古河はなももマラソン雑記(2014年3月16日)

京都マラソン雑記のエントリでも書いたけれど、真剣に【走る】ことを始めて、既に短くはない年月が経ってしまった。
走るのがとにかく気持ち良い時期もあれば、どうしても走る気が起きない時期もあった。機械的に走るだけの日もあれば、スピードやペースに対して意識的に走ることもあった。

2014年3月16日に臨んだ古河はなももマラソンは、通算して【10回目】のフルマラソンになる。昨年も走ったこの大会では、自己ベストである3時間34分台を出すことができた。思い出深い大会である。

【20代最後】。そんなメモリアルな節目。
もちろん、狙うは自己ベストの更新であり、【サブ3.5】である。

だが大会の直前、仕事で忙殺される日々が続いた。慢性的な睡眠不足で、体調も芳しくなかった。
前日も4時間しか寝られなかった上、行きの電車でも1時間くらいは立ちっぱなし。頭がクラクラした状態のまま、会場に入った。
当日は天候に恵まれ(というか快晴で暑いくらい)、気持ち良い風も吹いていたけれど、このまま熱心に走り込めるかどうか不安があった。「マラソンはメンタル7割」とも言われるスポーツだ。

だけど、ここまで来たらスタートラインに立つ以外に選択肢はない。
とにかく完走を目指そうと心に決めた。

スタートラインを前方に位置できたこともあり、序盤は周りのハイペースにつられる形で進んだ。実に4分40秒/キロだった。
前回の京都マラソンで、前半にタイムで余裕を持たせることが、自分に合っていると分かっていた。それでも、このペースは速すぎる。3時間20分を切るようなペースだ。最後まで持たないのは当然のことながら、後半の失速に影響すること必至である。

それでも、ペースを押さえることはできなかった。というか、しなかった。
快晴のなか、久しぶりに(こんな長い距離は1ヶ月ぶり)走れることは、とても気持ち良かったからだ。

古河はなももマラソンは、序盤と終盤に町中を走るほかは、田舎道を延々と走るのんびりしたコースだ。悪く言うと単調で、都市部のように、ひっきりなしに沿道で応援してくれる人が溢れているわけではない。4キロ走って折り返し、戻ってまた4キロ走って折り返し…というようなコース設計だ。正直、飽きるしつまらない。

そんなコース設計は、アップダウンを極力押さえるためなんだろうと思う。有り難いなと思う一方で、ランナーの忍耐強さが求められるコースであることは間違いない。

結論から言うと、20-25キロで5分/キロのペースに落ち込んでしまうと、その後はズルズルとタイムが落ち込んでしまった。
35-40キロでは6分/キロペースにまでダウン。この苦しみは毎度避け難いものだ。同じような落ち込みになってしまうために、35-40キロは意識的に踏ん張りたい思いはあったのだけれど。まあ練習不足だったので致し方ないだろう。

タイムはこんな感じ。ネットで【3時間39分00秒】。

result_hanamomo_2014

ひとえに練習不足と言っては、芸が無いので。失速の要因をほかにも求めることにする。

まずは暑さ。当日は20度近くまで上がったものと思われる。1月に薄着で低体温症に陥った怖さから、長袖のロングTシャツを着て走った。多少向かい風も吹いていたので、その選択は間違っていなかったと思う。だが、スピードさえ落ちないのであれば半袖でも良かっただろう。
それに伴う給水ミス。どの給水所でもきっちり給水することはできたけれど、古河はなももマラソンは給水所の数が最低限。5キロ毎にあるような感じだ。しっかり飲もうと、1回あたりの給水量が多くなってしまったように感じる。この点に関しては、これと言って対策は思いつかないのだけれど。特に後半は、もう2ヶ所くらい給水所を増やしてくれても良いんじゃないかなあ。

良かった点や思い出も。

メンタルのことを言及したけれど、この日は最後までメンタルが弱まることは無かった。
やはり終盤は1キロあたりが長いなあと思ったけれど、前回走ったレースだからか、「もうちょい走ればゴールのはず」という気持ちを保つことができた。今シーズンは4回もフルマラソンに参加したので、身体が42.195キロに慣れたこともあるかもしれない。

