短期間で文章をまとめ上げる能力について

先日、サロマ湖100kmウルトラマラソンのブログを書いた。今日の昼に読み直してみたけれど「こんなにも誤字があるかね」というような内容で、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。初めての100km走だ、6,000字を超えるほどの熱量は評価しよう(自分に対して)。でもね、同じ言い回しをそこかしこでしていたり、ストライド走法のことを「スライド」と書いてしまったり、過去形/現在形/未来形の使い分けにブレがあったり、なかなか統一感のあるトーンで文章が書けていない。

話が逸れるけれど、トーンとは、つまり僕らしい文章のことだ。僕らしさとは何か?それを明確にすることはしていないから、僕は僕の文章をトーンという言葉で表現している。
改めて。僕はトーンを意識した文章を書きたいと思っている。文章の巧拙は、たぶんトーンには関係なくて、むしろ書けることが増えれば増えるほど、トーンがバラけてくるのかもしれないとさえ思っている。トーンとは身近で、かつ奥深いものだ。

さて話を本題に戻す。短期間で文章をまとめ上げる能力というのは希少価値が高いと思う。長い時間をかけて面白い文章や小説を生み出すというのも希少価値は高いけれど、ニーズという側面で見れば、短期間で書けるというスキルは裾野広く重宝されることだろう。そして、それはライターを専門職としない方(もちろん専門職であっても、この能力の高さは喜ばれるだろうが)にとって、その能力が極めて有効になるんじゃないかと思っている。

デザイナー、研究職、政治家、スポーツ選手、経営者…etc
別のフィールドでとりわけ強みを有している方が、それを正しく言語化することで、他者に伝わっていく。旬、というのも大事になるから、あまりダラダラと書かない方が良い。5分以内で読めるものをさっくりとまとめ上げる。他者に伝わっていく。
もちろん強みを何1つ有していなくても、上手い文章はすっと自分に落ちる。そもそも文章とは書き手と読み手のキャッチボールみたいなもので、いくら高尚な文章を書いたとて読み手に伝わらなければ、(あんまり)意味がない。

僕はけっこう、ダラダラと文章を書いてしまう。
たくさんの文章が、「草稿」として眠っていることが多い。
それは将来に活きるネタなのかもしれない。いずれにせよ、僕の中で眠る宝(のようなもの)を、僕は有効に活用していこうと思う。

そうだ、小説を書こう

やっぱり小説を書きたいって、最近強く思っている。
『星とビール』を書いて1年経って、別に誰にも求められていないかもしれないけれど、自分自身が書くことを求めている。そう気付いた。

単純な話、小説を書くためには、小説を書くための時間が必要だ。
休日だけにドカンと書けば良いのではない、平日から常に作品のことを考え続けることが重要だ。小説を書いていない時間にも、無意識の中でプロットのヒントを探している。そういうモードにしなくちゃいけない。平日にも書き続けなければならない。でも平日、多くの時間は本業である「仕事」に充てられている。

そうだ、朝も書こう。
平日6時半に起きてスッキリした頭で小説を書きたい。

そうだ、夜は早めに寝よう。
6時半に起きて、かつ7時間の睡眠時間を用意するためには、夜23時半に寝なければならない。

そうだ、23時からは本を読もう。
パソコンやスマートフォンなどのブルーライトは、心地よい睡眠を妨げる要因らしい。であればスマホは閉じ、本を読もう。

そうだ、22時から走ろう。
5キロ40分くらいの、緩やかなペースで。この時間に走っていれば、夜もグッスリ眠れるはず。

そうだ、20時半から小説を書こう。
平日の夜も1時間半くらいは小説を書きたい。朝は寝坊する可能性もあるし、早めに出社する用事も多そう。夜なら間違いなく、書く時間に充てられる。

そうだ、19時半からご飯を作って食べよう。
遅くても20時には食べて、小説を書く時間には済ませられるようにしよう。満腹だと眠くなるので、腹八分目くらいがちょうど良い。

