ストレイテナーの「REMINDER」が必要なとき

suchmos、LUCKY TAPES、Czecho No Republic、H ZETTRIO、水曜日のカンパネラ…。
最近聴いている比較的新しいアーティストを挙げるとすると、こんな感じだろうか。

別に最新の音楽シーンを切り取っているという感覚は無い。
前回のエントリで言及した通り、Czecho No Republicは2011年には作品を出しているし、H ZETTRIOのピアニスト・ヒイズミマサユ機はミュージシャンとして既に名声を得ている(椎名林檎率いる東京事変のメンバーだったのだと、僕は最近知った)。suchmos、LUCKY TAPES、水曜日のカンパネラも音楽メディアではかなり取り上げられている。決して「ド新人」枠として語るべきでは無い人たちなのだ。

だけど、少なくとも僕にとって、数多ある音楽の中で「新しい」を感じることは良い傾向だということを理解して欲しい。
僕はしばらくの間「古い」音楽に回帰していたし、ネガティヴな言い方をすると、「古い」音楽を傾向として聴かざるをえなかったのだ。そのサイクルから抜け出すことができなかった。僕は音楽から、新鮮で建設的な刺激を享受できなかった。9割9分くらいは僕に原因があったのだろう。

Apple Musicが日本に訪れてから1年ばかりが過ぎ、僕の中でようやく「古い」音楽からの脱却に成功した。
「新しい」音楽を能動的に、リラックスして聴くことができている。とても良い傾向だと感じる。感じる、というより、感じられるという方が正確だろうか。耳が、自然と「新しい」音楽を求めているのだ。

その求め方は、大学時代、近所のGEOに通いつめて音楽を漁っていた頃に、程度の差こそあれ似ていると思う。
PC(当時はPanasonicのレッツノートを使っていた)の容量が許す限り、僕はたくさんの音楽データを詰め込んで、朝から晩までiPodで聴いていた。そんな時代/行為を笑う世代も出てくるのだろう。夜な夜な音楽データ(しかも聴きたい曲でなく、アルバムの全曲を)を取り込むなんて、とても非効率なことだからだ。
それでも僕は、そんな風に音楽と接触していた日々のことを誇りに思う。音楽は記憶としてしっかり僕の中に染み付いているから、時々思い出したかのように「古い」メロディが蘇ってくる。不意に。過去と現代のクロスオーヴァー。時と場合によるけれど、何にも代え難い素晴らしい瞬間として味わえることもある。そういう瞬間は、誰しもに訪れるものでは無いだろう。それが少なくとも僕にとっては意味のある音楽だと確信しているなら尚更だ。音楽との濃密な接触、浅いコミュニケーションだと絶対にRemindされない類のものだ。

***

さて、今日の主役はストレイテナーだ。
何気が触れたのか、僕がストレイテナーの音楽を聴いてしまった夜のことを、取り留めなく書きたいと思う。

気が触れた、
というのは、あまりに語弊がある。
だけど、その日僕がストレイテナーを聴いていた経緯や理由をロジカルに答えることはできないし、それは僕が普段「音楽を聴く」というプロセスにおいて、ストレイテナーという選択肢が無いことをシンボリックに表現しているに過ぎない。
Apple Musicをザッピングをする中で、(もしかしたら「誤って」)何かの拍子にストレイテナーにヒットしたんだろうと思う。

誤解の無いように言うと、僕はストレイテナーの音楽が好きだ。
「Killer Tune」「Melodic Storm」「ROCKSTEADY」「YES,SER」「Play the Star Guitar」など、イントロが流れるだけで懐かしい思いに駆られる。ロックが殆どタイ・アップされていない時代に、ホリエアツシとナカヤマシンペイの2人構成でバンドがスタートし、それから数年間で生み出された楽曲には孤高に挑もうとする野心で溢れている。

