最近本を読めなくなった件

基本的に僕は「本を読む」という行為が苦ではありません。
ずっと読み続けてきたわけではないです。断続ですが、これまでの人生で読書の習慣は、わりとついてきている方だと思います。

小学校時代に図書館が大好きでしたし、
高校のときに『三国志』や『竜馬がゆく』にハマり、
大学のときに狂ったようにビジネス本や学術本や自己啓発本を読み漁りました。

社会人になり、
インターネット関連の知識を収集するときも、Googleだけじゃなくて体系立てされた書物に頼ってきました。フリーも、ロングテールも、ポジショニングも、ゲーミフィケーションも、キャズムも、クラウドも。

でも、何か最近長い本が読めない。
ビジネスに関する本だけでなく、小説も雑誌も。何だか読む意欲はあるけれど、それが長続きせず、ついつい積ん読状態に。

RSSでさえも、長い記事だと拾い読みで済ませてしまう傾向が。
ヘッドラインばかりを追いかけて、「知ったつもり」になる愚かさ。

最近「割り当て」って言葉を使うけど、どんなことも時間が無いということを嘆かず、しっかりと意識的に時間を作ることが大事だと思うわけです。
カフェに行くとコーヒー代で300円くらい取られてしまう。でも、その費用で時間を確保し、本が読めれば、それは価値変換するわけで。だったら費用と意思でもって時間を割り当てようって決めて、あとは遂行するのみ。

良質なインプットなしに、良質なアウトプットは生まれない。
そろそろ昔読んでた本による、知識の貯金も切れてきた(というか、たぶんとっくに切れて借金状態になってる)。猛省の週末、明日から本気出そう。

サービス公開から10年【GREE】

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2004年2月21日。
日本で初めてのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である「GREE」が生まれた日だ。今日で10年、GREEは10歳の誕生日を迎えた。
かつて僕も熱心にGREEを使っていたし、グリー関係者の方に知り合いもいる。六本木でこじんまりしたオフィスを構えていた時のことも知っている。感慨深いなんて言うとおこがましく聞こえるかもしれないけれど、初期の頃から知っている人間からすると、この10年の成長は驚くばかりである。

10年続いたこと、本当に素晴らしいことだと思う。
僕の声はきっと届かないけれど、「おめでとうございます」と声を大にして言いたい。

少し振り返る。

2004年は僕が大学1年生のときだ。
アドビシステムズの「Dreamweaver」というソフトウェアを使ってホームページを作った時期だった。大したホームページでは無かったけれど、自分でデザインできる感覚を覚えたのはこの時だったし、インターネットが僕の成功体験の後押しをしてくれたのは間違いのないことだった。

それからブログというものにハマった。
HTMLやプログラミングの知識が無くても、気軽にCMS(Content Management System)を使えることは驚きだった。僕が使っていたのはlivedoor Blog。文章を書くことに抵抗を感じない僕は、キーボードに向かって文字を打ち、インターネット上に想いを吐き出した。

で、僕が実際にGREEを使い始めたのは、2005年冬のことだ。
何やらクラスメートが熱心に使っているサービスがあった。友達と繋がる、コメントなどでコミュニケーションする、日記を書いたり写真をアップロードしたりする。その全てが可視化できるところに面白味を感じたのだろう。僕もかなりハマってしまった。当時取り組んでいた研究テーマに、無理矢理SNSをねじ込むあたりは、多少病気だったかもしれない。笑

でも、病気のように、暇さえあればGREEにアクセスして、新しい情報を求めた。
ウェブサイトを巡るようなものとは異なる快感、ついついアクセスしてしまう魔法のような仕組み、SNSには「何か」がある。
だからこそ、今でも基本的には同じ機能である「Facebook」が残っているのだと、僕は思う。

とにかく、面白かった。
ライバルとしてmixiが生まれ、山ほどSNSが登場した。今なお残っているサービスは、一握りだ。
GREEとて、狭義での「SNS」という機能は薄れており、「ゲーム」を軸に事業展開している。誰もが知っての通り、大成功を収めた。