そうだ、18時半には会社を出よう。家から会社までの通勤時間を鑑みたときに、これくらいの時間に会社を出れば夕飯の時間に間に合うと思う。

そうだ、コンパクトに仕事を終わらせよう。
ダラダラと仕事しては、色々なことが出来ずに終わってしまう。意識的に、効率性を高めながら仕事をすることが重要だ。

そうだ、朝少し早めに出社しよう。
僕はマイペースな人間だ。人がいると集中できないこともしばしば。人のいないオフィスで、普段は3時間かかる仕事を1時間で終わらせると余裕が出てくる気がする。

そうだ、1時間早めに出社しよう。

ということは、
そうだ、8時前に家を出よう。

逆算すると、色々なことが視えてきた。
出来ないことも多いんだけど、無駄な時間を極力減らせば不可能ではなさそう。

この記事(「1日の生産性は「朝」に決まる。朝型ビギナーでも簡単に始められる7つのコツ」)を1日1回くらい読んで、良い意味で自分のスイッチをちゃんと押すことから始めよう。自然とスイッチが入るようになることを祈りながら。

…というエントリを、小説書く手を停めて、書いた次第でございます。

カメラトーク、セッション【小説】

『カメラトーク、セッション』

Ⅰ. ジャンク、意味のない落書き

 凡庸な私たちの毎日は無為無策の連続だ。
「違う」と否定する人間たちの生活と比較・参照したとしても、やはり大きな違いは無いだろうと私は思う。大なり小なり、私たちは平凡を追求している。私たちは平凡を愛し過ぎているのだから。
 未来のことは誰にも分からない。一秒先に繰り出そうとしている意思決定は、いずれ自分にとっての面倒となり、多かれ少なかれ、他人にとって迷惑を呼び起こす。些細な認識のズレが衝突を招く。けたたましく静謐とした世間の喧噪は、それらの集積だ。人間たちの呼吸の間隙を縫うように、私たちは居場所を探す。探せない者は影と同じだ。踏まれたが最期、永遠に眠る。

 物事の悪い部分だけ、私は見過ぎているのだろうか。
 私たちが住む世界にはたくさんの優しい人間がいて、時には温かい言葉で励まされることが確かにある。

 気楽にやろうよ。
 気楽にやれば、確かにどんなことでも前向きに捉えられるかもしれない。

 なるようになるさ。
 自然体で人間たちに接すれば、時間が問題を妥結に導いてくれるかもしれない。

 進路選択、就職、パートナー選び、天気予報、経済政策・・・。突然の雨に降られ、ろくでもない意思決定に振り回されることも、心意気できっとやり過ごせる。笑えないときでも口角を上げさえすれば良い。きっと誰かが何かを処理してくれるから、あなたは、タチの悪いロックンローラーに「大丈夫」と言ってもらえる。あなたはきっと、大丈夫。

 そんな人間はペテン師だ。金魚の餌にもなりはしない。禿げて死ねばいい。
 あまり快くない自己紹介かもしれないが、許してほしい。でも、これが私だ。

 ここまで。私は未来の不確からしさを述べたけれど、結局のところ、過去から現在に至るまでの自分自身の全過程を掌握しているわけではない。歴史観は曖昧だ。自分のことは自分が一番分かっているというのは出鱈目。暴かれる反証に怯えながら、私はひたすら現在を切り取ってきた。(そして闇に葬ってきた)
 この六年間、私は私を取り巻く事実を手帳に記してきた。事実だけを、なるべく簡潔に。付き合っていた恋人と別れる直前、ふと思い付いたことがきっかけで始まった、短い自分史。
 喜怒哀楽を極力排しながら。私の行ないを客観的に評価できるように。どの角度から見ても、完璧なメモになるように。メモはメモリーと結びつく。つまらないダジャレ。何も洒落ていない。でも、そういうことだ。

 そのメモから推察するに。私のことを愛した男性は、私の生きてきた二十九年間で四人いた。愛することは、関係を持つことと同義ではない。圧倒的な百パーセントの温度と意思と意欲で接するということだ。

 例えば、
 性行為のあいだに、ビートルズの音楽をかけないということ。

 例えば、
 感じさせるでなく、受け容れるために耳を舐めるということ。

 時には、
 優しさと一緒に、暴力を行使するということ。注:暴力は肉体や精神を傷つけるものとは限らない。

 それらを満たす愛には、なかなか巡り会うことはできない。

 私を愛した四人の男性と、私はこの先二度と会うことは無いだろう。
 (恋愛の始まりに理由はないが、恋愛の終りには理由がある)

