第31回サロマ湖100kmウルトラマラソン雑記(2016年6月27日)

昨年のエントリはこちら

年に1度、Crazyな挑戦を翌日に控えていた中で、ふと目に入った友人のInstagram。
僕は面識が無いのだが、(おそらく)同世代の女性が病気で亡くなったという報。詳細は判らない。僕も何処かですれ違ったことがあるかもしれない。
僕もここ2年、祖父を続けて亡くしている。それはそれで悲しいことだけれど、同世代の女性が亡くなるという報には、悲しみを超えた虚無、何も考えられなくなるような想いが去来する。

去来。
行ったり、来たり。

高揚していた感情と混ぜになり、なかなか寝付くことができなかった。

それでも昨年よりはマシで、2時間半くらいは断続的に眠れた気がする。
2時間半前に胸をよぎった想いは、完全には消えない。一緒に走る友人に、そのことを話すわけにはいかない。テンションは、走ることに集中させる時間である。僕の、僕だけの事情として、この場はやり過ごすことにした。

幸い「眠いなあ」という気分は無い。前日にゼッケン貼り付けや荷物仕分けもしていた(昨年はそれを朝起きてから行なったので非常に慌ただしくスタート直前を過ごしてしまった)。予定通りの時間にホテルを出発し、スタートの45分前には現地に到着した。緯度が高いせいか午前4時の空は明るく、朝焼けの海が眼前に広がっていた。

本日の天気予報は、雨。
雨量は少ない様子だが、1時間ごとの予報には全部傘マークが並んでいる。
東京にいた時点で予想していたことなので、防寒・防雨の想定および対策はしている。一緒に走る友人は半袖短パンだけれど、僕自身は「やることはやった。走るしかないな」と悟るような想いだった。

荷物を預けて、スタート地点に到着する。まだ3分ほど余裕がある。雨は降っていない。
ストレッチを念入りに行なう。またこの場所に戻ってきた。懐かしい感情に浸るも、昨年に苦労した(心が折れた)ポイントを再確認するのは忘れない。
レストステーション(54.5キロ地点)を超えた後半戦、何度心が折れそうになったか判らない。途中でリタイアした友人の分まで走ろう、何より北海道の端っこまで来てリタイアしたくないという「想い」だけで完走できたに違いない。過酷な13時間をリマインドすると、否応無く気持ちが引き締まる。

ランナーたちは雨に備え、やや厚手の格好に身を包んでいた。レインコートを纏うランナーも少なくない。
昨年と同様、覗かせる肌身は筋肉が隆々としていて、血の滲むトレーニングを積んできたことを想起させる。凄いなあ。俺はせいぜい、5月に60キロ走と50キロ走をやったに過ぎない。走り込みの量で比較すると、友人の1/3程度になってしまっているだろう。こんなタフなレースで、僕は13時間後に完走の喜びを味わえるだろうか。

スタートの号砲が鳴る。
スタートラインを突破するまで、今年は55秒だった。前回よりも3分ほど早くスタートラインを超えた。
そのせいか、周りのランナーのペースは速い。スロースタートを決め込む僕は、ひたすら抜かされていく。
友人は触発されるように、ゆるりとギアを上げている感覚があった。昨年リタイアしているだけあって、彼には満を持してのレースになる。力みは無いけれど、彼のペースには鍛えてきたプロセスに裏付けされた説得力がある。それを阻害してはいけない。彼に「先に行く」よう目線を送る。

僕らはレース序盤から、お互いがお互いのペースを尊重するという選択をすることになった。
併せて僕は思う。そもそもマラソンとは個のスポーツだ。何をするにも、ランナーの自由が何より尊重されて然るべきだし、とりわけ雨が降るであろう特異なレースにおいて、「正しい」選択が何か確証を持てるわけが無い。
スロースタートの僕がギアを上げ切らず体温を奪われて早期リタイアするかもしれないし、ペースを上げた友人が後半に地獄を見るかもしれない。それでも、それが本人の選択ならば後悔は無いだろう。

こんな風に、僕らは爽やかに決別した。

走り出しは曇り空だったが、4キロほどを通過した時点で、粒としての雨が落ちてくる。案の定だ。一時的とは思えない、存在感のある雨。改めて、参加者はタフなレースを覚悟し直したことだろう。

