SUMMER SONIC2015

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感想を書く前に。
やっぱり30歳になると、それなりに20代の頃の音楽体験・環境と同じではいられなくなる。
フジロックもしばらく行かなくなっているし、日々音楽「も」楽しむ生活を志向するようになっているし、新譜を求めてCDショップに行くことも稀になった(代わりにApple Musicに毎日お世話になっている)。

音楽仲間も変わった。
結婚したり家族ができたり。
特に子どもがいる場合、男女問わず気軽に宿泊を伴う野外イベントには行けなくなるものだと思う。LINEで連絡を取った友達は妊娠中とのことで、車で幕張メッセまで行ってThe Chemical Brothersだけ観るのだと言う(それも凄い執念だと思うけど)。それを聞いたとき、おめでとう!と思う一方で、大好きな音楽を生で聴く機会が減るというのはどうなんだろうと思ったりする。
紆余曲折を経て、音楽を「仕事」とした仲間もいる。今回のサマソニでもブースを出して働いている元同僚に会うことができた。彼女とトム・ヨークやF.F.Sを観ながら、あーだこーだ語れる変わらぬ関係性を喜ぶと共に、その機会も実際のところ減ってしまったことにも気付かされた。

それが変化と言えばそれまでのことだ。

実際のところ、俺はどうなんだ。
俺は心の底から音楽を楽しんでいるのか?俺はまだ音楽を愛しているのか?俺の中のリトルほりそうが絶えず問うてくる。俺は答えられない。
BOSEのスピーカーでPharrell Williamsの「Freedom」をリピートする。僕は昨日の余韻をちゃっかりと楽しんでいるのだ。サマソニから一夜明けて、もう僅かの夏休みを惜しみながら今年のサマソニを振り返りたいと思う。

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サマソニは2年振りの参加。8/16(日)だけの参加だ。
お目当ては、Pharrell Williams。妻との思い出の曲「Happy」は未だに聴いているし、ベタだけど凄くポジティヴになれるキラーチューンだ。RADWIMPSやケミカルも聴きたかったけれど、まあお気軽に、ということで妻の分も含めて1日券を購入した。思い出の曲を生で聴ける。ワンマン公演だと売り切れてしまうチケットも、フェスだとアクセスがしやすいのだ。

実はサマソニ深夜公演の「Hostess Club All-Nighter」にも参加した(妻は留守番)。トム・ヨーク、F.F.S(Franz Ferdinand & Sparks)、Baio(Vampire Weekendのベーシストのソロ)、Deerhunter(残念ながらメンバーの体調不良で来日中止)という本家・サマソニに負けずとも劣らない(勝ってる?)ラインナップ。久しぶりのオールナイトだったけれど、しっかり楽しんだ。サマソニの深夜公演は初めてだったけれど(ソニマニは除く)、前述の通り充実のラインナップだったからか、入場規制が掛かるほどのお客さんが入っていた。さすがトム・ヨーク。

Hostess Club All-Nighterに関しては、BO NINGENという、普段はUKを活動拠点とするロック・バンドに度肝を抜いてしまった。一言で表現するなら、「音が厚いのに緻密で圧倒的なステージングを披露できる外見はゆらゆら帝国みたいなサイケデリックなロック・バンド」という感じだろうか。とにかく凄過ぎたので、この感想は近日中に別エントリでまとめたい。熱心な音楽ファンには怒られてしまうかもしれないけれど、トム・ヨークやF.F.Sよりも断然見応えがあった。

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始発で帰り、ちょっと寝過ごしながらも6時40分には家に着く。3時間寝て、8/16(日)公演に妻と向かう(妻は前日参加を見送っていた)。
サマソニで「体力勝負」を感じたことは無いのだけれど、前日はオールナイトだったので仕方ない。前日夕方に仮眠を取ったのでレッドブル1本飲んで体力はだいぶ回復した。そんな錯覚に陥りながら向かう海浜幕張は、もうちょい近けりゃ良いのになとやはり思う。

13時に会場入り。MAN WITH THE MISSIONの狼お面を横目で観ながら、妻と色々なステージをくるくる歩き回る。これから幾つも演奏を楽しむわけで、序盤はこれくらいまったりと過ごした方が良いとフェス通を気取るのだけど、実際のところ手持ち無沙汰は否めない。何となく演奏を楽しむ。
野外のGarden Stageに行ったのは初めて。「こんなに野外感があるイメージはサマソニに無かったなあ」というYo-Kingの言葉に完全同意。こんな炎天下の中で野外感のあるステージの需要がどれくらいあるのかは正直不明だ。収益面と運営面の両方を考えたときに、この場所をポツンと用意しておく必然性も多少はあるかもしれない。

