まだ夢は終わっていない

諦めない。
最後まで悪あがき。
諦めたら、そこで試合終了。
やり続ける。
止まっても、また歩き出す。

そんな曲に出会えた。オールディーズ・ミュージック。
熱い気持ちになれた。齢30にて。

「Don’t Dream It’s Over」Crowded House

湘南国際マラソン雑記(2014年11月3日)

フルマラソンは、前回古河はなももマラソン以来のエントリ。2014-2015シーズンの初回レースであり、僕が30歳になって最初のレースである。

「走る」ことに関して、最近ブログに書いていなかった。
ブログ自体、更新頻度が低くなってしまっているけれど、それはさておき、今シーズンの練習不足は顕著だった。6月に100キロ超を達成して以来、ことごとく走る回数が減ってしまっている。先週も20キロ走っただけで、身体中が筋肉痛になってしまった。

さて、湘南国際マラソンだが、2年前僕が初めてサブ4を達成した思い出深い大会である。
参加者3万人、出走料1.3万円、先着順で30分で締め切られる、ほどの超人気レースである。
沿道の応援も大変活況だし、湘南エリアに住んでいたことのある僕としても馴染みのある風景もあったりして、僕はこの大会が好きだ。エイドも計12,3箇所ほど設けられるなど充実している。

しかし、前述の通り、練習不足が祟った。
25度近い暑さもあり、序盤からなかなか1キロ5分を切ることができなかった。
13キロくらいで、「ああ、これはタフなレースになるだろうな」と覚悟した。2年前走ったときよりも、沿道で倒れている人が多かった気がした(これは勘違いかもしれない。前回は速いペースで走れる集団の中にいたから、もともと走れるランナーが多くて脱落者も少なかったのかも)。

走れるときの給水は楽だ。
基本的に1杯だけ、しかも全部は飲まない。多少喉が渇いていても、次のエイドで飲めば良いと思うからだ。

走れないときの給水は悲惨だ。
エイドとエイドの間で時間がかかるリスクを鑑みてしまうので、たくさん水を飲んでしまう。
たくさん水を飲むと、身体に水分が溜まってしまう感覚になり、上手く走れなくなってしまう。たぷんたぷん。
それでも喉が乾く。たくさん飲む。走れなくなる。悪循環。(たぶん、飲むのを我慢すると、脱水症状になる)

結果的には、低体温症で苦しんだ勝田全国マラソンと同様、4時間を超える失速となってしまった。
ただし、このレースは一度も歩いていない。
それだけは、紛いなりにもサブ3.5を目指している自分自身のプライドが許さなかった。
練習不足、、、これを猛省するのは間違いないけれど、一先ずメンタルは保つことができた。
勝田全国はフィジカルもメンタルもやられたわけで(暑さと寒さで違いがあるが)、それよりは御の字だろうか。

いずれにせよ、来年サロマ湖100kmウルトラマラソンを目指すのであれば、こんな体たらくではダメだと分かった。
最後の300メートルはダッシュで走りたい。清々しい汗を流せるように走りたい。
そして自分に課した目標を、達成するにせよしないにせよ、「ああ、頑張った」と言えるような基礎体力をもう一度つけていこうと思う。また今日から練習だ。

スクリーンショット 2014-11-04 11.55.54

【2014年8月】直島とか栃木とか ベストフォト6選

8月、今年は例年ほど暑くなかったかなあ。
仕事もそこそこあって大変だったけれど、充足した日々を過ごせたように思います。
無事30歳にもなれました。どう生きるか。

ということで、昨日に引き続きベストフォトシリーズをお届け。(シリーズもの、今度は続くかな?)

5針縫った弟

5針縫った弟

Hybrid.

Hybrid.

ぐるりと@地中美術館(直島)

ぐるりと@地中美術館(直島)

Flowers.

Flowers.

酒屋さんの置き物(かわゆす)

酒屋さんの置き物(かわゆす)

お台場ガンダム!

お台場ガンダム!