5キロを過ぎると、サロマ湖100キロウルトラマラソンらしい、長い直線が控えている。一本道で言うとここから約15キロだ。風景は多少変わるけれど、2時間弱を黙々と走る他無くなる。
ある意味、参加者はここでペースを作る。速過ぎだと思えばペースを落とすし、遅いかな?と思ったらペースを上げる。序盤だから、力の出し入れは比較的容易だ。

考えてみれば、僕は5年前に雨のレースは経験したことがある。
その年は2011年で、東日本大震災を経て間も無くの時期だった。埼玉県で開催されたフルマラソンだった。東北を支援したい気持ちのランナーも多かったのでは無いだろうか。今は熊本の地震が明けて間も無い時期である。無理矢理当時の心境を重ねる必要は無いのだが、走りながら、ぼんやりと当時を思い出したりしていた。単純に暇だっただけかもしれない。

それでも時間の経過と共に、精神や身体は何かしら気になることも出てくる。

今回は最初の折り返しを経て、20キロ地点を通過する直前だった。
冷たい飲み物のせいか腹に不安がよぎり、5分ほどトイレ休憩に立ち寄ることにした。
20キロを超えても、なお、トイレに行った方が良いかな?と自問する時間が続いた。だいたいこの時間帯になると、同じペースを保つランナーが前後に存在するようになる。彼らのペースに合わせることで、エネルギーは省力化される。なるべくならば離脱したく無い。トイレから復帰した後に、ペースの緩いランナーと一緒になることで、無駄なペース・アップを招きかねない。

何事かをぼんやり考えるのはマラソンの常だけど、不安はイコール邪念である。邪念は身体を不必要に揺さぶり、ペース維持に微妙な狂いを生じさせる。

30キロ手前で、「こんなに疲弊して大丈夫かな?」と思う。
睡魔にも襲われる。寝不足かもしれないし、森沿いの独特な空気感のせいかもしれない。2キロくらいは眠気でフラフラになり、これからを絶望してしまった。
ランナーにとっての眠気は要注意だ。体温の低下も影響しており、悪化すると低体温症に陥ることもあるからだ。

意識をクリアにしなければならない。
ちょっとテンションを変えようと、エイドの水を首筋にかける。やや冷た過ぎる。
身体が余計に冷えてしまったと思うが、結果的に良かったのかもしれない。少し経つと眠気が収まり、ペースが戻ってくる。自分の意思で地面を蹴っているという感覚がある。更にペースアップするよう、心の内がざわめき始める。「ちょっと待て、まだ早いよ」と頭が言いなだめても、僕の身体は前に行きたがる。頭よりも、結局のところ身体が先に反応してしまったのだから手がつけられない。もっともペースアップは悪い選択では無かった。序盤に抜かれた何十人ものランナーがスピードを一律落とす中で(35キロ過ぎからアップダウンがあるため、殆どのランナーがペースダウンしていた)、僕は国道沿いを軽快に駆け抜けて行く。

スタートから4時間40分。42.195キロ地点に到達する。昨年よりも20分早い。フルマラソンのペースを多少上回るくらいのスピードだ。
そして間も無く、前方に友人の姿を捉える。
奇しくも昨年、彼が離脱したポイントである。時を置かず彼に並び、「追いついた」と言う。彼は寒そうに見えたが、疲れているわけでは無さそうで声に余裕があった。このままお互いがペースを作り合いながら走れば、54.5キロ地点のレストステーションまでは1時間ちょっとで到達するはず。心強いパートナーだ。

それでも、僕らは自分たちのペースを楽しむ(優先する)ことにした。
並走することもあれば、僕が前に出て距離を空けることもある。僕が休憩すれば彼は待たずに先を行く。雨は時々止むが、寒さを和らげるほどの猶予は与えない。ウェアも少し水分を含むようになり、脱ぎたいなと思うまでになった。相変わらず僕は登り坂もペースを落とさずに進むことができた。けれど来るべき後半に向けて、ペース維持の調整を、何処かで入れるべきだとも感じるようになる。