 一番目の男は、ありきたりで凡庸な男だった。私の記憶から、いつ消えても可笑しくないほどに。
 毎回同じようなデートをして、同じような味のラーメンを食べて、同じような体位のセックスをした。当たり障りのない会話は、まるで微風のように、部屋のカーテンを揺らすだけ。彼は私のことを愛して、私は彼のことを愛さなかった。そんな関係は永く続かない。短くはない時間の中で得た、為にならない人生訓。

 最初のうち、彼は挨拶のように「好きだ」と私に言った。彼は私の左側に立つのが好きだった。右手で私の左手を握るのを常とした。右手で私の髪をくしゃくしゃにした。真っ直ぐ私の目を見つめ、何でもないようにキスをした。私は目を瞑り、明日の朝食は何を作ろうかと密かに考えていた。
 周囲には、蜜月のように見えていただろうか。二人を結びつけていたものは、あまりにプラクティカルなものだった。ギブアンドテイクのやり取りが為され、乱れのないリズムが刻まれていただけだった。交流していなかった。確実に二人の世界はそこにあったと思う。でも、その世界の中で一人ずつが孤立していた。非連続に訪れた偶然や必然は、すれ違いを露わにするだけだった。

 最期の頃、彼はマントラを唱えるように「愛している」と私の方に言った。じめじめとした湿り気が、私の可動域を小さくしていく。いつしか私たちの間は、重く巨大な回転扉で仕切られるようになった。気付けば、それは私たちの間にしっかりと根付いていた。ひゅうひゅうという不快な音が風を切り、生温い空流が渦巻いている。彼は、その内側をぐるぐると廻り続けていた。私にもそれを求めたが、かなり前から、私は別のボートに乗り込んでいた。回転扉に留まり続けた私は別人格、あるいは残像に過ぎなかった。そんな私をひとしきり抱いた後で、彼は泣いた。汚い言葉で私を罵り、涙が出るほどに乳房や腕や太腿をつねった。

 けれど結局のところ、彼は自らを壊しているだけだった。
 壊れていく彼を見るのは、気持ちの良いものでは無い。彼は本質的にまともな人間で、私たちと一緒にいることが不幸せにさせていたことは明白だった。そんな彼と一緒にいれば、否応無しにその崩壊を直視せざるをえない。関わらなければならない。致し方ない、それが残像の義務だ。
 カケラのような分銅が、一方の上皿天秤に積み上げられていく。残像(あるいは影)は、彼と同じ仄暗い穴倉に閉じ込められた。私たちの後方では、彼が不連続にのたうち回っている。私は泣かなかった。彼のことを罵りもしなかった。

 そうして。いつしか彼は、カバンにナイフを忍ばせるようになった。刃先は、私の生命を狙っていたのだと思う。身の危険を感じて逃げることも考えたが、彼に殺されることも悪くないように思えた。敢えて逃げたとしても、私たちに行き場は無かった。
 彼と会い、会話を交わすのは、私たちに与えられた唯一の義務だったのだ。会うたびに、その日彼が何度笑うかを記録した。その数が二桁から一桁に落込み、程なくしてカウンターは作動しなくなる。故障では無い。彼の眼孔から、鋭い光が止むこと無く放たれていた。ぶつぶつと何かを呟いていた。私は聞こえないフリをして、スマートフォンを弄っていた。落書きできないような黒い画像ばかり検索し、それを全部集めて東京湾に廃棄したらどうなるかを夢想した。

 彼に殺されるのを待っていたが、その瞬間は永遠に訪れなかった。ナイフは先に、彼の喉元を貫いた。

 浴室で血にまみれた彼は、かつて鮮やかだった紅葉がその役目を終たときのように、土色に変容していた。目は大きく見開かれ、私の方を睨みつけているように見えた。酢を思わせる尖った臭いが充満していた。信じたくは無かった。けれど、間違いなく彼から発せられているものだ。その異臭は、今も鼻に残る。