レース後は友人を待つために、【残り300メートル】の地点に陣取り、微力ながらランナーの方々を応援をさせていただいた。
走っているときは気付かないが、実にたくさんのランナーがいるし、たくさんの走り方があり、たくさんの表情がある。
ただし、それぞれのランナーにとって【残り300メートル】というのは、そのレースにおいては1回限りの経験である。その地点には一歩一歩踏みしめなければ辿り着けないし、戻れもしない。それは僕にとってとても特別のことのように思えた。ランナーというのは、平等に美しいなと感じた。

次のフルマラソンは、半年以上先のことになるだろう。
その時点で、僕は【30歳】を迎えている。いまだに、【30歳】になることに対して自覚も覚悟も出来ていない。ただ純粋に、良いタイムで走りたいという欲求はあり続けているだろうと、そういう予感はある。

さあ、次のレースは「チャレンジ富士五湖」。72キロ走という未体験ゾーンに突入します!

2014年2月ランニング総括

京都マラソンにて今シーズンベストの記録を達成したものの、2月は53.6キロしか走れなかった。
走り込むべき時期に、この体たらく。フルマラソンと合わせても100キロに満たない。今シーズン始まってからレベルアップを本気で目論んでいたが、自らブレーキをかけることになってしまった。

理由は明白。
シンプルに仕事が忙しかった。言い訳だが、2月は何ともしがたかった。帰宅が23時を超えると、どうしても走ろうという意欲が沸かない。

2月は一度だけ24時を過ぎてから走ったことがある。
たった5キロ。だが、早く走り終えようという気持ちが先行してしまい、ペースが乱れてしまった。ペースが乱れると、どうしてもメンタルにも悪影響を与える。
気持ちが乗らないと、フィジカルにも影響が出る。京都マラソンを走り終えた直後ということもあっただろうが、腰より下が自分のものではないような違和感を覚えた。悪循環というやつだ。

走らないと、仕事にも執筆にも読書にも人付き合いにも気持ちが乗ってこない。生活リズムも変則的で、遅寝遅起き、会社に着くのもギリギリになってしまう。

そんな生活を象徴するのがデスクだ。乱雑極まりない。
普段はデスクの上にはパソコンだけ。書類など何も置かない。紙は自分の中で咀嚼したらすぐにシュレッダー行き。前職のときから意識している断捨離精神。

でも、気持ちに余裕がないと、それが出来ない。
「忘れないように」「いつかやろう」と考えているから、机の上には書類やら付箋やらメモやらで溢れている。あれがない」「これがない」「引き出しにも物が多い」と混乱することも少なくない。

2/24放送「プロフェッショナル仕事の流儀」で取り上げられていたのは、製造業を営むアイリスオーヤマ社長の大山健太郎さん。経営者としての即断即決の精神も清々しかったが、社風として徹底している整理整頓こそアイデアが生まれる源泉ではないかと僕は思った。

インタビューされた社員は、こんな風に答えている。

昔、総務部長で厳しい人は、机の上(の物)を棒で全部落とされるんですよ。身の回りが整理整頓できてない人は頭の中が整理整頓できてないという考え方なんです。

まさにその通り。
この週末で多少、身の回りの物は整理したけれど、まだまだ余裕ない状態が続いている気がする。

最近読んだ、流行りの書籍『ゼロ秒思考』、ちょっと前に読んだ『白鵬のメンタル』、『佐藤可士和の超整理術』なんかの自己啓発本にも、心に余裕を持たせること/思考を整理することの重要性が書かれている。

3月も既にバタバタしている感が否めないけれど、3連休のタイミングくらいで自らをクールダウンし、次の年度にすっきり臨めるようにしたいと思う。

明日から寒くなるらしいが、なるべく走るぜーと。

なんか自己啓発本って、何だか「読んでる」感出すの恥ずかしいな。

2014年1月ランニング総括

勝田全国マラソン惨敗のせいで、2014年は暗い形で幕開けしてしまったが、走り込み自体は年初からガッツリ行なっていた。
2014年1月は158キロ走破、大会と合わせると実に200キロを走った計算になる。
正月太りもせず、走る時間を作れたことはポジティヴに考えたい。

何となくだけど、走りながら思考を別の方面に飛ばすという体験も出来たような気がする。
抽象的な言い方だけど、例えば走りながら仕事のことを考えること。走っているときは頭の中がクリアになっている分、(たぶん)ゼロベースからアイデアが浮かびやすい状態なんだと思う。