6時間ちょっとでレストステーションに到着する。栄養補給だけでなく、昨年と同様、ウェアを全て取り替える。着替えスペースでは運良く椅子に座ることができた。他のランナーには悪いが、身体のために最大限活用させていただくことにする。
休憩時間は20分。着替えの他に、補給食を摂取する。ゼリー飲料1種、アミノバイタル半分、レッドブル1本。ちょっと長く留まり過ぎたかもしれない。ただ僕の与り知らぬところで身体は休まったかもしれない。

冬用のコンプレッションウェアを上下に纏い、その上から半袖Tシャツを被る。
防寒万全とまでは行かなかった。走り出すとひんやりとした風が身体に刺さる。決して強い風では無い。雨が降っていなければ、身体を良い具合にクールダウンしてくれただろう。それでも、前半に身体が冷えた恐怖があったので、多少慎重に歩を進めなければと懸念することにした。

ただ十分に休憩を取ったので、60キロまではこれまでのペースが落ちることは無かった。
さて、難関となる60〜70キロ。
昨年は「残り40キロもあるのか」という想いが頭を過ぎり、苦しいランになってしまった。
今年もここがターニングポイントに成るだろう。60〜70、70〜80の10キロ×2を我慢して走り、ワッカ原生花園にそこそこのタイムで入れれば完走が見えてくる。60キロを過ぎてストレッチをする。その後、素知らぬ顔で距離を縮めたいと思っていた。

一方で、少し前から感じていた違和感があった。胃に何かが溜まっている。何度か厳かに放屁してみるが、焼け石に水のような感じで、徐々に身体に重みが出てしまう。
66キロ過ぎに「魔女の森」というエリアに差し掛かった。森の中を走るコースで、空気が一段とひんやりとする。視界が澄み、必要以上に眩しさを感じる。頭がクラクラとする。温かみが欲しいのに。
吐ければ楽になる。そんなことを思い、試みるも上手くいかなかった。タイミング良く、吐くことはなかなかできない。一度だけ、胃液が喉元近くまで押し寄せてきた。胸が詰まり「今だ」と思い停止するが、結局は吐けなかった。ランナーたちは無情にも僕を追い抜いていく。燃料は切れ、ガソリンタンクが空っぽになっているような状態に陥っていた。スポーツ飲料などを口に含んで誤魔化すも、一番苦しいポイントはしばらく僕の周りに影を落としていた。

70キロ手前で、私設エイドとして有名な斉藤商店さんに立ち寄る。冷たいおしぼりに加え、お茶、トマト、キウリ、凍らせたブルーベリーなど、「ここにしか無い」サービスが特徴だ。後半戦に臨むランナー(もちろん僕も含む)にとって、希望の拠点なのだ。
フラフラになりながら立ち寄る。オーナーの斉藤登久代さんがそんな僕に駆け寄っておしぼりを渡してくれる。
「死にそうな顔で走ってるんじゃない!」と激励される。笑って頷くと、それで良いという風に微笑みを返してくれた。登久代さんのことはテレビで知ったに過ぎないのだけど、ちゃんと元気を貰えるから有難い。優しさだけでは、こんなボロボロな状態で残り30キロを走り切ることなど不可能なのだ。

とは言うものの、タイムは悪いわけでは無い。
昨年よりも20分上回るペースは継続されているし、10キロごとのラップも1時間10分台でまとめている。苦しみは先ほどがピークだったようで、だんだん波が戻るように身体は平静を取り戻すことができた。
ワッカ原生花園までの10キロは殆ど時計を見ず、ただ「1キロずつ進もう」と考えるだけだった。コースは道路沿いで何の変哲も無い。じわじわと1キロ間隔で刻むことは憂鬱を招きがちだけど、このときの僕は「あの看板まで走ろう」「あのカーブを曲がれば距離表示の看板が現れるはずだ」「給水まで500メートルなら、そこまでは歩かずに進もうか」と、かなり前向きなマインドを取り戻していた。

登久代さんの激励と、ブルーベリーのビタミン。
それぞれ僕のメンタルと身体を補正してくれたのかもしれない。

そんなこんな、今年も無事にワッカ原生花園に戻ってきた。「戻ってきた」という感覚だ。実際に声にも出してみる。「戻ってきた」と。スタートから9時間37分(80キロ地点)、長い長い旅も終盤と呼んでも良い状況だ。
ざっくりと試算する。残り20キロを3時間23分で走れば良い。さすがに2時間23分(10キロを1時間10分、一番速い頃のペース)で走りサブ12を達成するのは困難だけれど、もしかしたら12時間10分台で帰ることはできるかもしれない。