幾つかのメンバー加入があっても、だいたいストレイテナーの特徴に変わりは無い。
フロントマン・ホリエアツシの細く硬質な歌声と、ちょうど良くバックエンドが支える演奏は信頼するに十分なテクニックを有していて、聴いていて「裏切られた」という感覚に陥らない。
その辺は僕がストレイテナーに肩入れする理由の1つなのかもしれない。ELLEGARDEN、ACIDMAN、THE BACK HORNやLOST IN TIMEなど、彼らと同世代のバンドに僕がハマらなかったのは、歌詞や歌唱、振る舞いに過剰な厚みを感じてしまうからだ。「ロックは重い」という経験をしばしばしたというのが大きいと思う(まあ、それぞれ全然違うタイプのロックではあるけれど)。
それに比べると、巷で流行している「草食系」と言えなくも無いビジュアルのホリエアツシ。ささやかなロックンローラーとしての静かな情熱を僕は好ましく感じていたし、ステージに上がると別人のように、演奏で客を囃し立てる潔さは唯一無二の存在だった。だから僕は、音楽フェスがあれば迷わずストレイテナーの「場所」は押さえていた。

つまるところ、ストレイテナーとは。
あまり目立つことの無かった僕が、大学時代にようやく見つけた「青春」だったのかもしれない。
2005年にASIAN KUNG-FU GENERATION主催「NANO-MUGEN FES」に行き、初めてストレイテナーの生の演奏を聴いて、身体がバキバキに凍りつくくらいに凄まじいロック・ナンバーが展開されて、20歳の僕はただただ両腕を振り上げるしか無かったんだ。気付けば、かなり前方まで行ってしまい、汗が飛び交うモッシュの渦に呑まれた。ライヴ中の僕は、聴衆としてひたすら「青春」を満喫していたし、それが音楽を聴取する上での基本的態度として身についたわけだ。

僕がゲリラ豪雨を避けてスターバックスに向かう道すがら、ストレイテナーの「Reminder」を聴いたわけだけれど、それが後年どんな影響を僕に及ぼすだろう。答えは単純「どんな影響も与えやしない」。

そこから何かが変わっていくだろう
壊れた形や消え失せた色
そこにある何かが伝えていくだろう
優しさや悲しみや遠い記憶を
(ストレイテナー「REMINDER」)

それでも僕は、この曲を聴いて「懐かしさ」を感じ、思わず2000年代前半の色々なことを思い出したのだ。

思い出させること、あるいは、思い出させるもの。
リマインダーという言葉はいつしか、警告や通知のように、人為的な手段として用いられることが多くなったけれど、そういう情緒がちゃんとあり、いささかメランコリックに人を寄せてしまう引力があろう。痛みや迷い、苛立ちや怒り。思い出されるものは負の感情が伴い、それでも経験して有意義だったと感じるものが少なくない。

あまりに僕はストレイテナーと同じ時期に音楽を聴いてしまった。
「青春」というタグが貼られ、良いも悪いも「青春」抜きにストレイテナーを語ることは困難だし、不意にFlashbackされる厄介さに巻き込まれたくないと感じることが、この先も続くだろう。

新作「Cold Disc」を遅ればせながら聴いた。エラく格好良かった。
あの頃と変わらぬホリエアツシが歌い、信頼できるバックエンドがきっちりと支える。ちょっとアコースティックな楽曲も幾つかある(調べてみると、アコースティック編成でのライヴもちょこちょこやっているらしい)。

また巡り会う世界はきっと
変わり果てていても
辿り着く時には僕も
少しは優しくなれるかな

負けられない戦いに僕らは
(ストレイテナー「Force」)

時代は変わる。
ストレイテナーもちょっと変わり、だけどちっとも変わらない。

それでも、いや、だからこそ、好ましい思い出はそっと胸の奥に仕舞い、ストレイテナーの再登場をしばらく待つことにしたい。時折エネルギーが切れる僕だから。

未来のことが正確に判るならば、定期的に「REMINDER」をセットできれば良いのだけどな。

Czecho No Republicライヴイベント《ドリームシャワー2016》に行ってきた

なんて美しいバンドだろう。

初めてCzecho No Republicのライヴを観ながら、僕は泣きそうになってしまった。
間もなく32歳になる私。Czecho No Republicが奏でるメロディは、Over 30に向けられたものでは無いにも関わらず。
新木場Studio Coastに来場していたファン層は若く、まだ大学生くらいの若者がたくさんいたと思う。場違いを感じながらも、彼らの魔法のような演奏を観て、僕は呆然と「こんな夢のような共同体は長く続くまい」と思わざるをえなかった。

