最近本を読めなくなった件

基本的に僕は「本を読む」という行為が苦ではありません。
ずっと読み続けてきたわけではないです。断続ですが、これまでの人生で読書の習慣は、わりとついてきている方だと思います。

小学校時代に図書館が大好きでしたし、
高校のときに『三国志』や『竜馬がゆく』にハマり、
大学のときに狂ったようにビジネス本や学術本や自己啓発本を読み漁りました。

社会人になり、
インターネット関連の知識を収集するときも、Googleだけじゃなくて体系立てされた書物に頼ってきました。フリーも、ロングテールも、ポジショニングも、ゲーミフィケーションも、キャズムも、クラウドも。

でも、何か最近長い本が読めない。
ビジネスに関する本だけでなく、小説も雑誌も。何だか読む意欲はあるけれど、それが長続きせず、ついつい積ん読状態に。

RSSでさえも、長い記事だと拾い読みで済ませてしまう傾向が。
ヘッドラインばかりを追いかけて、「知ったつもり」になる愚かさ。

最近「割り当て」って言葉を使うけど、どんなことも時間が無いということを嘆かず、しっかりと意識的に時間を作ることが大事だと思うわけです。
カフェに行くとコーヒー代で300円くらい取られてしまう。でも、その費用で時間を確保し、本が読めれば、それは価値変換するわけで。だったら費用と意思でもって時間を割り当てようって決めて、あとは遂行するのみ。

良質なインプットなしに、良質なアウトプットは生まれない。
そろそろ昔読んでた本による、知識の貯金も切れてきた(というか、たぶんとっくに切れて借金状態になってる)。猛省の週末、明日から本気出そう。

buncul.com、2013年から本格運用します

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2012年12月〜運用開始した「文化とカルチャーの間で」。なかなか自分自身の考えを深めることができないまま1ヶ月を過ごしてしまいました。

書籍を読んだり、美術館や博物館に足を運んだり、人に話を聞いたり。
既に自分の中で「100日プロジェクト」と銘打った企画も検討中です。

ということで、本格運用に向けて、良い年になるよう頑張ります。

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新年は「習慣」が盛りだくさんです。

・年賀状
・(喪中のときは)「明けましておめでとう」を言わない
・紅白歌合戦からの、ゆく年くる年
・おせち料理
・一富士二鷹三茄子

などなど。

長く続いている「習慣」や「常識」や「慣例」というものは、概して「何故それが行なわれているのか?」ということを知らない。知らないにも関わらず、それらを「守らない」と、不義理のレッテルを貼られることになる。

レッテルを貼れるか否かは、所属しているコミュニティが、行為に対して、どれくらい支持をしているかに依る。詳しいことは分からないが、所属しているコミュニティの9割が年賀状を出すのであれば、「出さない」ことはマイノリティになるし、一部の人から糾弾されたりしうるだろう。

マイノリティにとっては、不義理のレッテルを貼られることは、不名誉なことだ。

だけど、「習慣」や「常識」や「慣例」の背景を知らなかったとしても、それが、所属するコミュニティに対してマイナスにならないのが面白いところだろう。

何も言わなくても、行為に対して、コミュニティの構成員たちが遂行してくれる。それは、時間や費用が大幅に節約できることを意味する。その意味には、かけがえのない価値がある場合もあろう。

それらの「習慣」や「常識」や「慣例」を切り崩すのは、PESTと呼ばれるマクロ環境要因だろう。

P・・・政治
E・・・経済
S・・・社会
T・・・技術

これらは、なかなか自分ではコントロールできないもので、世の中の動きに順応する(しない)を、我々は選択することが求められるというわけだ。

長くなってしまったけれど、「文化」や「カルチャー」を考察することは、そういった背景を丁寧に検証することであり、往々にして時間がかかることだ。けれど、ブログ開設の際に書いたように、それらを求めることで人生を「おもしろく」できれば良いなと感じている。

ということで、2013年も、よろしくお願いいたします。