 私が殺した。殺したようなものだ。
 義務を果たせなかった。私のせいだったんだ。

 もはや彼がいなくなって六年の月日が流れた。記憶は徐々に平面的になり、細部は曖昧になっていく。事実だけが褪せずに存在し、鎖のように私の動きを制御する。

「私と一緒にいて楽しい?」
「楽しいよ。啓子のことが好きだからね」
「もし、私のことを嫌いになったらどうするの?」
「啓子を好きな気持ちがなくなったら、俺の生きてる意味なんて無いよ」

 彼がそんなことを言ったのを覚えている。誰も崩壊していなかった季節は、例年に比べ蒸し暑い夏だった。油蝉がひっきりなしに吠えていたけれど、気付かないフリをして、私は遅めの朝食を準備していた気がする。
 愛されていたことへの返礼は、同じような気持ちを言葉にして、彼に伝えたことだった。その罪も無い発言(意思決定)は、結果的に誤りだった。私にとって消えない傷であり、言うまでも無く、締め付ける痛みを伴っている。

 生きる意味なんて無い。でもそれは誰だって同じなんだ。
 それでも私には許されている。記憶を思い出として切り取ることは。

 良い思い出もあれば、悪い思い出もある。
 一方は胸に秘めたまま、一方は鴉のもとに。
 悪い思い出は鴉のもとに、生ゴミと一緒に放り投げよう。仮定の世界はいつだって便利だ。

 今だって、グーグルで彼の名前を検索すれば、ふらっと彼の顔面が投影される。情報社会の賜物だ。

「ねえ、でもそれは誰のため」

 それは、思い出したくもない相手から来た、読みたくもない手紙のようなもの。
 開封するかしないか、私に選択権があるのなら、もちろん私は開封しない。そんな手紙を既読にしたまま、私はこの先、上手く感情をコントロールできるだろうか。
 やはり、ここは、あまりに暴力的に無関心な世界だ。強制的に開封を迫られるケースが大半だ。
 逃げちゃ駄目だ。逃げれば抹殺されるようなペナルティを負うことになる。前進したとしても、表出されている重大なリスクの中に飛び込まなくてはならない。私に自由を、さもなくば死を与え給え。

 ああ、思い出したくもないし読みたくもない。
 一方だけの場合と比べて、不快感は倍以上になるかもしれない。あるいは幸運なことに、負の部分が相殺し合って、不快感が多少和らぐかもしれない。でも、正の値に転化することは殆ど無いはずだ。一般的にそれは、奇跡と呼ばれる類のものだから。

 奇跡、ミラクル、クリスマス。
 数学や論理で、世の中の全てを説明することは困難だ。整頓された公式を幾重にも振りかざし、円周率のような無理数を根気強くカウントし続ける。膨大な時間と、遂行する意思と体力が求められる。ただし証明の果てに、クエスチョンマークが漏れなく付与される。見える終りが、本当の終りか分からない。
 でも、それが残された私にとって、最初で最期のアサインメントなんだ。私だけに与えられたユニークID。存在証明を鳴らせ。解明に向けて、私は物語を立ち上げる。

『羊をめぐる冒険』—僕と鼠と同じ歳になって思うこと

2010-03-30

街について話そう。我々の生まれた街ではなく、べつのいろんな街だ。世界には実に様々な街がある。それぞれの街にはそれぞれのわけのわからないものがあって、それが僕をひきつけるんだ。そんな風にして、僕はこの何年ものあいだにずいぶん多くの街を通り抜けてきた。(中略)仕事だって実にいろんな仕事をした。大抵は退屈な仕事だったけれど、それでも働くのは楽しい。いちばん多かったのはガソリン・スタンドだね。それからスナックのバーテン。本屋の店番もしたし、放送局で働いたこともある。土方もやった。化粧品のセールスもやった。セールスマンとしての僕の評判はかなりのものだった。それからいろんな女の子と寝た。違った名前と違った身の上で女の子と寝るというのもなかなか悪くない。まあ、そんな繰り返しさ。そして僕は二十九になった。あと九ヶ月で三十になろうとしている。

2014年1月4日。
新しい年になって久しぶりに、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んだ。
登場人物である「僕」と「鼠」。この小説は彼らが29歳であるという設定のもと書かれている。