年の功で、昔話をさせてもらいたい。
フロントマンの武井優心はかつてVeni Vidi Viciousのベーシストであり、The Mirrazのサポートメンバーとして活動をしていた。どちらも2010年前後のロック・シーンで活躍していたバンドである。Veni Vidi Vicious活動休止に伴い、残された山崎と2010年に結成されたバンドがCzecho No Republicだ。
僕が今日まで彼らのことを記憶していたのは、某音楽雑誌の記事で紹介されていたことによる。チェコというユニークなバンド名(僕は旅好きで、チェコにも一度行ってみたいと思っていた)に加えて、主張の希薄な武井のコメントが面白かったからだ。

(Veni Vidi ViciousやThe Mirraz、THE BAWDIESと比較され)あの辺とは違うだろうなって思ってます。やっぱあの人達はカッコいいっすね。俺は、もっともやしっ子な感じがするんで。ちょっと軟弱な、風邪引きそうな感じの。『ひ弱ロックですか?』みたいな感じっていうか

(自分たちの曲は)押しつけがましくないじゃないですか。生活の一部になったらいいんじゃないですかね、チェコの曲が。通勤通学中でも、洗いもの中でも。ど主役じゃなくてもいいんで。サイコーの二番手みたいな。あと、俺達、全員、次男なんですよ。全員末っ子なんですよ。だから誰一人リーダーがいない。マジそれ出てますよね。

Czecho No Republicが世に出た頃、偶然にも僕は以前より熱心に音楽を聴かなくなってしまった。村上春樹の言葉を拝借するならば「音楽との倦怠期」である。理由は未だに言語化できないのだけれど、新しい音楽を敬遠して古い音楽ばかり聴いていた。そんな傾向は数年間続いて、昨年Apple Musicがリリースされたことでようやく解消した。

その間に、気付けばCzecho No Republicはメジャーデビューしていて、とびきりHappyでPeacefulなロック・バンドとして位置付けられていた。時の変遷に驚いたけれど、キャラ立ちしたベーシスト・砂川一黄や、コーラスもできる紅一点・タカハシマイなどが加入して、5人としての佇まいに「美しさ」が足されたことで、それは必然だったように感じる。
当時から武井の音楽(声)は、本人が自覚しているように渋さという面では程遠いものだけれど、おもちゃ箱から遊び心だけが踊りに出てきたようなポップさがあって(Vampire WeekendやLos Campesinos!など同時代の洋楽とも歩調が合っている)。まさか僕にとってのフェイバリットである「Oh Yeah!!!!!!!」がドラゴンボールのエンディング曲になっているとは思いもしなかったけれど、考えてみれば、彼らの音楽が若い世代を無条件に巻き込んだことは時代における必然であり、SEKAI NO OWARIや星野源とは違った側面から「夢」や「感動」を示している。底抜けに明るいのだ、とにかく。

儚ささえ感じるほどに、Czecho No Republicは美しい。
《ドリームシャワー2016》で楽しそうに演奏する5人は、音楽も、ビジュアルも完成された美しさがあって、それはマンガの中のような非現実感さえあった。それが「今だけ」許されたものだとしたら、美しさとはなんて脆いものなのだろう。
色々なバンドが音楽を辞めてしまった。Czecho No Republicも、いつかそんな決断を下す日が来るかもしれない。ファンには怒られるかもしれないが、HappyでPeacefulな新木場Studio Coastにいてこそ逆説的に、そんな思いに駆られた僕を許して欲しいと思う。誰に?というツッコミが入りそうなのだが、そんな確信めいた悲劇的な妄想が(半ば勝手に)頭に浮かび、消えては浮かんだ。そんな繰り返しの中で、僕はぼんやりと彼らのライヴを眺め、何より楽しんでしまったのだ。

少しだけ安心しているのは、そういった刹那性を彼ら自身が自覚していることだろう。
「Firework」「Festival」「Forever Dreaming」「Amazing Parade」といった曲名やモチーフを選択していることから明白だ(武井は「楽園志向」という言い方を記事の中でしていた)。《ドリームシャワー2016》で最後に演じた曲は「ダイナソー」。恐竜なんて絶滅しちゃったじゃんという。そして7/20に発売される新作アルバムのタイトルは「Dreams」。メンバー自身が、自分たちの「楽園志向」を重々承知の上で、夢をばら撒いてくれているのかもしれない。