まあ、実際には、走っている間にアイデアは記憶の彼方へ消えてしまうのだけど。

結果的に、この時期走り込んだことは、京都マラソンに活きたのだと思う。

2月は仕事が忙しく、走り込みがあまり出来ていない。
僕は走ることで生活のリズムを作っているので、ちょっとでも、走れるように気概を高く持っていこうと思う。

京都マラソン雑記

フルマラソンに参加し始めてから、どれくらいのレースに参加しただろう。
そう思って数えてみたら全部で【8回】。どのレースも記憶に新しく、どこで自分の心が折れたのかちゃんと憶えている。そう、いつも心、折れるんです。1回くらいは必ず。
フィジカルも重要だけど、メンタルをいかにコントロールできるか。それが出来なければ自己ベストは伸びないし、途中で歩く羽目にさえなる。

そして【9回】目となるレースは、初めて関東を飛び出しての京都マラソン。
世界文化遺産のそばを走れるという触れ込み、評判も良いらしくて、抽選参加。3倍くらいの倍率をくぐり抜けて参加してきました。

高低差のあるレースは自己ベストを望みづらいものだけど、前月の勝田全国マラソンのリベンジは何としても果たしたい。
イーブンペースは何となく僕のメンタルに合わないようで、最初から1キロ4分50秒台で、願わくば30キロくらいまでは飛ばしていこうという作戦だった。30キロ以降で動けなくなっても、前半の貯金で心に余裕があれば、何とか自己ベストに近いペースを展開できるはず。かなり楽観的な目論見だけど、そういう気概で臨むことが大事。

根拠、というか自信も無くはなかった。

2月はわりと仕事で走る時間を割けずにいたけれど、1月はけっこう走ることができた。
平日に頻度高く走ることができたし、週末は上り/下りもある林試の森公園を30キロ走ったりもした。
前回は寒さに負けたのもあるけど、後半勝負というプレッシャーが激しく僕のメンタルは蝕まれたのが惨敗の要因だ。やってきたことは間違っていない。大好きな京都という街、楽しみつつ、ガチで走ろうと心に決めていた。

スタートは9時。
昨年より30分遅くなったそうだが、寒い京都での【待ち時間】はキツかった。

スタートとフィニッシュの場所が異なり、預けた荷物はフィニッシュ地点に輸送される仕組み。
スタートの45分前に荷物受け取りは締め切られるため、レース前の寒さ対策を講じなければならなかった。地味だけど、けっこうキツい。

でも走り出すと、天気が素晴らしく良く。暑いくらいの陽気だった。
最初の頃は、スピードも出るので体感温度が高くなりがちだけど、日も差して汗が流れ出す。

最初の1キロは5分30秒弱くらいだったが、2キロ目は4分50秒台に。
かなりのペースアップでフィジカルが心配になる。だけど、かなり身体が動いている感覚があったので、当初のプラン通りに行けるのではないかとスピードを落とさずに走り続けた。

ちなみに今回のレース、ゼッケンに自分のニックネームが印字されているタイプのものだった。
ニックネームを入れるか入れないかは任意だったよう(記憶が定かではない)。だけど入れていない人の方が多かった。
もちろん僕は「ほりそう」というニックネームを胸に走っていたんだけど、沿道から「ほりそう、頑張ってー」みたいな声援が多く飛んできて嬉しかった。

フルマラソンを毎回走るたびに思うが、沿道の声援やボランティアの声掛けに助けられることはめちゃくちゃ多い。
今回は僕の名前を呼んでくれたので、いつもよりも元気を貰えた(ハッスルした)ような気がします。ハッスルし過ぎて、ペースは上り調子になってしまった感も良い意味で否めないが。京都の人は、ほんま温かかった。おおきに!

中間地点を過ぎると、短距離間で50メートルの【高さ】を駆け登る急坂に突入する。
中間地点のタイムは1時間42分。ハーフマラソンとそれほど変わらないペースで駆けてきたので、この急坂は体力をかなり奪ったことだろう。
事前にコースに目を通していなかったら、この坂が延々続くのではないかと心が折れてしまっていたかもしれない。改めて事前に高低差図をチェックする必要性を感じる。

だけど、気持ち的にはそれほど大変ではなかった。
知らず知らず身体は悲鳴を上げているものだけれど、少なくとも心は揺らがなかったし、気持ち良いくらいだった。給食として生八つ橋が出てきてきたのも京都らしい。美味しくいただきました。笑