古河はなももマラソン雑記(2014年3月16日)

京都マラソン雑記のエントリでも書いたけれど、真剣に【走る】ことを始めて、既に短くはない年月が経ってしまった。
走るのがとにかく気持ち良い時期もあれば、どうしても走る気が起きない時期もあった。機械的に走るだけの日もあれば、スピードやペースに対して意識的に走ることもあった。

2014年3月16日に臨んだ古河はなももマラソンは、通算して【10回目】のフルマラソンになる。昨年も走ったこの大会では、自己ベストである3時間34分台を出すことができた。思い出深い大会である。

【20代最後】。そんなメモリアルな節目。
もちろん、狙うは自己ベストの更新であり、【サブ3.5】である。

だが大会の直前、仕事で忙殺される日々が続いた。慢性的な睡眠不足で、体調も芳しくなかった。
前日も4時間しか寝られなかった上、行きの電車でも1時間くらいは立ちっぱなし。頭がクラクラした状態のまま、会場に入った。
当日は天候に恵まれ(というか快晴で暑いくらい)、気持ち良い風も吹いていたけれど、このまま熱心に走り込めるかどうか不安があった。「マラソンはメンタル7割」とも言われるスポーツだ。

だけど、ここまで来たらスタートラインに立つ以外に選択肢はない。
とにかく完走を目指そうと心に決めた。

スタートラインを前方に位置できたこともあり、序盤は周りのハイペースにつられる形で進んだ。実に4分40秒/キロだった。
前回の京都マラソンで、前半にタイムで余裕を持たせることが、自分に合っていると分かっていた。それでも、このペースは速すぎる。3時間20分を切るようなペースだ。最後まで持たないのは当然のことながら、後半の失速に影響すること必至である。

それでも、ペースを押さえることはできなかった。というか、しなかった。
快晴のなか、久しぶりに(こんな長い距離は1ヶ月ぶり)走れることは、とても気持ち良かったからだ。

古河はなももマラソンは、序盤と終盤に町中を走るほかは、田舎道を延々と走るのんびりしたコースだ。悪く言うと単調で、都市部のように、ひっきりなしに沿道で応援してくれる人が溢れているわけではない。4キロ走って折り返し、戻ってまた4キロ走って折り返し…というようなコース設計だ。正直、飽きるしつまらない。

そんなコース設計は、アップダウンを極力押さえるためなんだろうと思う。有り難いなと思う一方で、ランナーの忍耐強さが求められるコースであることは間違いない。

結論から言うと、20-25キロで5分/キロのペースに落ち込んでしまうと、その後はズルズルとタイムが落ち込んでしまった。
35-40キロでは6分/キロペースにまでダウン。この苦しみは毎度避け難いものだ。同じような落ち込みになってしまうために、35-40キロは意識的に踏ん張りたい思いはあったのだけれど。まあ練習不足だったので致し方ないだろう。

タイムはこんな感じ。ネットで【3時間39分00秒】。

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ひとえに練習不足と言っては、芸が無いので。失速の要因をほかにも求めることにする。

まずは暑さ。当日は20度近くまで上がったものと思われる。1月に薄着で低体温症に陥った怖さから、長袖のロングTシャツを着て走った。多少向かい風も吹いていたので、その選択は間違っていなかったと思う。だが、スピードさえ落ちないのであれば半袖でも良かっただろう。
それに伴う給水ミス。どの給水所でもきっちり給水することはできたけれど、古河はなももマラソンは給水所の数が最低限。5キロ毎にあるような感じだ。しっかり飲もうと、1回あたりの給水量が多くなってしまったように感じる。この点に関しては、これと言って対策は思いつかないのだけれど。特に後半は、もう2ヶ所くらい給水所を増やしてくれても良いんじゃないかなあ。

良かった点や思い出も。

メンタルのことを言及したけれど、この日は最後までメンタルが弱まることは無かった。
やはり終盤は1キロあたりが長いなあと思ったけれど、前回走ったレースだからか、「もうちょい走ればゴールのはず」という気持ちを保つことができた。今シーズンは4回もフルマラソンに参加したので、身体が42.195キロに慣れたこともあるかもしれない。