「今の僕と同じ状況だ」と思った。そのときの僕は、あと8ヶ月くらいで30歳になろうとした。

その気付きは、僕の胸を強く打った。
村上春樹が書いた初期の小説(3作目の長編だ)を、偶然、30歳になろうとしているときに読んでいたのだ。

そのことについて、何かが書けそうな気がした。
特別に、今しか書けないような、何かが書けそうな気がした。

でも、1ヶ月半経っても、特別なことは何も浮かばなかった。
当初の想いをずっと塩漬けにしたまま、今に至る。あまり長い文章をだらだら書いても仕方がないと思う。だから、最近のことを少しだけ書くことにする。

2014年に入って、良いこともあれば悪いこともあった。
小説をもっと真剣に書きたいと思ったのは良いことで、次の作品を早く書き上げたいと思う気持ちも健全なものだと思った。

だが現実は、そう上手くいかない。
頭の中で構想はブラッシュアップされ続けている。それを「形」にすることだけができない。「形」にすることこそが小説を書く者にとって唯一の存在証明になる。文字と文字を結び、意味や背景や情感を創り出すこと。作為的な印象を与えぬよう、作家は優しく嘘をつく。

それが上手くいかない。悔しいと毎日思う。

30歳になることについて。
人生に節目というものがあるとしたら、確かに「30」というのはキリが良いし、節目と言えなくもないと思う。

僕にとって「20」というのは、間違いなく節目の日だった。
アテネで一人の日本人女性ランナーが快足を飛ばし、オリンピックという舞台で金メダルを獲得した。日本時間の、2004年8月23日未明のことで、僕は当時の恋人と一緒に、家でテレビを観ていた。そのとき握りしめた「興奮」は、今も手応えと共に残っている。

そう言えば、20歳のときに、僕は将来フルマラソンを走ろうなんて、これっぽっちも思っていなかった。
だけど今、僕は暇を見つけてはトレーニングに励み、フルマラソンで自己ベストを叩き出そうとしている。

自分の意思で走ること。
僕にとってフルマラソンは、ピタリと合うメタファーなのかもしれない。
それくらいなら、諦めずに出来そうだ。「30」になっても、出来ることからやり遂げたいと思う。

新しいことは始めない

年末年始の9連休も終わりに近付き、いよいよ明日から仕事が始まる。
さよなら2013年、よろしく2014年。
今年もなにとぞ、よろしくお願いいたします。


2013年を振り返ると、めちゃくちゃ良い年だったように思う。


初めて書いた小説をiTunes Storeで電子出版し、2ヶ月ちょっとで1,000ダウンロードに至った。全て読まれたわけではないと思うけれど、僕の作品が広く世の中に示せたことは、僕にとってとても大きいことだ。読んでくれた方に感謝したい。


2013年3月には、地元近くの古河はなももフルマラソンで、3時間34分の自己ベストを叩き出せた。平坦なコース、後半は苦しかったけれど走り抜くことができた。11月のつくばマラソンも3時間30分台の好タイム。2013年はマラソンを通じて、僕自身が粘り強さを得た気がする。平たく言えば「自信」がついたということだ。


同僚や仲間にも恵まれ、非常に愛された2013年だったように思う。
嫌な人には一人も出会わなかったし。これ傲慢かもしれないけれど、大きい。殆どストレスを感じずに1年過ごせるのは稀有なこと。

改めて、2013年の終わりが大変残念だ。

それもこれも、新年の初詣(目黒不動尊)にて、しっかり大吉を引き当てたからかもしれない。
今年も遅ればせながら本日参上したわけだけど、17時半で閉まっていた。調子に乗って午後から2時間半もランニングしてしまったせいです。先が思いやられます笑。でも、景気良く楽しんでいきたい。

今年は毎年恒例だった『7つの習慣』を読んでいない。『7つの習慣』は自己啓発本の中でも良書で、忘れがちな視点を提示してくれる。「何のために働くのか」を最初に考えたのも、この本がきっかけだったような気がする。書いていて、改めて読み直したくなった。