真心ブラザーズの後にマリンステージでZeddを見るというアイデアもあったのだけれど、ちょっと間が空いてしまうので幕張メッセに戻る。暑いのでビールが美味い。
WALK THE MOONやBEST COASTを、浅い眠気の中で観る。バキッとした音楽が聴きたいなと思っていたところで観たのが、マウンテンステージでのMODESTEP。決してパンクというジャンルには括られていないバンドだけれど、自然に身体が反応した。かなり前方で観ることもでき、ブンブンと鳴るベース音も刺激的だった。1年前のPUNKSPRING以来、けっこうパンク(に近い音)にも馴染むことができている。趣味趣向の変化。もっとも僕の中でMODESTEPはBACK DROP BOMB(大学生のときから好き)と被る部分も多く、すんなり入れたのかもしれない。佇まいも格好良かった。

郷ひろみはヒットチューンの連発。何十年もスターを張っていることに納得性を感じた。CARLY RAE JEPSENも相変わらず「Call Me Baby」良かった。それにしても郷ひろみ良かったなあ。一瞬でフロアは郷ひろみの世界に染まってたし、お客さん全員が郷ひろみのコールアンドレスポンスに応えていた。GO!GO!

そして最後はPharrell Williams。この日初めてのマリンステージ、ヘッドライナーにしてはお客さんの入りが大人しかった印象だった。裏はディアンジェロ大先輩。バランス良くお客さんが分散したのかもしれない。おかげで開演ギリギリの入場であったにも関わらず、前方に位置取りできた。
僕にとってファレルは、言ってみれば「Happyの人」。N*E*R*Dも聴いたことがないし、彼がプロデューサーとして手掛けたプロダクションにも関心は低かった。だから正直、(クライマックスに披露するであろう)「Happy」まで、どんな感じで時間を潰せば良いものか開演前から頭を悩ませていた。

全くの、杞憂。

ファレルのパフォーマンスは想像以上で、終始激しく、僕はスタンドに入った瞬間からファレルの声やグウンと鳴るグルーヴに心を鷲掴みにされ、直感的に「踊りたい、踊らなければ!」という思いに駆られるのであった。お客さんが密集している最前方まで行くこともできたのだけれど、比較的スペースの空いたエリアに全ての荷物を放り投げ(パーティと聞いていたので色付きのサングラスも持ってきていた。全然、不要だった)、残っていたエネルギーを全て踊ることに集中させた。もう全ての音が楽しみや喜びに包まれていて、エンターテイナーってこういうことなんだよなと思う。郷ひろみ、Jepsen、ファレルという流れはなかなか象徴的だったんだな。

当たり前だけど、
音響機器からの音楽と、生で聴く音楽は全然違う。
一人で聴く音楽と、お客さんがたくさんいる中で聴く音楽も全然違う。

ファレルの音楽は、その事実を改めて思い返してくれたし、それは僕に限らず全ての音楽を愛する人たちにも共通するのではないかと思った。たぶん僕のようにファレルの音楽にそれほど精通していなかった人たちも、あの場所には大勢いたはずだ。そのお客さん全員が熱を帯びていた。
内側から沸いてくる熱のようなもの。それは初めて聴こうが、熱心なファンであろうが関係ない。音楽を愛すればこそ沸き上がる共通体験なのだ。

その熱を共通体験として味わうことができたお客さんがたくさんいることを僕は誇りに思う。
たぶんこれから先に出会う音楽好きの友達も、あの夜ファレルのパフォーマンスを観ていたかもしれない。「良かったよね」「凄かったよね」「楽しかった」「むっちゃ踊ったわ」などのシンプルなフレーズで完結するかもしれない。それを語る友達の表情は、生き生きとしているに違いない。それを聴く僕もたぶん幸福で、それは2015年の熱量が特別にスペシャルだったからなのだ。

それは全てのパフォーマンスにも、多かれすくなかれ同じことが言えるだろう。
共通体験に費やされた時間は僅かなものなのだ(短いもので20分、長くても2時間程度)。
でもそれくらいの短い時間で、しっかりと体験として語れるようになるのは本当に素晴らしいし音楽の力なんだと思う。僕もその接点を、これから持ち続けられるような感受性をしっかり持ちたいと思う。Apple Musicも確かに貴重だ。だけど生の音楽には、それを遥かに超えた柔らかな強度があるように思う。2ヶ月後の朝霧JAM、生の音楽「を」しっかり楽しみたい。