達成したい具体的な目標、
それに伴う絶対的な意思、

その2つが揃えば、人間はそれに向けて能力をフル稼働するものらしい。このレースを通じて学んだことだ。

昨年はコースを蛇行しながら、何とか完走に向けて気力を振り絞る苦しいレースだった。今年も約10時間走ってきて、身体の節々は痛むし、降りしきる雨にうんざりもしているが、「まずは最後の関門まで。ペースを乱さずに走ろう」と極めて冷静に自分をコントロールすることができていたと思う。ワッカ原生花園に咲くオレンジ色の花々を観るほどに、昨年とは違う余裕が自分にはある。早ければ2時間、遅くとも3時間で、このCrazyなチャレンジは終わる。せっかくならば悔いの残らぬようベストを尽くしたい。そういう想いで、まずは往きの9キロを走り切る。今年から、折り返し前に長く急角度の坂を登らなくてはいけない。多くのランナーが余力を残すべく歩いていたけれど、僕はのろのろと確実に走ることができた。

12時間10分台でなく、
12時間0分台でのFINISHが見えてきた。

全力で復路も走ろう。
意欲が、再び沸き上がる。

そう決めてから、何人抜いたか判らない。抜かれたのは1人だけだった。
この時間帯のランナーとしては元気な方だと自負して良いだろう。緩やかなアップダウンがあるワッカ原生花園のコースの中で、復路は比較的走りやすい。関門を終え、後続のランナーとすれ違うことも無いのでコースが広々としている。往路を走ったことでコースマップも頭に入ることも、そう感じる要因だろう。

そんな風にして、1キロ7分前後のペースで、1キロずつを詰めることができた。
残り3キロの表示、改めて時計を見ると、目論んでいた記録の達成は確実なものとなる。だからと言って、力を緩めるのは性に合わない。というよりも、もうスピードを落とすことを身体が良しとしていない。早く、ゴールの瞬間を味わいたいと思っている。
フルマラソンでも、最後の3キロは長く感じるものだ。毎度「何故フルマラソンは40キロでは無いんだろう」と先人を恨んでいる。だけど、3/100という数直線における範囲はあまりに小さく感じるし、それを苦しみ深いものにトランスフォームするのはありえないとすら感じていた。

そんな風に距離は、残り2キロとなり、残り1キロとなる。
レース最後に祝福されるビクトリーロードは、ラスト300メートルにわたり続く道だ。沿道からたくさんの声援をいただける嬉しい場所。

僕はそこから更にギアを上げて、10人くらいを一気に抜いた。
あくまで他人を追い越すというのではなく、自分に発破を掛ける最後のダッシュだ。
僕以外の時間が静止してしまったかのように、とても静謐な時間だった。

走れるものだ。改めて思う。
終盤はずっと集中を保てていた。最後まで、感情が正負いずれにも振られ過ぎるということが無かった。
僕の力を超えたものだと、確信を持って言える。

それでも、ゴールラインを超えたときは涙が出るほど嬉しかった。
実際に涙も出た。12時間2分47秒。このタフな1日を完走することが1番の目標として設定していた僕にとって、望外の喜びである。

去来する様々な思いを少しだけ宥め、記念撮影をする。
僕自身はフィジカルには強みは無いけれど、少なくともメンタルにおいて「自分に負けたくない」と思う力はかなり強いことが判った。こうと決めたら前だけを向いて、力を尽くすことができる。自分にとって新たな発見だ。

別々のランだったけれど、一緒に走った友人も30分ほど遅れてゴールする。
途中何度も一緒になり、抜きつ抜かれつしながらレースを共にした。感覚的には、レース全てで同一の記憶を有したように思う。
来年のことは判らないけれど、またサロマ湖を走れたら素晴らしいことだと思う。もちろん、それは本人がどんなチャレンジを選択するか次第。僕だって来年は別のチャレンジをしているかもしれないわけだし。いや、サロマ湖に帰ってくるだろう。きっと。