夢を見せてくれる音楽。
Czecho No Republicであれば、言い過ぎじゃないと思う。

IMG_7864

IMG_7865

いとうせいこう『想像ラジオ』を読んだ

いとうせいこう『想像ラジオ』

いとうせいこう『想像ラジオ』

「話し言葉」
「会話中心」

時々、そういったフォーマットの小説を読むことがあるけれど、当たり外れが結構激しいので個人的にはあまり好みません。
あまりにリアリティを意識した「話し言葉」が綴られていると浅いと感じるし、一方で小説というフォーマットを意識したものだと流れが悪く会話として成立しない。

ラジオを聴いているからこそ、
ラジオというフォーマットが生きるわけで、
ラジオを小説にそのまま置き換えたとて、その瑞々しさがそっくり移行されるわけでは決してない。ということ。

特に、わりと日常的に「読書」に勤しんでいる人たち(村上春樹は全国民の5%くらいだと見積もっている)は、意識的・無意識的に関わらず小説というフォーマットにどっぷり浸かっている。
起承転結があり、地の文があり、適切な人称の形があり、常体と敬体があり、作家独自の文体があり、過去からの適切な引用があり、時代の不文律がある。ルールとか、マナーとか、そういった呼び方でも支障は無い。そんな中で、「話し言葉」「会話中心」の小説というのは奇を衒っている印象を持たれがちだし、前述のルールないしマナーにそぐわない側面が生じてしまう。

だから、

こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。
こういうある種アイマイな挨拶から始まるのも、この番組は昼夜を問わずあなたの想像力の中でオンエアされるからで、月が銀色に渋く輝く夜にそのままゴールデンタイムの放送を聴いてもいいし、道路に雪が薄く積もった朝に起きて二日前の夜中の分に、まあそんなものがあればですけど耳を傾けることも出来るし、カンカン照りの昼日中に僕の爽やかな声を再放送したって全然問題ないからなんですよ。
でもまあ、まるで時間軸がないのもしゃべりにくいんで、一応こちらの時間で言いますと、こんばんは、ただ今草木も眠る深夜二時四十六分です。いやあ、寒い。凍えるほど寒い。ていうかもう凍えています。赤いヤッケひとつで、降ってくる雪をものともせずに。こんな夜更けに聴いてくれてる方々ありがとう。

といきなり導入されても、初回はついていけない。それも無理からぬことなんじゃないだろうか。

ただ、著者は話し言葉を武器に仕事をしている(□□□のメンバーだったり、タレントとしてテレビに出たり)だけあって、読み進めているうちに、徐々にラジオを聴いているかのような錯覚に陥るから不思議だ。本書がベストセラーになるのも理解できる(裏表紙に「ベストセラーとなった」と書いてあるので、しっかり売れたのだろうと推察している)。
これだけ書くとあまりに乱暴なので具体例を一つ挙げると、主人公のDJアークの人柄や声色を想像し、何となく読者の耳元で展開されているような気分を味わえるということだ。
多かれ少なかれ、良い小説というのは、登場人物に感情移入してしまうものだし、自分が原作を映像化するときの妄想さえ勝手にしてしまうものではないかと僕は考えている。だからこそ実際に映像化されたときに、愛読者は不平不満を漏らしてしまうのではないだろうか、その思い入れの強さから。

僕はこの小説を映像化するときの妄想はしなかったけれど、DJアークの声をけっこう具体的に想像した(妻もこの小説を2年前に読んでいたけれど、面白いくらいに僕の印象とは異なっていた)。彼が章を経るごとに「弱く」あるいは「潔く」なっていく様子も、彼と同じレベルで気持ちを寄せることができたように思う。東日本大震災という重いテーマを、軽やかかつ誠実に描けるいとうせいこうの筆力は、世間で評価されているよりもずっと高いように僕は感じた。

なかなか作家間では辛口な評価もあるみたいです。
僕は、近々もう1度読みたいなと感じましたけどね。
想像の中で。

想ー像ーラジオー。

***

なお、そのときApple Musicで聴いていたThe Whitest Boy Aliveの「Rules」という2009年の作品が個人的にすごく好みだったのでご紹介しますね。
この時代のバンドって、現時点で解散しているのが殆どで、彼らも残念ながら例に漏れずといったところですが。。。

【Apple Music】2015年音楽まとめ

7月に日本でApple Musicがローンチした。
Spotifyなどの定額音楽配信サービスが日本国内で悉くローンチが見送られていた背景もあって、Apple Musicはローンチ直後から熱烈に日本の音楽ファンに歓迎されていたように思う。テンションの差こそあれど、無料試用期間を経ても、色んな人が使い続けているという声は良く耳にする。