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再会

再び会う、と書いて、再会。

高校でロックを知り、大学に入ってからロック・ミュージックを本格的に聴き始めた。
折しもiTunesがWindows XPに対応し始めた頃、僕はアルバイトのお金をCD購入やCDレンタルに注ぎ込んだ。洋楽・邦楽問わず、音楽に夢中になったのだ。

音楽を仕事として扱う会社にも入り、音楽への熱は20代ずーっと燃え続けていた。
フジロック、サマソニ、ロッキンフェスなどの主要フェスに留まらず、色々なフェスやライブイベントにも足を運んだ。仕事柄、有難いことにゲストとして呼ばれることもあった。ゲストの立場ながら、人一倍盛り上がる。フェスであれば、ステージ間の移動は基本的にダッシュ。とにかく聴けるだけの音楽をインプットし続ける。
大好きな音楽もあれば、大嫌いな音楽もある。同僚が大好きな音楽を、僕は大嫌いだったりもして(その逆もまた然り)、文字通り朝まで飲みながら語り続けたこともあった。素晴らしい経験だったし、あの頃には、もう絶対に戻れないなと思っている。

そして今、音楽を聴く量はめっきり減った。
もちろんiPodがあるので、朝起きればradikoでInter FMを聴く。通勤は好きな音楽をイヤホン越しに。カフェに入れば自然と音楽が耳に入ってくる。
能動的にせよ、受動的にせよ、音楽は生活に不可欠だ。だけど、貪るように音楽を聴くことは無くなった。どんな音楽でも「つまらない」「馬鹿みたい」と思うことも少なくなった。「良いところは何にでもある」、丸くなったのだろう。

デジタル時代にも、物は貯まる。
使わないものは、押入れの中へ。僕の場合は、CDだった。大量のCD。コンパクトディスク。直径12cm、厚さ1.2mmのそれは確かにコンパクトだし、ケースはどの会社も共通の規格。ケースが割れることはあても、本や雑誌のように劣化はしない。ちゃんと押入れ(ダンボール)の中に収まってくれる。それらは、もう二度と、それらを通じて音楽が聴かれることは無い。可能性の話をしているのではない、絶対に無い。だって、聴きたい音楽は既に、1TBのハードディスク内に収まっているのだから。

だけど、僕はCDに再会した。
今年は満を持して、CDを全て処分しようと決めた矢先のことだった。
大掃除をしていて、CDを手に取った瞬間、何とも言えない愛おしさを感じた。

そして、ちょっとだけ発想を変えてみる。
「要らない」と感じるものは、手に取る機会が無いから「要らない」と思われているのではないだろうか。

試しに僕は、8畳のアパートの一室の、すぐ見える場所にCDを格納した。

CD, DVD, BOOK

CD, DVD, BOOK

そこはもともと、衣服類を収納していたスペースだった。CDが置き換わったのだ。
衣服類は現在、玄関前の通路に、ケースごと移動させられている。通るたび邪魔だし、厚着しようと思って手を伸ばしたら、そこはCDだったりする。大変不便だ。

でも、そのおかげで僕は、久しぶりにTHE BEACHES、BACK DROP BOMB、SIMIAN MOBILE DISCOを聴くことができた。BDBの音楽は迫力があってライヴに行きたくなったし、シミアンの「Husler」は、相変わらず最高で踊りたくなった。あの頃、夢中で聴いた音楽たちとの再会。ケースを開けて、「これどんなアルバムだったっけ?」と想像するのも、何だか楽しい。

デジタルではなく、アナログで。
こういうことって、この先もあるかもしれない。

僕は全然、アナログ回帰派じゃない。
全ての「物事」はデジタルデータに置き換わるべきとさえ思っている。

でも…

当たり前のことだけど、「物事」の使い道は、使う人の「在り方」で左右されるものだ。
使う人が望めば、気付けば、強く感じれば、「物事」はしっかり役割を果たす。

「人」と違い、「物事」は自らの存在を声高に主張したりはしない。
「人」である僕たちが、「物事」に役割を最大限発揮いただけるよう、働きかけることが大事だ。

さて、僕自身の「在り方」は、どうだろう。
そんな難しいことを考える前に、懐かしい友人たちに再会してみたいなと、ちょっとだけ思った。

このMVも最高だよね。

The Rifles「None the Wiser」を買った

本当に好きなアーティストというのは、もう宿命的に好きなのだ。
という書き出しは何となく既視感を覚えるが、誰にとってもフェイバリット・バンドや、フェイバリット・アーティストがいると思う。