***

最後に。
サロマ湖100キロウルトラマラソンにおける若きレジェンド鈴木健司さんが、本レースで20回目の完走を果たした。いわゆる10回完走者に贈られるサロマンブルーから、グランドブルーという新たな称号を獲得されることとなった。心より祝福の気持ちでいっぱいだ。

直接の面識は無いけれど、通り掛かるたびにお声掛けさせてもらった(今年は計3回ほど)。
ただ走るだけでも大変だろうに、声を掛けると鈴木さんは顔をくしゃっとして応じてくれる。僕自身が、逆に励まされていた。

20回もサロマ湖を走る。
僕には想像もつかない世界だ。僕も走り続ける中で、鈴木さんの境地に達することがあるかもしれない。それまでは粛々とトレーニングを積み、鈴木さんの背中を見ながらサロマに臨んでいきたいと思う次第だ。IMG_7844

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第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン雑記(2015年6月28日)

思えば1年前から、この日をイメージしてきた。
別に今日まで物凄くストイックに自分を追い込んできたわけじゃない。
それまでに走った最長距離は75キロ。
初めての「100キロ」はサロマ湖100kmウルトラマラソンと決めていた。
ただ憧れだけ胸に抱いて、このレースを13時間以内にゴールする自分をイメージしてきたのです。

曇天=好天。ここ数年で一番「走りやすい」と思われる今大会。
だけど僕は、レース中盤から苦しくて仕方なかった。少しだけ長い記録になると思うけれど、感じたことをつらつらと書き連ねようと思う。

***

前日はまるで眠れなかった。
8時半から新千歳空港を出発しての約300キロドライブ。
普段運転しない僕にとって、慣れない運転は疲れるものだ。14時半、受付終了後、コース下見も十分に行なった。宿に着いたのが19時過ぎ。友人とビールで乾杯。彼と宿泊を共にするのは、昨年11月の南伊豆みちくさマラソン以来。語り尽くすようなことはしない、いつも通りのんびりと会話を楽しみ、どちらともなく眠りに就く。心地良い眠りに就くはずだったのだ。だけど。

どういうことが起こりうるだろうか。
無事に完走できるだろうか。
完走したらどんなことを自分は感じるだろうか。
嬉しいだろうか。辛くて倒れてしまうだろうか。クールに淡々とゴールテープを切るだろうか。
イメージは妄想へと遷移し、取り留めなく仕事のこととかに波及しながら、思考は当ても無くグルグルと回ってしまった。

21時半に電気を消した。
22時、23時、24時、25時。
廊下がパタパタと鳴る。気が早いランナーは、もうスタート地点に向けて出発するらしい。
出発してもおかしくない時間ではある。僕らも1時半後の26時半に起きる予定なのだから。

何とか眠りに就いたのは25時30分。
それから1時間後にiPodのアラームで目を覚ます。
さすがに眠い。ただ、二度寝するわけにはいかない。幸い、頭の中はすぐクリアになる。
まだ寝ている友人に声を掛ける。早く用意をしよう。ゼッケンを安全ピンで留める。レストステーションがあるので、二つ分のウェアにゼッケンをつけなければならない。起き抜けには面倒な作業だ。
同時に、コンビニで買っていた朝ごはんを食べる。ウルトラマラソンは体力勝負だ。お腹が空けば走れなくなるから、無理にでも腹に入れる。

サロマ湖100kmウルトラマラソンは、55キロ地点にあるレストステーションに荷物を送ることができる。
僕は着替え一式(コンプレッションウェアも含む)、ウイダーインゼリー、アクエリアス、饅頭、バンドエイドなどを詰め込む。どんな状態に陥ったとしても、少しでも回復できる用意をしなければ。荷物の量は加速度的に増えていく。
友人はそんなに準備をしていない。僕ほど緊張していないのだ。そんな彼を羨ましく思う。(主に僕が)慌ただしく用意をしているうちに、出発予定時刻を大幅に過ぎてしまった。

