読書メモとか、映画メモとか、音楽メモとか

だいぶ前からHuluを契約しているんだけど、わりとダラダラと視聴してて記憶に残っていないことがしばしば。読書メモも含めて、マメに感想などメモしておきたいなと思った次第。

とは言え、巷にある映画や読書レビューって、悪口になりがち。
「俳優が大根」とか、「著者が何を意図して本を書いているか判らない」とか、けっこう酷いレビューも多い。確かに酷いなと思う作品もあるけれど、制作に携わっている全員をテーブルに並べたとして、一人くらいは必死で、良い作品にしようと思っているはず。

制作者の側に肩入れするわけじゃないけれど、これからは「作り手」がイニシアチブを持てる時代。そのクオリティの高低は問題じゃなくて、何かを「作ろう」という意思が大事。

批判するのは簡単。
百歩譲って、100%批判するのであれば、ブログに書かずに心に留めておけば済む話。
僕も小説を書いているわけで、批判は辞めてほしいと言っているわけじゃない。
だけど、批判を恐れて中途半端な作品を作られるよりは、100人中1人が面白い、それくらいにエッジの効いた作品を僕は待ちたいと思う。『トレインスポッティング』だって『1973年のピンボール』だって、大衆に迎合して作られたわけじゃないはず。でも、むっちゃ面白い。

そういうのを胸に刻みながら、なおかつ自分の芸の肥やしになればと思いつつ、これからちょくちょく読書メモとか、映画メモとか、音楽メモとか書いていきます。

ただ僕のことです。かなり偏ると思うけどね。笑

そうそう、 Apple Musicも出ることだし。定額音楽配信サービスの中では、もうダントツでAppleだって思ってる。

『幸福な食卓』(瀬尾まいこ)を読んだ

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僕はすぐに影響される。

家族や友達、同僚や恋人。彼ら/彼女らに「これお勧めだよ」と言われると、高い確率で購入・訪問する。人がこだわる小さな芽に触れてみたいと、無意識的に思っているのかもしれない。

瀬尾まいこ『幸福な食卓』も、そんな些細な紹介がきっかけで読むことになったものだ。2年前に好きだった人が教えてくれた本作は、恋が実らなかったこともあり、僕の中でほろ苦い思い出として残っている。(ちなみに彼女が好きだったのは小説でなく、原作を元に作られた映画だったというオチもあります)

***

ここまで、完全に蛇足でした。

さて、本題。

  • 父を辞めると宣言した父、
  • 家出中なのに料理を届けに来る母、
  • 元天才児で、農業を営む団体で働いている兄、
  • のんびりしていて、家族や友達に愛される主人公・佐和子。
  • 文字にするとイロモノ家族なのだが、瀬尾の文体の柔らかさが、登場人物にリアリティを与えている。台詞は何だか非現実なんだけど、「ああ、こういう不思議な雰囲気の家族もあるかもね」という現実感。物語全体を包み込むトーンが、とても心地良い。ひらがなが多いのか、難しい言葉遣いを避けているのか、台詞と地の文のバランスなのか。

    ただの「ゆるふわ」トーンであれば、新人賞も取れないし、映画化だってされないだろう。

    時々、鋭利に心を抉るような描写とのギャップが、本作の魅力だろう。

    例えば父が自殺を試みた回想シーンの描写。

    私たちの日常は今までと同じように見えた。だけど、小さな変化は確実にあった。母さんは毎日一心不乱に風呂場を洗った。それだけが自分に与えられた仕事であるかのように、力を込めてタイルをこすった。毎日毎日長い時間をかけて風呂場を洗い続けた。そして父さんといることに、緊張していた。父さんと並ぶと息苦しそうにしていた。思い詰めた顔をした。誰も何も言わないのに、突然、父さんに謝ったりした。私が救急車を呼ぶべきだったのにと泣き出すこともあった。

    余白があるような「ゆるふわ」なトーンから一転、文体は簡潔になり、無駄な文字が一切なくなる。句読点でトーンとリズムを整える。感情を示す文は最後にあるけれど、父や兄や佐和子の複雑な思いが滲み出ているようだ。

    こういう文章は、なかなか書けないと思う。

    2011年まで中学校で国語教師をされていたとのこと。当然、教科書を中心に指導していたんだと思うけど、なるほど基本に忠実だなって思った。他の作品を読んだことはないけれど、タイトルから察するにトーンは似通っていそう。これはあくまで、推測。

    あとは出てくる料理の描写の上手さかな。女性作家って、料理の描写が上手い。読んでいてお腹がグーっと鳴るのです。

    http://www.youtube.com/watch?v=n2trbWlziZU

    直木賞を受賞した朝井リョウの『何者』を読んだ

    映画化もされた『桐島、部活やめるってよ』の著者、朝井リョウが直木賞を受賞した。就職活動をテーマにした『何者』という作品。弱冠23歳という若さ、男性最年少の直木賞受賞だという。