「インターネットを通じて世界を変えていきたい」
代表取締役社長の田中さんは、昔からずっとこの言葉を掲げてきた。洗練されたロゴマークも当初からのもの。変えるもの、変えないものが明確で、サービスを展開する全ての企業にとってグリーの事例は参考になる。

これから、どんな事業を展開するのか。愉しみだ。

時期的には2006年くらいの頃か。
既に規模の大きなIT企業が幅を利かせていた中で、新興企業であるグリーやミクシィ、フェイスブックなどは「ベータ版」という言葉を良く使っていた。田中さんも2005年の著作の中で述べている。

通常ソフトを開発する時は、まず「アルファ版」という第1段階、「ベータ版」という第2段階を経て、「正式版」とする。ただ、正式版ということは、“その時点で完成してしまった”ことになり、開発の終わりも意味してしまう。だからグリーはあえて永久にベータ版であることを目指している。グリーはソフトウェアなどの製品ではなく、サービスである。ユーザーの変化に応じてサービスを変化させ、常に最善を模索し続けるため作り続けなければならない。それを支える組織を作るのが、グリーの目標となった。“GREE is Perpetual Beta”

ここで使われている意味合いでの「ベータ版」という言葉が、僕は大好きだった。
サービスだけでなく、人間も、社会も、自然環境も、宇宙も、全てのものが「ベータ版」であり続けている。
次の10年も、愉しみにしたい。

何だか誕生日ネタが続いているけど、気のせいだよね)

代田昭久『校長という仕事』読了

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僕が教育系の仕事を始めて、早いもので1年が過ぎた。

仕事の関係で、各地の学校を訪問するため、先生に会う機会も多い。時には校長先生と直接話すことさえある。
若輩者の私と、威厳のある佇まいの校長先生。対面での打ち合わせは今でも緊張するけれど、校長先生の幅広い知見や深い教養はいつも勉強になる。何より、生徒のことを真剣に考えていらっしゃるので、話を聴いていても楽しい。「楽しい」なんて不謹慎かもしれないが、熱意のシャワーとも言うべき「熱さ」はとても心地良いものだ。

そんな校長先生だが、具体的にどんな仕事をしているのか。
知っているようで知らない。知られていない。

知られざる校長先生の仕事を、元リクルート、IT会社を立ち上げた経験を持つ代田昭久氏が丹念に書き上げているのが本書だ。

私が本書を知ったのは、佐賀県武雄市の樋渡市長のブログだ。

(中略)苦労を交えながら校長という仕事を詳細かつ客観的に紹介する。生徒、保護者、教員、教育委員会、地域といった様々な人々からなる「学校」を舞台に日々起こる問題。これらにどのように対処していったのか。本書からは、保護者とも教員とも違った視点で、丁寧に一つ一つ解決を図っていった、「校長」ならではの苦渋、労苦を見て取ることができる。その上で、校長の激務を筆者が「素敵な校長の仕事」(はじめに)と紹介できるのは、5年間に注いだ日々の情熱と愛情、そしてその確かな手応えゆえであろう。本書は、こうした「校長」の日常のほかに「学校現場」といういわばフロンティアに、経営やマネジメントの考え方、手法を導入することで改革を進めていった過程を具体的に紹介する。

マネジメントの考え方を、学校経営に。

各地で民間校長に採用された方は、マネジメントの手法を熟知されており、学校経営においても「抜本的改革」が期待されている。しかしながら民間校長という仕組み自体に否定的な声も少なくない。

岐路に立つ横浜市の民間人校長 4年連続不採用 現場で高評価の一方、根強い慎重論

私自身はロジカルに意思決定できるマネジメントの手法は、どんな分野にも通用するのではないかと、わりと合理的に考えている。
だけど、それが上手くいく事例と、そうでない事例があるのも事実だ。何が違うのだろう、結局本人の資質なのかと漠然と考えていた。

著者が5年間務めた学校は、学力向上や生徒数増加に貢献するなど、目に見えた成果が現れた好例、つまり上手くいった事例である。
樋渡市長もブログに書いていたが、関係者に対して丁寧に接して、問題を1つ1つ解決していったのが何よりの成功要因だろう。マネジメントの手法は、あくまでツールの1つ。それが目的なわけではないということ。