ローンチ直後のエントリで書いたが、待望していただけあって殆ど毎日Apple Musicを使った1年だった。おかげでCDという形態での購入はたった1枚に留まってしまった(買った理由は初回特典のDVDに魅せられたため)し、TSUTAYAさんにも1度も行かなかったと思う。それはそれで寂しいかもしれないけれど、少なくとも昨年に比べれば数段音楽への関心度は高まったと思う。間違いなく。

このエントリでは、そう言った御託はさておき、Apple Musicで良く聴いた作品をピックアップしていければと思います。思いつきのまま、順不同で。2015年にリリースされた曲には「★」をつけておきます。半数以上は2014年以前の音楽ですが、改めて良さに気付いたり、今まで知らなかった音楽に出会えるという利点もApple Musicにはあります。YouTubeへのアクセスじゃ、何だか味気ないものね。VIVA!Apple Music!

クラムボン「triology」

クラムボン「triology」。5年ぶりのオリジナルアルバムでした。

Kai Takahashi「Soda Pop - Single」

Kai Takahashi「Soda Pop – Single」。軽快なメロディが気持ち良い。

Fishmans「Neo Yankees' Holiday」

Fishmans「Neo Yankees’ Holiday」。改めて良さに気付いた1年でした。

チャラン・ポ・ランタン「テアトル・テアトル」

チャラン・ポ・ランタン「テアトル・テアトル」。豊洲野音で2回目、素晴らしかった!

The Libertines「Anthems For Doomed Youth」

The Libertines「Anthems For Doomed Youth」。再結成、待ってたよ!

!!!「As If」

!!!「As If」。朝霧JAMでも最高でした!

The Paradise Bangkok Molam International Band「21st Century Molam」

The Paradise Bangkok Molam International Band「21st Century Molam」。バンコクのバンド?に出会えました。

やけのはら「SUNNY NEW INSTRUMENTAL」

やけのはら「SUNNY NEW INSTRUMENTAL」。のんびりした休日に聴いてました。

The Strokes「Is This It」

The Strokes「Is This It」。今までストロークスが良いなんて思わなかったんだけど。

H ZETTRIO「★★★」

H ZETTRIO「★★★」。JAZZなの何なの最高なの?!

 


Kai TakahashiはCanonのプロモーションで楽曲が使用されていて、プロダクトの世界観にピッタリだなと感心した。アーティストにも企業にもプラスになるということは、カルチャーにとっても価値があること。Pharrell Williams「Happy」の時も感じたけれど、こういうプロモーションがむくむくと伸びてくるのは本当に見ていて気持ちが良いものです。Kai Takahashi(高橋海)はLUCKY TAPESというバンドのフロントマンとのこと(こちらはApple Musicでは配信されていない様子、残念)。要チェックです。

 


H ZETTRIOは最新アルバムはApple Musicで配信されていないのが本当にもったいない。
あまりに悔しいので、公式YouTubeの「Beautiful Flight」をEmbedしておきます。超かっこいいです。朝霧JAM2015ではRafvenの裏だったのでめちゃくちゃ空いていたけれど、演奏が洗練されてて本当に良かった。彼らのホーム・グラウンドで、彼らの音楽にも酔いしれたい。

 

ということで、特に気になった2つだけは詳述してしまいました。
クリスマスイヴにはThe Beatlesの楽曲も配信されたし、邦楽もどんどんラインナップしていけば良いのにと思う年の瀬です。

2016年の音楽ライフも楽しみ。
というか、自分でも色々生み出さなくちゃ。

SUMMER SONIC2015

thumb_IMGP2253_1024

感想を書く前に。
やっぱり30歳になると、それなりに20代の頃の音楽体験・環境と同じではいられなくなる。
フジロックもしばらく行かなくなっているし、日々音楽「も」楽しむ生活を志向するようになっているし、新譜を求めてCDショップに行くことも稀になった(代わりにApple Musicに毎日お世話になっている)。