    朝井リョウ_何者

    朝井リョウ_何者

    本作は、就職活動に臨む大学生を中心とした物語。主人公・二宮の一人称で語られる。同じく就職活動に臨む仲間たちが、「就活」を通じて、相互に影響を与え合うようになる。あくまで、二宮の視点で話が進んでいく中で、彼らの「表」の顔、「裏」の顔があぶり出されるようになる。そのコントラストは、読者に「痛み」「悲しみ」「憤り」を与える。

    読者に「痛み」「悲しみ」「憤り」を与えるということ。作家をはじめ、クリエイティブに関わる人にとって非常に困難な作業である。「ほーら、痛いでしょう?」「ほーら、悲しい話でしょう?」というわけにはいかない。書籍、テレビ、映画、インターネットなど様々な情報が氾濫する中で、彼らは僕らの感情を、何とか弄ぼうと躍起になる。

    情報が氾濫する中で、既に多くの手段が使われてきた。常套手段だったものがどんどん使い古されて、「ありきたり」になっていく。作家にとって「ありきたり」と思われることほど辛いことはないだろう。そういった視点で考えると、朝井が本作でとったアプローチは、正攻法でありつつ、新しいものだ。

    一言で表すなら、究極のチェンジ・オブ・ペース。

    良い意味で、ラストを飾るシーンまでは、読むのがキツかった。小説に出てくるTwitter、Facebook、就活などが、僕としては馴染みのあるものばかりだった。そういった意味で、何とかページを繰り続けることができた。

    が、万人がラストシーンまで簡単に読み進められるかと言えば、そうではないだろう。

    それでも僕は、全ての読者に、最後のページまで文字を追ってほしいと思う。

    ラストシーンでは、帯に書かれている「あんた、ほんとは私のこと、笑ってるんでしょ」という言葉が生き霊のように登場し、何度も何度も執拗にまとわりつく。ぐりぐりと心を捩じ上げ、気付けば逆転負けを喫することになっている。1−0で勝つだろうと思ったら、1−3で負けてしまった、“あの”ワールドカップのように。

    この小説は、まるで映画化を望んでいるような作品だ。しかも大ヒットを期待するのではなく、気鋭の監督に対して、実験作として作られることを望んでいるような。

    その辺が、映像作品を手軽に楽しめるようになった、20代という「世代」感を感じさせる。

    また、直木賞の受賞会見で朝井は、「30歳のご自身、30歳のときの小説を想像できるか?」という問いに対して、

    「できないですよね、なかなか。うん、でも16歳のときに23歳のときの自分が想像できなかったように、今から7年後の30歳というのは想像できないです。でも、書き続けていたら良いなと思っています」

    と率直な感想を述べている。社会人一年目という顔も持つ彼が、これからどんな小説を書いていくのか、とても楽しみだ。

    野田洋次郎のソロプロジェクト「illion」の先行トラックを聴いた

    元祖「女々しくて」な男、RADWIMPS・野田洋次郎。

    RADWIMPSのフロントマンとして、『RADWIMPS』、『RADWIMPS 2 〜発展途上〜』、『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』、『RADWIMPS 4〜おかずのごはん〜』、『アルトコロニーの定理』、『絶体絶命』と6枚のアルバムを上梓。メディア露出が極端に少ないながらも、圧倒的な支持と存在感を放ち続けた10年。そして昨年、遂に野田はソロプロジェクトを発表する。

    野田、illion

    野田、illion

    で、1/15(火)ラジオ番組「SCHOOL OF LOCK! ‏」でラジオ初オンエア、そして時を経たず、1/16(水)真夜中、2〜3月発売のアルバム「UBU」より先行トラック「BRAIN DRAIN」がiTunesStoreで配信された。

    https://itunes.apple.com/jp/album/id590426883

    メロディは新機軸。
    ピアノやドラムの組み合わせは仰々しくも、鮮やか。
    4:29に凝縮された音符と休符、ひらひらと楽譜を踊る。

    英詞ゆえに、正確に言葉は分からない。しかし、野田の歌声から伝わってくるのは「悲しみ」「痛み」「女々しみ」。
    あれこれ巡らせた女性の涙から、野田は自分の、周りの、世界の歪みを理解する。

    恋人や友人、社会や世界に対して「女々しい(=me me she)」思いを抱いてきた野田。
    バンド活動を中止してまで、自身の発想と表現方法を転換した、新しい「女々しみ」。

    何と表現できよう。

    例えば、海外で高い人気を誇るDIR EN GREYの音楽は肉体的だ。誰が聴いても鳥肌が立つほどに格好良い。
    その一方で、野田の「女々しい(=too feminine)」ということは、ある意味、格好悪い。
    日本に、そして世界に、その「女々しさ」は受け入れられるのだろうか。

    僕は受け入れられてほしいと思う。
    日本人の持つ繊細さ、優美さ。
    それと野田の音楽を結びつけるのは無理矢理かもしれないけれど、間違いなく日本人が持つ感覚を映し出している。

    にしても、野田の声って、ずっと変わらない。