朝井リョウ新作『世界地図の下書き』を読み、朝井リョウ出演の情熱大陸を観た

・『何者』
・『桐島、部活やめたってよ』
・『チア男子』

と続いて、朝井リョウの新作『世界地図の下書き』を読みました。

朝井リョウ_世界地図の下書き

朝井リョウと言えば、「学校もの」。過去の作品と異なり“小学校”を舞台にしている。しかしながら、良い意味で安定の“青さ”が随所に散りばめられていて、朝井の経験に基づいた主観や人間観が溢れている。朝井ファンの僕は、朝井のクセのある表現が大好きで、読み始めると止まらなくなってしまう。

それを前提として、感想を述べたい。『何者』を読了したとき、僕はこのブログにこんな風に書いた。「直木賞を受賞した朝井リョウの『何者』を読んだ

ラストシーンでは、帯に書かれている「あんた、ほんとは私のこと、笑ってるんでしょ」という言葉が生き霊のように登場し、何度も何度も執拗にまとわりつく。ぐりぐりと心を捩じ上げ、気付けば逆転負けを喫することになっている。1−0で勝つだろうと思ったら、1−3で負けてしまった、“あの”ワールドカップのように。

今年の1月に書いた書評なので、ワールドカップを例に持ち出したのは若さということで勘弁して欲しいものだが(笑)、終盤の畳み掛けるような叙述に、心を奪われたことは理解していただけるだろう。同じく『チア男子』でも、登場人物の心模様が万華鏡のようにクルクル表出してきて、グツグツと小説の温度を上昇させた。

朝井ワールドというか、そんなジリジリとしたトリックが面白くて、僕は最新作『世界地図の下書き』も手に取ったのだけれど、山場〜読了までの時間は、“拍子抜け”であった。

悪口を言うつもりはない。時間軸が前後しながら、登場人物の思いや事情を丁寧に描きながら、主人公・太輔の“告白”が描かれる。まだ人生経験のあまりに浅い、小学6年生のピュアな“告白”には相応の納得感がある。だけど何だろう、言って見れば突っ込みどころがないのだ。「俺、朝井リョウの最新刊、○○な所が良かったぜ」「だけど、○○な部分がイマイチだったぜ」というもの。誰かに感想を話したくて話したくてたまらない、そういう気にならなかったということだ。

7/14(日)の情熱大陸は、新作のプロモーションも兼ねてだろう、朝井リョウが出演していた。

新作の発売日は過ぎているので、既に読み終わった人によっては、「答え合わせ」の一面もあったろう。そして、答え合わせはバッチグーだった。

番組の後半、ようやく新作についてのやり取り。朝井と編集者の間で、こんな会話が行なわれていた。

編集者「ここはやっぱり後半の山場で読者がどうなるんだろうって思う所だと思うんですね。なのでここはもうちょっと緊迫感を出したいというか。すごくあっさりっていうか、もったいない気がしていて」

朝井「あっさりの方が良いかなと思って、こうやって書いていたんですけどね。ここは」

編集者「全ての物事が等価で扱われている感じなんですよ。この後半」

朝井「そうやって書いてますね。盛り上げようとするとクサくなる。どうしても。スゴイ作り物の話なんだけども、いやらしくないみたいな・・・。そういう風になると一番良いんでしょうけどね。僕がやると全部いやらしく見える気がするんですよ。やっぱ23年しか生きていない、生きていないのに何でこんなこと書いてるんだろうねっていうのは、ずっとある。(中略)なので、ちょっとでも作り物の部分があると、すぐバレる気がすると思うんですよ」

なるほど、意図的だったわけですね。これに関しては賛否両論、おそらく“否”の部分が多そうだけど、1作や2作のチョンボは許されるだろう。チョンボっていうほど、悪くないし。むしろ上手くなってるし(ごめん、僕は嘘がつけないので、フォローもあんまり上手くないんです)。確かなことは、朝井は自身の「経験」を大切な材料とした、誠実な小説づくりを行なっているということだ。

周知の通り、朝井リョウは、社会人2年目のサラリーマンでもある。二足のわらじで、作家とサラリーマン業をこなしている。(この辺りも、一定の層に物珍しさで支持されている理由だろう)

朝井自身は言及しなかったが、サラリーマンを続けているのは、サラリーマンそのものを「経験」したかったのではないかと僕は邪推する。村上春樹はBARの経営を、横山秀夫は新聞記者を、湊かなえは教師を、それぞれ「経験」してきた。作家はフィクションを扱うから、「経験」がマストではないかもしれない。しかしながら、物語に活き活きとした色彩やトーンを与えるためには、「経験」が武器になることもあるだろう。

朝井は、きっとこれからも書き続けるだろう。

そのための糧を貪欲に、仕込んでいる。

そして、きっと、しれっと、“大作”を書いてしまう。

学生時代、文学サークルに所属しなかった朝井が、しれっと、作家デビューしてしまったときと同じように。