音楽仲間も変わった。
結婚したり家族ができたり。
特に子どもがいる場合、男女問わず気軽に宿泊を伴う野外イベントには行けなくなるものだと思う。LINEで連絡を取った友達は妊娠中とのことで、車で幕張メッセまで行ってThe Chemical Brothersだけ観るのだと言う(それも凄い執念だと思うけど)。それを聞いたとき、おめでとう!と思う一方で、大好きな音楽を生で聴く機会が減るというのはどうなんだろうと思ったりする。
紆余曲折を経て、音楽を「仕事」とした仲間もいる。今回のサマソニでもブースを出して働いている元同僚に会うことができた。彼女とトム・ヨークやF.F.Sを観ながら、あーだこーだ語れる変わらぬ関係性を喜ぶと共に、その機会も実際のところ減ってしまったことにも気付かされた。

それが変化と言えばそれまでのことだ。

実際のところ、俺はどうなんだ。
俺は心の底から音楽を楽しんでいるのか?俺はまだ音楽を愛しているのか?俺の中のリトルほりそうが絶えず問うてくる。俺は答えられない。
BOSEのスピーカーでPharrell Williamsの「Freedom」をリピートする。僕は昨日の余韻をちゃっかりと楽しんでいるのだ。サマソニから一夜明けて、もう僅かの夏休みを惜しみながら今年のサマソニを振り返りたいと思う。

***

サマソニは2年振りの参加。8/16(日)だけの参加だ。
お目当ては、Pharrell Williams。妻との思い出の曲「Happy」は未だに聴いているし、ベタだけど凄くポジティヴになれるキラーチューンだ。RADWIMPSやケミカルも聴きたかったけれど、まあお気軽に、ということで妻の分も含めて1日券を購入した。思い出の曲を生で聴ける。ワンマン公演だと売り切れてしまうチケットも、フェスだとアクセスがしやすいのだ。

実はサマソニ深夜公演の「Hostess Club All-Nighter」にも参加した(妻は留守番)。トム・ヨーク、F.F.S(Franz Ferdinand & Sparks)、Baio(Vampire Weekendのベーシストのソロ)、Deerhunter(残念ながらメンバーの体調不良で来日中止)という本家・サマソニに負けずとも劣らない(勝ってる?)ラインナップ。久しぶりのオールナイトだったけれど、しっかり楽しんだ。サマソニの深夜公演は初めてだったけれど(ソニマニは除く)、前述の通り充実のラインナップだったからか、入場規制が掛かるほどのお客さんが入っていた。さすがトム・ヨーク。

Hostess Club All-Nighterに関しては、BO NINGENという、普段はUKを活動拠点とするロック・バンドに度肝を抜いてしまった。一言で表現するなら、「音が厚いのに緻密で圧倒的なステージングを披露できる外見はゆらゆら帝国みたいなサイケデリックなロック・バンド」という感じだろうか。とにかく凄過ぎたので、この感想は近日中に別エントリでまとめたい。熱心な音楽ファンには怒られてしまうかもしれないけれど、トム・ヨークやF.F.Sよりも断然見応えがあった。

***

始発で帰り、ちょっと寝過ごしながらも6時40分には家に着く。3時間寝て、8/16(日)公演に妻と向かう(妻は前日参加を見送っていた)。
サマソニで「体力勝負」を感じたことは無いのだけれど、前日はオールナイトだったので仕方ない。前日夕方に仮眠を取ったのでレッドブル1本飲んで体力はだいぶ回復した。そんな錯覚に陥りながら向かう海浜幕張は、もうちょい近けりゃ良いのになとやはり思う。

13時に会場入り。MAN WITH THE MISSIONの狼お面を横目で観ながら、妻と色々なステージをくるくる歩き回る。これから幾つも演奏を楽しむわけで、序盤はこれくらいまったりと過ごした方が良いとフェス通を気取るのだけど、実際のところ手持ち無沙汰は否めない。何となく演奏を楽しむ。
野外のGarden Stageに行ったのは初めて。「こんなに野外感があるイメージはサマソニに無かったなあ」というYo-Kingの言葉に完全同意。こんな炎天下の中で野外感のあるステージの需要がどれくらいあるのかは正直不明だ。収益面と運営面の両方を考えたときに、この場所をポツンと用意しておく必然性も多少はあるかもしれない。