村上春樹にとっての、ビーチボーイズやザ・ドアーズやローリング・ストーンズのように。
ある種の人たちにとっての、フリッパーズギターのように。

今でも新しい音楽を聴くたび、身体が疼くような興奮を禁じ得ないことがある。
2013年で言えば、グラミー賞を授賞したDaft Punkの「Random Access Memories」、スピッツが2年半ぶりに奏でた「小さな生き物」、Franz Ferdinandの「Right Thoughts, Right Words, Right Action」の3枚。何度も聴いた素晴らしい作品だった。
新しい音楽で言うと、邦楽ならシシド・カフカやクリープハイプ、MOP of HEAD。新たな潮流を感じさせる自由度の高い音楽を聴かせてくれた。洋楽ならば、何と言ってもアイルランド出身のThe Strypes。まだ高校生くらいの年齢にも関わらず、バリバリのロックンロールは痛快そのものだった。

だが、僕が20歳だったら。
もっと僕は暑苦しく音楽に興奮していたし、寝る間も惜しんでYouTube巡りをしていたと思う。

家庭は無いけれど、30歳を間近に控え、僕はそれなりの生活を営んでいる。
相変わらず考えていることは青いままだし、悩んだり迷ったりしているけれど、それなりに全うな時間の使い方をしていると思う。つまるところ、明日のことなど無視して音楽に耽るような時間の使い方はしなくなったということだ。同様に、女の子と遊ぶことばかり考えて携帯電話を弄っていることも無くなった。

ある意味で、20歳の頃に見たこと聞いたこと行動に移したことは、身体の中にすっかり染み込んでいる。「価値観」という手垢のついた言葉に逃げたくはないけれど、その頃に「良い」と思ったものは今も「良い」と思えるし、その頃に「悪い」と思ったものは(残念ながら)そのイメージを覆すことは難しい。

僕が20歳の頃に夢中で聴いた音楽は、邦楽であればBUMP OF CHICKENであり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONであり、スーパーカーであり、くるりであり、SPARTA LOCALSであり、BACK DROP BOMBであり、髭であり、奥田民生であり、GRAPEVINEだ。洋楽であればArctic Monkeysであり、ASHであり、THE KOOKSであり、JETであり、CSSであり、SIMIAN MOBILE DISCOであり、HADOUKEN!であり、TORTOISEであり、Digitalismであり、Metronomyであり、The Hollowaysであり、Keithであり、The Riflesだ。

まだ第一線で活躍している者、小さなステージで音楽を続けている者、音楽は続けているが裏方として再起を図った者、消失してしまったバンドなど実に様々だ。

だけど、その頃に、飽きずに聴いたメロディーラインやリズム、その時代の空気感は未だに僕の中で生き続けている。

先週、3枚目のアルバム「None the Wiser」を出したThe Rifles。
僕の無条件で大好きなバンドの1つだ。

イングランドを旅行したときに、ロンドンのアストリアというライブハウスで彼らのライブを観た。
2007年3月だったと思う。もう1ヶ月もすれば社会人、というタイミングでの一人旅だった。

2007年1月に彼らの音源「No Love Lost」を聴き、あっという間に彼らの音楽にハマってしまった。ギターボーカル、ギター、ベース、ドラムスの極めて普通なロック・バンドだ。凝った表現をするわけではない。思わずシンガロングしてしまうような、シンプルなメロディ。3分半の楽曲群。何が好きなのか、言葉にするのは意外に難しい。3枚のアルバムは、たぶん進化しているはずだけど、何も進化していないように見える。ライフルズは、ライフルズなのだ。

この記事で言いたいことは何か。
好きなものは大声で好きと言い続けていきたいし、忙しい最中だけど、できればしっかり好きなものを追いかけていきたい。

当たり前のことかもしれないけれど、
新しいアルバムが出たらお金を払うし、日本でツアーが組まれるならライブハウスに行くし、時々はTwitterやFacebookでリツイートやシェアをする。

当たり前のことだし、誰でもできることだけれど、何故か「しない」。
そんなことが多くなってきたような気がするけれど、それはやはり年齢のせいなのか。