レース後は友人を待つために、【残り300メートル】の地点に陣取り、微力ながらランナーの方々を応援をさせていただいた。
走っているときは気付かないが、実にたくさんのランナーがいるし、たくさんの走り方があり、たくさんの表情がある。
ただし、それぞれのランナーにとって【残り300メートル】というのは、そのレースにおいては1回限りの経験である。その地点には一歩一歩踏みしめなければ辿り着けないし、戻れもしない。それは僕にとってとても特別のことのように思えた。ランナーというのは、平等に美しいなと感じた。

次のフルマラソンは、半年以上先のことになるだろう。
その時点で、僕は【30歳】を迎えている。いまだに、【30歳】になることに対して自覚も覚悟も出来ていない。ただ純粋に、良いタイムで走りたいという欲求はあり続けているだろうと、そういう予感はある。

さあ、次のレースは「チャレンジ富士五湖」。72キロ走という未体験ゾーンに突入します!

『羊をめぐる冒険』—僕と鼠と同じ歳になって思うこと

2010-03-30

街について話そう。我々の生まれた街ではなく、べつのいろんな街だ。世界には実に様々な街がある。それぞれの街にはそれぞれのわけのわからないものがあって、それが僕をひきつけるんだ。そんな風にして、僕はこの何年ものあいだにずいぶん多くの街を通り抜けてきた。(中略)仕事だって実にいろんな仕事をした。大抵は退屈な仕事だったけれど、それでも働くのは楽しい。いちばん多かったのはガソリン・スタンドだね。それからスナックのバーテン。本屋の店番もしたし、放送局で働いたこともある。土方もやった。化粧品のセールスもやった。セールスマンとしての僕の評判はかなりのものだった。それからいろんな女の子と寝た。違った名前と違った身の上で女の子と寝るというのもなかなか悪くない。まあ、そんな繰り返しさ。そして僕は二十九になった。あと九ヶ月で三十になろうとしている。

2014年1月4日。
新しい年になって久しぶりに、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んだ。
登場人物である「僕」と「鼠」。この小説は彼らが29歳であるという設定のもと書かれている。

「今の僕と同じ状況だ」と思った。そのときの僕は、あと8ヶ月くらいで30歳になろうとした。

その気付きは、僕の胸を強く打った。
村上春樹が書いた初期の小説(3作目の長編だ)を、偶然、30歳になろうとしているときに読んでいたのだ。

そのことについて、何かが書けそうな気がした。
特別に、今しか書けないような、何かが書けそうな気がした。

でも、1ヶ月半経っても、特別なことは何も浮かばなかった。
当初の想いをずっと塩漬けにしたまま、今に至る。あまり長い文章をだらだら書いても仕方がないと思う。だから、最近のことを少しだけ書くことにする。

2014年に入って、良いこともあれば悪いこともあった。
小説をもっと真剣に書きたいと思ったのは良いことで、次の作品を早く書き上げたいと思う気持ちも健全なものだと思った。

だが現実は、そう上手くいかない。
頭の中で構想はブラッシュアップされ続けている。それを「形」にすることだけができない。「形」にすることこそが小説を書く者にとって唯一の存在証明になる。文字と文字を結び、意味や背景や情感を創り出すこと。作為的な印象を与えぬよう、作家は優しく嘘をつく。

それが上手くいかない。悔しいと毎日思う。

30歳になることについて。
人生に節目というものがあるとしたら、確かに「30」というのはキリが良いし、節目と言えなくもないと思う。

僕にとって「20」というのは、間違いなく節目の日だった。
アテネで一人の日本人女性ランナーが快足を飛ばし、オリンピックという舞台で金メダルを獲得した。日本時間の、2004年8月23日未明のことで、僕は当時の恋人と一緒に、家でテレビを観ていた。そのとき握りしめた「興奮」は、今も手応えと共に残っている。

そう言えば、20歳のときに、僕は将来フルマラソンを走ろうなんて、これっぽっちも思っていなかった。
だけど今、僕は暇を見つけてはトレーニングに励み、フルマラソンで自己ベストを叩き出そうとしている。

自分の意思で走ること。
僕にとってフルマラソンは、ピタリと合うメタファーなのかもしれない。
それくらいなら、諦めずに出来そうだ。「30」になっても、出来ることからやり遂げたいと思う。