何だか、立場は違えど、今の自分への戒めのようにも感じてしまった。


「お客様のクレームを機会と捉えろ」という顧客視点を持って、保護者に対して接しながら、生徒、保護者、教員など全ての関係者の信頼構築に努めるあたりは、まさに学校の司令塔としてバランス感覚があるなあと感心してしまった。
言葉では簡単だが、なかなかそこまで、一歩引いた視点でクレーム対応には臨めないものだ。

そして、一番印象に残った点。

「戦略とは、何をやらないかを決めることである」。これは、アメリカの経営学者マイケル・ポーターの言葉です。また、マネジメントの神様、ピーター・ドラッカーが経営者の条件で強調しているのは、「優先」順位でなく、「劣後」順位をつけること。つまり、やりたいことは常にあるけれど、経営資源や時間は限られており、成果を挙げるためには、切り捨てていく判断こそが大事なのだ、という教えです。教員の忙しさを解消するには、思い切って何かをやめなければ、と思いました。

その後、具体例が挙げられるわけだが、一番の味方であるはずの副校長と意見の相違が見られた中で、きっちりリーダーシップを取って成果に繋げた一連のプロセスは、見習う点が多いと感じた。

また、学校は成果の「検証」が難しい。
そのあたりのもどかしさは、本書の中にたびたび見られる。
だが、本書全体がロジカルだが、とても温かい表現で描かれているので、「ああ、和田中学校って良い学校なんだなあ」と印象づけられる。

ICT活用など、公立中学校としては先進的な取り組みが多く、研究対象として見学も多いとのことなので、機会を見つけて訪問できればなと思う。

改めてですが、良書でした。

そんな和田中学校のホームページはこちら
しっかり独自ドメインも取っているし、何よりもUIがとても計算されていて、情報が見やすい。ファーストビューで知りたい情報が一覧化されている。

著書では月間17,000人のユニークユーザ(UU)がいるらしい。ウェブに詳しい人なら分かると思うが、たかだか中学校で、これだけのUUがいるとは俄に信じ難い。それほど内外、特に外部からの注目度が高いのであろう。そんな中、スマートフォン対応されていないのは少々残念だが、それもいずれ対応していくだろう。

試しに、自分の出身の中学校のホームページを見てみたが・・・。お世辞にも見やすいとは言えない。というか、トップページ以降のページに「ホームに戻る」リンクくらいあっても良さそうなものだが。でも、一般の公立中学校などそんなもので、ウェブサイトを活用しての情報発信には未だ課題が残る。

この他にも、ウェブサイトを眺めていると残念な点がたくさん浮かんでくる。そう言えば出身中学の校長先生は、僕が野球部在籍時代の監督を務めていた方でした。ということで怒られるような気もしますので笑、本エントリはこの辺で筆を置きます。

ひっそりと終るサービスを想う【Groovy】

Groovy

2013年3月にDeNAがリリースした、スマホ向け音楽プレイヤーアプリケーション「Groovy」が以下のような声明をひっそりと出した。
https://www.gr-oo-vy.com/static/pc/news20140207.html

Groovy 試聴・フル再生・歌詞表示・ファン機能・ダウンロード機能終了のお知らせ
Groovyをご利用いただきありがとうございます。
Groovyにて、ご提供させていただいております試聴・フル再生・歌詞表示・ファン機能・楽曲購入・ダウンロード機能のご提供を2014年3月25日をもって終了させていただきます。
ファン機能を利用した書き込み内容、欲しいものリストに関しましては3月25日をもってデータを削除させていただきます。なお、ダウンロード済みの楽曲は、3月25日以降もGroovyアプリにて再生いただくことが可能です。
今後の予定
2014年3月18日(火)昼12時頃 楽曲購入の終了
2014年3月25日(火)昼12時頃 試聴・フル再生・歌詞表示・ファン機能・ダウンロード機能の終了
ご利用いただいている皆さまにはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

ストアから削除されるなどの情報は、このリリースからは見えない。
が、実質的なサービスからの撤退と考えて良いだろう。
SpotifyなどUSのストリーミングサービスが、日本進出しそうだとシーンを賑わせている中で、国産のサービス終了は悲報の何者でもない。サービスを使っていない私が言うのも何だが、「残念」という言葉に尽きる。