そう、別に『7つの習慣』を読んでいないからといって、特別何かを試みたわけではない。
本を読み、小説を書き、少し多めに走る。実家に帰って箱根駅伝を観たり、中学の新年会に参加したり、わりと普通の人と同じような生活をした。お餅も食べ過ぎて、肥えてしまった。

新しい年の始まりには、誰しも「挑戦」したいことを新年の抱負に掲げる。
『7つの習慣』には、日々の生活を見直さなくてはならないことが目白押しで書いてあるので、あれも・これもと見直し、プランを練り直す。新年ならではの試みだが、ある意味何も出来ないまま終わることが少なくなかった。

特に「新しい」ことへの「挑戦」は、とてもシンプルで分かりやすい。
だけど、僕らが日々生きることには理由があって、どんな風に生きるかは内的要因だけでなく、外的要因に縛られることも少なくない。それを忘れてプランだけ立てても、なかなか前に進むことはできない。特に僕は、何とか楽(らく)して生きる道を考えるような怠け者だ。愚か過ぎる。けれど、それが人間だ。

ここで視点を変えて、僕がこれまでに挫折(中断)してきた諸々をまとめてみたい。

  • サッカー(1992年〜1994年、3年)
  • 相撲(1995年、1年)
  • 紙飛行機づくり(1996年〜1997年、2年)
  • 野球(1997年〜1999年、2年半)
  • ラグビー(2001年〜2002年、2年)
  • アイスホッケー(2003年〜2006年、4年)
  • ホームページづくり(2003年、1年)
  • 大学以降の英語学習(全然続かない・・・)
  • 音楽フリークとしての音楽鑑賞(2005年〜2010年、6年)
  • ギター(2009年〜2010年、2年)
  • クライミング(2008年、1年)
  • 起業準備(2012年、半年)
  • プログラミング(2012年、3ヶ月)
  • 詩作(1995年〜2012年、18年)

    やや正確性は低いが、それが本質ではないので無視する。

    ここに挙げ連ねたものは、僕自身が継続して行なえなかったものだ。
    あまりに多過ぎて目眩がする。これはあくまで着手できたものの数だ。「やりたい」「始めたい」と思いつつ、出来ないことも同じくらい多くある。

    続かない理由の1つは、義務感に捉われてしまったからではないかと考えている。
    「野球」「ラグビー」「アイスホッケー」は学校生活で自分が属するコミュニティに関わるものだった。始めるきっかけは自発的だが、壁にぶつかるとそれを乗り越える意思が僕は持てなかった。それでもコミュニティから外れることは恐ろしい。惰性の悪循環。義務感が一息つくところ(コミュニティからの卒業等)で、僕はあっさりと継続することを辞めてしまう。

    もう1つは、熱狂的に好きではないという理由だ。
    まるで逆のことを言うが、「ギターを弾く」ことは楽しい。コード進行表に沿ってアルペジオが1音も間違えずに弾けたときは大きな喜びの1つだ。だけど、それまでだった。耳がそれほど良くなくて、細かい音色を聞き分けられないことに気付くと、熱は急速に冷める。ギターに触れる時間はどんどん減っていった。熱狂的に好きになれず、趣味を継続できないことはあまりに多い。

    逆に、僕が今のところ継続できているものは、

  • 自発的な読書(1991年〜1996年、2002年、2004年〜、17年)
  • ランニング(2007年〜、6年)
  • 小説を書くこと(2012年12月〜、1年)
  • ブログ(2004年〜、10年)

    たったこれだけ。
    たったこれだけだが、以上が僕を形成し説明できる数少ない手持ちの武器だ。

    それらが僕をどんな風に形作ってきたかは別のエントリに回すとして、これらをやっているときが一番楽しいし、リラックスできる気がする。何かを常に発見するし、反復の成果は身体に染み込むことを実感する。

    もっと速く走りたいし、もっと上手く/たくさん書きたい。
    そんな風に、シンプルに思えることが重要で、2014年は、それに尽くす年ではないかと思うわけだ。

    それだけで楽しく生きられそうだ。
    そんな予感のもと、2014年を輝かしいものにしていければと思う。

    今年も、なにとぞよろしくお願いいたします!

    新年にTwitterのTLに流れてきた、このPVはとても良かった!

    小田朋美「Love the world」