書かないけど、エンドロールも素敵。
こういうところまで「見せる」映画、僕は好きです。

ちなみに僕は、子役時代の神木くんの「お父さんのバックドロップ」で泣きました。
なんだか、いろいろ繋がるものだなあ。