紋別市から30キロ離れた、湧別町の湧別総合体育館がスタート地点だ。
スタートの25分前に現地に到着する。幾ら何でもギリギリだ(受付は前日に済ませてはいるものの)。
荷物を預け、トイレを済ませ列に並ぶと、感慨に耽る間も無くスタートの号砲が鳴った。3,054人のランナーが一斉に走り始める。
「いよいよだなぁ」というより、「準備運動してないなぁ」という思いの方が強かった。

***

スタートは3分半のロスだった。
初めは飛ばし過ぎない。ウルトラマラソンの鉄則を、殆どのランナーが守っている。
昨今のフルマラソンの大会に見られるような、「明らかな初心者」は見掛けない。ウェアと脚を見れば判る。

それはそうだ。
ウルトラマラソンの聖地と呼ばれるこの大会には、北海道外のランナーが半数を占める。
多くのランナーがわざわざ飛行機に乗ってやってきて、北海道の北東へ赴き、北見市、湧別町、佐呂間町を跨ったコースを13時間かけて走る。言い方は悪いが、冷やかしで参加するにはコスパが低い。
というか、ここまで来たからには、どのランナーも「絶対にリタイアしたくない」と思っている。目の前にいるのは、練習に練習を重ねた人たちなのだ。

5時。身体が冷えるくらいだ。
僕ら(僕と友人)は、通常のレースと同様、最後尾付近に位置する。それほどスピードを上げないために、なかなか身体は温まらない。
とは言え、飛ばし過ぎたり、急にペースを上げたりするのは厳禁だ。50キロくらいまでは、2キロ13分30秒〜14分で行くと決めている。
塩タブレットを持参し、5キロ毎に補給する。給水所でも水を摂る。喉は渇いていないかもしれない。けれど身体が、いつ脱水症状に陥るか判らない。

スタートして1キロ過ぎ、土踏まずに痛みを感じる。
普段、痛くなることの無い箇所だ。足を止めて、足首をグルグルと回してみる。痛みは遠のくけれど、不吉な予感が近接している。いつ、また痛みが顔を覗かせてもおかしくない。
ウルトラマラソンは「メンタル7割、実力3割」と言われる。100キロという途轍も無い距離感にビビっているのだろうか。少しだけ笑ってみる。少しだけ落ち着く。

何も考えないことがポイントだ。
他のランナーのフォームを観察したり、朝焼けのコントラストを見つめたり、昨日聴いた道の駅のオリジナルBGMを心の中で口ずさんだり、何でもないことをぼんやりと思考に登場させる。タイムのことを気にしても、距離が縮まるわけではないのだ。6/7に走ったレースのときのように、身体に染み付いているリズムで走ることが肝要だ。想定通りのタイムで進行する、それ以上でも以下でもない。

10キロを過ぎて、サロマ湖が右側に初めて見える。
更に15キロを過ぎたところで、続々と先頭を走るランナーたちとすれ違う。
力強いストライドで駆け抜けていくランナーは、6時間台の記録を狙っているに相違ない。
しばらく走っていくとオホーツク海が左に見えてくる。ただ広い景色。オホーツク海とサロマ湖に挟まれたエリアで、潮と風の匂いが混ぜになる。最初の折り返しは20キロ手前の地点。ようやく身体が温まってくる。

朝8時。東京の知り合いも起き出す時間帯だ(いや、まだ寝てるかもしれない)。
だいたい、出場者のペースも落ち着いてきて、何人かのランナーを頻繁に見掛けるようになった。彼らを基準にレース展開を確認したり、後についてペースを整えたりすることは経験から非常に有効なことだと思う。

ただこの辺で落とし穴があった。身体が温まり、少しペース・アップしてしまったのだ。「ペース速まってない?」と友人に指摘される。「落ち着こう」と何度も言うけれど、なかなかペースは元に戻らない。僕らにとって20キロを過ぎてからの走りが、後に少なからぬ悪影響を及ぼしてしまったかもしれない。

***

30キロ地点は、何もない田園の中を走る。
日が差してくる。今日は一日中曇天というわけではなさそうだ。
コースに設置されている「かぶり水」を、頭から被る。身体にかからないように慎重に。股擦れや靴擦れを避けるためだ。中には氷の混ざっているかぶり水もある。気候のせいか、それは冷やし過ぎで、僕の身体の体温は、汗が引くくらいに下降する。