フィジカルが悲鳴を上げ、メンタルに余裕がなくなったのは30〜35キロのあたりだ。
2〜3時間というのは鬼門で、ここでしっかり走り切るというのが僕のテーマなんだけど、30〜35キロはその後半部分に該当する。
コースで言うと、賀茂川沿いの土手?を走る辺りなんだけど、一部区間の地面が【土】だったのだ。前日に雨が振っていて、地面は柔らかくなっている。泥状にはなっていないが、踏みしめるたびに力が下方に伝わり過ぎて、上下動がスムーズにいかなかった。踏ん張りが効かないのだ。

35キロ過ぎはコンクリートに移ったが、しばらく脚が言うことを効かなかった。
また今レースの唯一のミスが【朝食】。あまり上手く摂れず、空腹を感じてしまったのだ。35キロ過ぎてから、急に。給水や給食で慌てて腹に物を入れたが、それが力になるには時間が掛かる。焼け石に水だった。

これらのことで身体はバランスを崩した。首の左側のあたりが痺れるようになってきて、35〜40キロは31分10秒。大幅に減速してしまった。
走っていて気付いたけれど、微妙な【上り】という点も心憎い。折り返してからの【下り】で、改めて走れるようになったのだが、ここのロスは大きかった。ここが26分台でキープできていれば、サブ3.5に肉薄していた。改善はしただろうが、まだ体力不足と言えるだろう。

ゴールした後は、全身に【痛み】を感じた。
でも、フルマラソンを走り始めたときのような、尾を引くような【痛み】ではない。階段も、ゆるりと登ることができる。
年数を経て、【走る身体】になってきたということだろう。

実際、このタフなコースを、90%程度はプラン通りに展開できた満足感もある。
自分が強くなったところ、まだ弱いところを知ることができた気がしたし、何より京都の風は気持ち良かった。また走りたいと強く思った。
総じて、楽しいレースだった。

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さて、次は3月16日の「第2回サンスポ古河はなももマラソン」。
昨年はこの大会で自己ベストの3:34:37を叩き出すことができた、思い出深いレースだ。
ただし後半のRAPがかなり悪く、ここが伸びしろだとも思っていた。

その課題が完全にクリア出来たわけではない。
けれど、京都マラソンという高低差のあるコースで、35キロまでは良いペースで走り抜くことができたのは自信になった。
どうなるかは分からない。雨や風に苦しめられるかもしれないし、肉離れで棄権を余儀なくされる可能性もある。

でも、やはり目標は高く持ちたい。次のレースは自己ベストを更新、そしてタイムも【3時間半】切りを目指す。
なかなか最近天気が悪くて、走れない日も続いているけれど、その日までに出来る準備はしていければと思う。

勝田全国マラソン雑記

「その1秒を削り出せ」

2014年の箱根駅伝を制した東洋大学が、チームスローガンとして掲げていた言葉だ。
2011年の箱根駅伝で早稲田大学に21秒差で敗れた東洋大学。約20キロを駆けるランナーの1人1人にとって「1秒」はとても小さな単位に思える。しかし、結果的にその差をもって早稲田大学に優勝を攫われることになった。
その悔しさを胸に刻み付けた東洋大学は、2012年に大会記録である10:51:36で総合優勝を果たす。新・山の神である柏原竜二や、区間新記録を打ち立てた設楽悠太などの激走は、今も記憶に新しい。

2014年の箱根駅伝は、2012年の再現のような東洋大学の圧勝劇だった。1年生も4年生も、実力者も箱根デビュー者も、しっかりと自分の実力で走り切ることができた。
しかしながら、もはや誰もが忘れているかもしれないが、東洋大学は優勝候補の本命ではなかった。箱根駅伝前の主要5大会で「2位」という成績に甘んじていた。出雲駅伝、全日本駅伝で駒沢大学の後塵を拝していた。多くの人が駒澤大学の盤石ぶりに注目していた。

それを覆せた1番の理由が、「その1秒を削り出せ」というチームスローガンに挙げるのは早計過ぎるだろう。だが、どの選手も「その1秒を削り出せ」という言葉を腕にマジック書きしていたことが、チーム全体がまとまっており、「優勝」という目標に向けて団結していたことは示しているのではないかと思う。全員が区間4位以上のタイム、チームとして崩れなかった東洋大学の強さを印象づける。