そもそも「売れなきゃアウト」というのは、実はビジネスを行なう上で鉄則である。
例えば、ロックバンドが大手レーベルと契約するケース。大手の資本力やネットワークが、バンドの新曲においてCMタイアップを獲得する。積極的に全国ライブやメディア露出を図る。それまでの固定ファンに加え、新規ファンも獲得し、新曲はそこそこ売れるだろう。しかし思ったより売れなかった場合、次の楽曲の予算は削られる。非情な決断にもめげずメンバーは頑張るが、なかなかセールスに反映しない。その悪循環がしばらく続くと「会社の方針」ということで契約を解除される。
誰もが宇多田ヒカルのような大ヒットや、aikoのようなロングセラーを記録できるわけではない。

レーベルも、社員に飯を食わせることに必死なのだ。

会社の成長は至上命題だ。歴史の浅いベンチャー企業なら尚更だ。
圧倒的な速さでナンバーワンにならなくてはならない。二番目ではいけない。日本で富士山の次に高い山が何か想起できないように。ナンバーワンの恩恵は計り知れないのだ。ナンバーワンになれるサービスだけに経営資源を注ぐことは当然だ。

畑違いの音楽サービスで、DeNAもなかなか事業単体で業績が上向かなかったんだろう。私の好きなDeNAの元社長・南場さんも著書『不格好経営』でこのように述べている。

ユーザーはよいサービスだと褒めてくれたが、繰り返し使ってはくれなかった。モバゲーからユーザーを送り込んでも、リピート率がここまで低いとザルのようで効率が悪すぎる。COOの守安から、3ヶ月以内にリピート率を2倍にすること、上がらなければ撤退と伝えられ、大塚率いるチームはユーザーの再訪を促すために奔走した。(中略)リピート率は随分改善されたものの、2倍には達しておらず、撤退が言い渡された。(中略)やるべきことをすべてやり切って、結果この数字ということは、本サービスは可能性がないと判断せざるを得なかったのだ。ユーザーの審判である。

同じく、もはや天下無双のサイバーエージェント藤田社長も、著書『起業家』の中でこのように述べている。

サイバーエージェントには「CAJJ制度」という新規事業の立ち上げルールがあります。これは鉄の掟で、そのルールには事業の赤字の上限額が決められており、誰であろうと撤退のルールには従わなければなりません。

彼のブログ「撤退基準を予め決めておくこと」のエントリーにも、

社内で「上場廃止ルール」と呼ぶ、撤退ルールを明確に決めました。『リリース後4か月経過した時点で、コミュニティなら300万PV/月、ゲームなら1000万円/月を超えていなければ撤退検討』というものです。

なかなか厳しいルールだが、結果として両社は成長を続けているせいか、マーケットはこれについて殆ど文句を言わない。
確かに自分が社長であれば、「撤退基準」はしっかり定めた上で事業を行なうだろう。ハイリスクは避け、初期投資はなるべく抑えるという戦術も、先人が行なってきた通りだ。

だけど、それを「言っちゃう」かどうかは、分からない。

ソーシャルゲームやプラットフォームビジネスは、お金を払えば終わりというサービスではない。
都度ユーザーは課金を行ない、ある意味サービスに対して「投資」を行なう。その「投資」先が、上記のような撤退ルールのもと、サービス終了したらユーザーはどう思うだろうか。

腹が立つよね。

課金ビジネスだけに限ったことではないと思う。
1人でもファンがいれば、そのサービスはファンにとって価値があるもの。
ローンチのハードルを無駄に上げるものではないが、少なくとも「撤退」について定量的だけでなく、定性的で感情のある理由を説明すべきだと思う。

Google Readerがサービス終了をしたとき、Googleはトラフィックが流れることは恐れず、他社サービスと連携できるような「流し込み」施策を講じた。これによって私は、Google ReaderからFeedlyに、わりとすんなり移管することができた。

Googleという会社規模の大きさもあるけれど、彼らへの信頼感があるから、私はGmailを使うし、Google Chromeを標準ブラウザに設定するし、Google Mapに履歴をどんどん残していく。それらサービスが唐突に「終わらない」ことを期待しているからだ。利便性だけを求めて使っているわけではない。