35キロ手前で、坂道に出喰わすようになる。
高低差はせいぜい40メートルほど。フラットなコースと言われているし実際そうなのだが、疲れが溜まってくると少しの傾斜もキツくなる。僕はどちらかと言えば登りを苦にしない。歩いている人を横目に、せっせと前進することがエネルギーになる。

幾つか続く登りを経て、友人に異変が起こる。
どうやら新調したシューズが足に合っていないらしい。40キロを過ぎ、スピードがガクンと落ちる。何度か声を掛けるも、歩く頻度が高くなる。この地点でのスピードダウンは致命的だ。最終的には僕が前に進み過ぎて、友人がついてこれず、そのまま離脱するという形になってしまった。
これまで72キロ、75キロのレースを共に走った。制限時間内を、全て一緒に走ったのだ。その友人がいなくなり、これから凡そ60キロを僕は一人で走らなければならない。
だが、孤独だと感じることは無かった。「いよいよリタイアできないぞ」と思いの方が強くなる。ようやくここに来て、心地良い緊張感が身体を包むようになった。

55キロの手前にレストステーションがある。「区切り」となる地点だ。
ますます日差しが強くなり、上下のウェアが汗だくになったせいか、45km過ぎからはレストステーションで休憩することばかりを考えていた。邪念だ。余計なことを考えていると、どうしても身体が自然に動き出さない。
脳が、前頭葉が指令を出すのが良く判る。「あと5キロでゴールだから、もう少し頑張りなさい」。彼らの指令を受けないと、身体は動かない。身体は嫌々ながら従っている。ゆえに身体は重い。
40〜50キロは1:09:25。1キロ7分を僅かに下回るペース。悪いペースでは無いけれど、特に休憩を取ったわけでは無い。もう少し走れた気がする分、中盤をロスしたなという感じだ。

レストステーション。休憩は10分と決めていた。
着替えの入った荷物を受け取り、そのまま更衣室に直行する。パンツも交換するためだ(結果的に替えのパンツは入れ忘れていたのだが)。幸いなことに更衣室は空いており、パイプ椅子に座れることができた。テント内だから日も当たらない。クールダウンには最適な場所だ。
上半身、下半身のウェアを脱ぎ、タオルで身体を吹く。何の工夫もない、普通の白いタオルだが気持ちが良い。身体は熱を帯びたままだが、すうっと風が通るような感覚がある。コンプレッションウェア、ウェア、ソックスなどを一通り着替えると、まるで生まれ変わったかのよう。手元の時計は10分を過ぎてしまっていた。補給食はウイダーインゼリーを2種、アクエリアスを半分程度に留めた。13分半でレストステーションを後にする。

レストステーション直後の上り坂は、休憩のために固まってしまった筋肉のせいで、思うように脚が動かなかった。おまけに尿意まで感じてしまう。ちょうど良くトイレがあったのはツキがあったんだと思う。トイレを済ませて屈伸をする。痛みがじわりと脚全体を駆け抜ける。それでも、改めて走り直したときに、若干コンディションが戻っているような感触があった。ウェアを着替えたおかげで風通しも良い。気分上々のまま、60キロ地点を目指す。

***

60キロ地点を通過。
7時間48分の関門を、約25分上回っての通過となる。
ほどほどの貯金だ。十分ではないけれど、心許ないほどではない。

つまり、先が判らないということだ。

意図せず、「ここからフルマラソンを走るのか」という思いが過る。
そういうことを考えるべきではない。そう思い直すけれど、一度心にのしかかった重しを簡単に除くことはできない。ペースも極端に落ちてしまう。
顔を上げるのもキツくなる。目を瞑りながら、ただ前に進むだけ。フルマラソンで35キロを過ぎた辺りで、こういうことはよく起こる。でも。

まだ40キロもあるんだ。
残り7キロとはわけが違う。

65キロまでは絶望との戦いだった。
屈伸するたびに、この世の終りのような痛みが襲う。
刻もう。とにかく刻もう。7分脚を動かせば、だいたい1キロになる。65キロを過ぎて、ちょうど「魔女の森」というエリア(森の中を走るコースで、日陰がある)に差し掛かるも、フラフラと蛇行するようにしか走ることができなくなっていた。