さて、いつも通り前書きが長くなってしまったが、1月26日に茨城県ひたちなか市で走った勝田全国マラソンの話である。個人的な話である。

惨敗だった。

「天気が悪い」という前情報があったものの、スタート前には陽が上がり、ポカポカした陽気になっていた。半袖、長袖の両方を持参していたが、迷わず半袖を選択する。半袖、短パン。自己ベストである【3:34:37】を狙える体勢は、万事整っていた。

記録はこちら。

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寒暖差。地味に続くアップダウン。強風という外的要因。
30キロ以降でスピードを保てなかった実力、常に1キロあたり5分を超えているという焦りという内的要因。

この二つが惨敗の要因。考えてみれば、1月のフルマラソンは初めての経験だった。まさかリタイア直前のところまで追い込まれるとは思わなかった。

ちょうど26キロくらいでタイムはだいたい2時間だった。
この時点で、いつも通り、身体はやはり摩耗し始めた。
次の1時間だけしっかり走り切ろう。それが叶えば、残り5キロを気力で乗り切れる気がする。スピードダウンしかけるたびに、レース前に腕にマジック書きした「その1秒を削り出せ」の文字を触る。20キロから30キロまでの10キロは50分45秒。
つくばマラソンの時よりもスピードは保つことができていた。

しかし、32キロを過ぎたところで、いわゆる低体温症のような感じになった。
あまりに寒く、身体は冷え切り、心は軋み続けた。足を止め、筋肉を伸ばす。しかし、身体の冷えは収まらない。一度低体温症に陥ると、身体を温め続ける以外に対処法は無い。
絶望的な思い。タイムだけが流れていく。

そして、35キロの給水エリアでボランティアに救護を請う。
荷物置き場のようなところで、毛布を被り身体を温めた。そう簡単に温まるわけがないのだ。耳元で「あと5キロです、頑張ってください!」というボランティアの声援がひっきりなしに聞こえる。あと5キロではない、適当なことを言うなと毒づいている自分がいた。

その時点では、リタイアすることを考えていた。温かいスープが飲みたい。温かいお茶をすすりたい。冷たい水もスポーツドリンクも、もう不要だ。
だけど、なかなかボランティアが「大丈夫ですか?」と聞きに来ない。マニュアルはどうなってるんだと怒りたくなる。毛布を頭まですっぽり被りながら、自身の健康を案じた。

しばらくして顔を毛布から出してみる。
ボランティアの荷物が見える。何だか厚みのある本が顔を出している。表紙は見えないが、咄嗟に、プログラミング関連の本だと直感した。プログラミング関連の本は、いずれも例外なく厚い。記述が大変多いからだ。理系の大学生もしくは、趣味でプログラムを設計している人なのだなと思う。

時を経ずして、別の荷物が見える。
「Vintage」という文字が見える。高校生向けの英文法・語法集だ。ということは、彼らは高校生だ。さすがに3年生(受験生)ではないだろうが、高校生が自らの休日を潰してボランティアに励んでいる姿に驚いた。
よく見れば、全員あどけない田舎の高校生的な佇まいで頑張っている。まじか。俺も頑張らなくちゃいけないなと思った。

というのは、嘘だ。
彼らはボランティアに慣れていないのだろうと察した。

ということは、しばらくここで休んでいても、助けてくれない可能性がある。
荷物置き場は屋根はあるものの、風がぴゅーぴゅー入ってくる仮小屋のようなところだ。
身体は完全に温まり切ってはいないものの、ここで救護を待っているよりも、早く7キロを走り切ってゴールで温かい格好に戻った方が良いと判断した。

だいたい1キロあたり7分くらいのジョグだったと思う。
時間をかけてゴール地点まで辿り着いた。交通規制が外れた道路を走るのは初めての経験だった。4時間を超えたロードレースは、かくの如く「後処理」的な様相を呈するものなのだ。

当然ゴールは嬉しいものではなかった。
つくばマラソンで培われた自信は、脆くも崩れ去った。

実のところ、走ることが怖い。
次のレースは京都マラソンだ。

観光名所を巡れるコースは、歴史好きの僕としてはとても楽しみだ。
しかし、下記のようにアップダウンも多めと予想される。

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もう1ヶ月も準備期間は無いけれど、もう一度自分の走りを見直して、自己ベストに近い【3時間30分台】で走ることを目指したいと思う。

怖がっている場合ではない。今年も【ガチ】で走るのだから。