真心ブラザーズの後にマリンステージでZeddを見るというアイデアもあったのだけれど、ちょっと間が空いてしまうので幕張メッセに戻る。暑いのでビールが美味い。
WALK THE MOONやBEST COASTを、浅い眠気の中で観る。バキッとした音楽が聴きたいなと思っていたところで観たのが、マウンテンステージでのMODESTEP。決してパンクというジャンルには括られていないバンドだけれど、自然に身体が反応した。かなり前方で観ることもでき、ブンブンと鳴るベース音も刺激的だった。1年前のPUNKSPRING以来、けっこうパンク(に近い音)にも馴染むことができている。趣味趣向の変化。もっとも僕の中でMODESTEPはBACK DROP BOMB(大学生のときから好き)と被る部分も多く、すんなり入れたのかもしれない。佇まいも格好良かった。

郷ひろみはヒットチューンの連発。何十年もスターを張っていることに納得性を感じた。CARLY RAE JEPSENも相変わらず「Call Me Baby」良かった。それにしても郷ひろみ良かったなあ。一瞬でフロアは郷ひろみの世界に染まってたし、お客さん全員が郷ひろみのコールアンドレスポンスに応えていた。GO!GO!

そして最後はPharrell Williams。この日初めてのマリンステージ、ヘッドライナーにしてはお客さんの入りが大人しかった印象だった。裏はディアンジェロ大先輩。バランス良くお客さんが分散したのかもしれない。おかげで開演ギリギリの入場であったにも関わらず、前方に位置取りできた。
僕にとってファレルは、言ってみれば「Happyの人」。N*E*R*Dも聴いたことがないし、彼がプロデューサーとして手掛けたプロダクションにも関心は低かった。だから正直、(クライマックスに披露するであろう)「Happy」まで、どんな感じで時間を潰せば良いものか開演前から頭を悩ませていた。

全くの、杞憂。

ファレルのパフォーマンスは想像以上で、終始激しく、僕はスタンドに入った瞬間からファレルの声やグウンと鳴るグルーヴに心を鷲掴みにされ、直感的に「踊りたい、踊らなければ!」という思いに駆られるのであった。お客さんが密集している最前方まで行くこともできたのだけれど、比較的スペースの空いたエリアに全ての荷物を放り投げ(パーティと聞いていたので色付きのサングラスも持ってきていた。全然、不要だった)、残っていたエネルギーを全て踊ることに集中させた。もう全ての音が楽しみや喜びに包まれていて、エンターテイナーってこういうことなんだよなと思う。郷ひろみ、Jepsen、ファレルという流れはなかなか象徴的だったんだな。

当たり前だけど、
音響機器からの音楽と、生で聴く音楽は全然違う。
一人で聴く音楽と、お客さんがたくさんいる中で聴く音楽も全然違う。

ファレルの音楽は、その事実を改めて思い返してくれたし、それは僕に限らず全ての音楽を愛する人たちにも共通するのではないかと思った。たぶん僕のようにファレルの音楽にそれほど精通していなかった人たちも、あの場所には大勢いたはずだ。そのお客さん全員が熱を帯びていた。
内側から沸いてくる熱のようなもの。それは初めて聴こうが、熱心なファンであろうが関係ない。音楽を愛すればこそ沸き上がる共通体験なのだ。

その熱を共通体験として味わうことができたお客さんがたくさんいることを僕は誇りに思う。
たぶんこれから先に出会う音楽好きの友達も、あの夜ファレルのパフォーマンスを観ていたかもしれない。「良かったよね」「凄かったよね」「楽しかった」「むっちゃ踊ったわ」などのシンプルなフレーズで完結するかもしれない。それを語る友達の表情は、生き生きとしているに違いない。それを聴く僕もたぶん幸福で、それは2015年の熱量が特別にスペシャルだったからなのだ。

それは全てのパフォーマンスにも、多かれすくなかれ同じことが言えるだろう。
共通体験に費やされた時間は僅かなものなのだ(短いもので20分、長くても2時間程度)。
でもそれくらいの短い時間で、しっかりと体験として語れるようになるのは本当に素晴らしいし音楽の力なんだと思う。僕もその接点を、これから持ち続けられるような感受性をしっかり持ちたいと思う。Apple Musicも確かに貴重だ。だけど生の音楽には、それを遥かに超えた柔らかな強度があるように思う。2ヶ月後の朝霧JAM、生の音楽「を」しっかり楽しみたい。

thumb_IMGP2272_1024

thumb_IMGP2317_1024

thumb_IMGP2339_1024

***