しばらくすると、沿道で応援していた方と目が合って、その方がやおら僕の元に近付いてきた。
「ラッキーですね。レッドブルをあげますよ」と言われる。なんということ!なんというナイスガイなんだ!
一気に飲み干し、彼に感謝の意を告げる。こぶしを強く握る。何だか暗示に掛けられたように、僕はペースを上げることができた。
僕はラッキーなんだ、僕は特別なんだ。
書いていて不思議だけれど、シンプルに彼の言葉を鵜呑みにすることができた。僕はきっかけを待っていたのかもしれない。

70キロから80キロは、確かに苦しかったけれど、前の10キロよりも1キロ1分ずつくらい早めて走ることができた。ゲストとして招かれていた砂田貴裕さんが、ランナーたちに檄を飛ばす。「もっとペースを上げないと次の次の関門に引っ掛かってしまうよ」。砂田さんは100キロ走の世界記録保持者。もっと優しい言葉を掛けてくれれば良いのにと思うも、何だか見返してやろうという気持ちになる。

そして80キロ関門を突破すると、次はいよいよワッカ原生花園。
約8.5キロ×2で往復すると、いよいよゴールが近付いてくる。

はっきり言って、ワッカ原生花園のことは、あまり憶えていない。コースの中で最も美しく、そしてランナーにとって最も過酷であるというこの場所は、僕の想像を超えて厳しいものだった。
往復であるがゆえに、たくさんのランナーとすれ違うことになる。彼らは先にゴールに辿り着くランナーなのだ。そんな彼らへの嫉妬もさることながら、2時間後の自分を投影するような険しい表情を見ると、背筋が凍るような思いがした。当の本人である僕も、いよいよ走りに安定感が無くなってしまう。脚がもつれ、前から走ってくるランナーにぶつかりそうになってしまう。歩道を外れ、原生花園に足を取られそうになることもあった。

限界を感じる。
「残り20キロを3時間4分」というのは、決して難しいことではない。
1キロ8分ペースに減速しても、十分余裕を持ってゴールができる。1キロ9分ペースだったとしても、4分の余裕がある。だいたい歩くと1キロ11分ほど。歩くほどに余裕は無いが、従来通り刻んでいけばゴールに近付くのだ。

刻む。80キロを過ぎて、刻むという感覚は、殆ど味わえなくなってしまっていた。
惰性で前進しているに過ぎない。少し前傾になっているから、止まらずに進めているのだという自覚。残念ながら、僕は走っていたわけではないのだ。

行きはとにかく長く感じた。
一方で、帰りは歩道をなぞることを認めざるをえなくなって、たぶん短く感じるように仕向けられたような感じになった。言葉にするのは難しいのだけど、「あと20分くらいでワッカ原生花園を抜けるぞ」というときに「残り5キロ」という表示に切り替わったのが大きかったと思う。「95キロ」でなく、「残り5キロ」。もう走らざるをえないし、悔しいけれど随分と気持ちが楽になった。

ワッカ原生花園を抜けると、間も無く「あと2キロ」の表示が現れる。
残り25分、歩いてでもゴールが出来そうなペースである。

でも、ここまで走り続けていると、歩こうという気持ちがまるで沸かなかった。
ここまで来たら、このままゴールしてやろうという感じである。

残り1キロ。
ペースは落ちない。ガクンとスピードを落としているランナーも殆ど見かけない。
何故なら、間も無く「FINISHER」だけに許されるビクトリーロードを通り抜けるからだ。
拍手、声援、ハイタッチ、打楽器の演奏、笑顔。僕はそれに応えるほどの元気は無いけれど、少しずつ自分を祝福したい思いに駆られてくる。

ビクトリーロードを曲がると、FINISH地点が大きく見えてきた。
前を走る2人のランナーが、両手を上げてゴールテープを切った。
僕も、もうあとわずかでゴールになる。両サイドから歓声。手を合わせ、何かに祈ってみた。

ゴールと引き換えに、完全なる痛みに包まれる。
身体の中で、痛くない部分を数えることの方が難しい。
でも、痛みに慣れると、そんなに苦い味はしないものだ。
「苦痛」とかではない。むしろ味わい深い。

帰りのバスの中で、次のチャレンジは何をしようか考えていた。

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