「終わらない」=「継続する」ことを、ユーザーは大前提として期待している。
少なくとも、少し前までは期待していたんだと思う。

だけど、その期待は、ビジネスの効率性が極大化する一方で、薄れつつある。
そうなるとユーザーは、新しいサービスを使いづらくなってしまう。新しいサービスがスマッシュヒットをする機会が減ってしまったら、それは悲しいことだ。

「続ける」ことは難しい。個人も法人も、「続ける」ことの意味を、価値を、再考すべきだと私は思う。

メール雑記

今じゃ当たり前のように使っているメールだけど、このツールが広く使われるようになったのは、つい最近のことだ。僕は2007年4月に会社員として働くようになったわけだけど、2000年より前は電話や手紙で意思疎通を図るしかなかった。僕にはまるで想像がつかない。

前職では比較的若く、僕と同世代の同僚が多かった。今は20代〜70代までオフィスにずらり。
50代より上の世代と打ち合わせをすることも、多い。というか、まず直属の上司が50代だ。社長は60代。改めて振り返ると、そりゃあジェネレーション・ギャップだってある。
「LINE何それ?」、「Facebook楽しいの?」、「MP3ってガンダムの型番?」など、そりゃ難しいと思う。その代わりに、僕は長嶋茂雄の現役時代を知らないし、学生闘争だって経験してない。バブルがいかにバブリーだったかイメージ沸かないし、松田聖子がアイドルだったなんて信じられない。その世代の人が聞いたら卒倒してしまうくらい、僕は「物を知らない」ということになる。

話が逸れた。
メールのことだ。

メール。コミュニケーションツール。
仕事でも、プライベートでも、メールなしで生きるのは難しい。
キャリアメールは無くても、Gmailが無かったら、かなり困る。
いずれはLINEやFacebookメッセンジャーのようなチャットベースのサービスが主流になるかもしれないけれど、やっぱり2013年はメールを使うことが不可欠だ。

メール。
自分に関係のないメールが来るとウザい。
僕は1年前転職活動してて、そのときはリクナビNEXTやFind Jobからのメールが生命線だった。でも、今はしていない。「転職エージェントからプライベートオファーが届きました」って言われても、プライベート感はどこにもない(なんのこっちゃ)。あんなにお世話になったのに、今じゃスパムボックス直行なわけです。

メール。
自分に関係ある人から、自分に関係ないメールが来るとウザい。
「●●さんから、LINE POPの招待が届きました」。知らないよ、興味ないよ、ゲームやらないよ。でも、それを相手に伝えることは憚られる。培ってきた関係性を損ないたくない。「LINE POPの招待送るのヤメて」って言ったら、普通の遊びのお誘いも来なくなる気がする。たぶん、来なくなる。来なくなる率80%。降水確率で考えたら、うん、かなり雨が降る確率が高い。でも、ゲームやらないから内心ウザい感を持ち続けることになる。

メール。
自分に関係ある人から、自分に関係あるメールが、深夜に来るとウザい。
これは仕事限定。メールって「いつでも送れる」「いつでも見れる」から便利。だから送り手は、送るのを忘れないように、思い立ったときにメールを送ることができる。通知設定をプッシュにしてなければ、寝ているときに起こされることはない。そういうことを言ってるわけじゃない。
寝る前にメールチェックするじゃん。何だか手持ち無沙汰なときに。あと、緊急性の高いメールが来る可能性もあるし。そんなときに、仕事のメールで、特に緊急性の高くない、次の日に対応すれば良いようなメールを見ると、仕事のことを思い出してしまう。思い出すと、気になってしまう。不眠になるということはないけれど、寝ているときに仕事をしている夢を見てしまうことが多い。これはキツい。24時間営業だ。

メール。
上手く付き合いたいコミュニケーションツール。
固定電話と違って、自由度が高いから、人によってメールに対する印象や解釈が異なる。
つらつらと書いてしまったけれど、これを見て「堀にメール送るの嫌だな」と思って欲しくはない。あなたのメールをウザいと思うことはないです。上記3つに該当していなければ。