「これぞ暁斎!〜This is Kyosai!〜」企画展に行ってきた

暁斎@Bunkamuraミュージアム

その画家の名前は、河鍋暁斎と言う。
日本画に浅学な僕にとって、暁斎はあまり馴染みのない画家だった。
最近日本画に興味を持ったことをきっかけに、Bunkamuraミュージアムで開催されている企画展を観に行くことにした。

なお今回の企画展は、イギリス在住の収集家であるイスラエル・ゴールドマン氏のコレクションにて構成されている。ウェブサイトはこちら

まずは暁斎のこと。
・江戸時代末期〜明治時代にかけて活躍した画家である
・幼い頃から絵を描き、師匠には歌川国芳がいる
・絵を描く姿勢や、絵画への探究心から「画鬼」とも称された
・当時から海外でも高い評価を得、様々な画家との交流があった
・動物画、春画、宗教画など多彩なモチーフを扱うことができる

ざっと箇条書きにしてしまったが、その画力の確かさは、展示されている絵を一目見ただけでも判るだろう。細部まで描かれた繊細な絵は唸る他ない。「月下猛虎図」は本物の虎を見るようだったし、ポスターにも描かれた「地獄大夫と一休」の着物の艶やかさと鮮烈さの集合は見事である。

その中でも僕が挙げたいのは、「第1章:万国飛:世界を飛び回った鴉たち」というテーマで紹介された14の鴉の絵である。暁斎は鴉をモチーフとして描き続けて腕を上げたそう。本墨画にて描かれた鴉のシンプルな佇まいは、長谷川等伯のそれに近い厳かがある。簡単そうに見えるが、当然のことながら、この厳かさを表現するには長い年月が必要だったはずだ。

僕が気持ち良いと感じるのは、暁斎の「自由」な作風である。

彼はたくさんの表現技法を学んだだけでなく、それらをタブーや制限だと捉えず、自分の好奇心のままに描くことができた人ではないだろうか。
暁斎ほどの腕ならば「政治への風刺は描かない」「外国人(黒船襲来)のことは描かない」「ステータスが落ちるかもしれない春画は描かない」など決めることもできたはずだ。むしろ「自分のテーマを1つに定めない」ことをルールとして決めていたんじゃないかと僕は想像する。

動物画や妖怪画は、眼や表情がどことなく人間っぽい面白さがある。
単純に擬人化しているだけではなく、人間のだらしなさとか、嫉妬とか、傍目からは滑稽に見えるものを描くところに暁斎の人間性を感じる。語弊があるかもしれないけれど、彼の妖怪画は、現代の日本人に愛されているポケモンみたいな可愛さがある。

語弊続きで恐縮だが、暁斎が墨で描く作品は、井上雄彦のバガボンドの力強さと共通するとも感じた。特に人間に対しての愛情/こだわりを感じる。「面白がって」描いているなあと、どちらの作家にも感じることができて、思わず頬が緩んだ。

たくさんのコレクションの中で、僕が最も惹かれた絵画は「祈る女と鴉」だ。
その絵は宗教画が多く展示されていた「第6章:祈る−仏と神仙、先人への尊祟」の最後にあった。縁側にいる遊女は手を合わせて祈り、その様子を鴉が見ているという構図。鴉は黒みが薄く、どちらかというと幻のように見える。構図と比較するに鴉の身体は大きすぎる。そして同じ空間にいるというよりは、とても高いところに鴉が存在しているような印象も受けた。

この絵が、何を示しているのかを考えさせられる。
もしかしたら暁斎は、神に擬えたのかもしれない。

他に展示されていた鴉と違い、「祈る女と鴉」における鴉の眼は優しく、遊女を見守っているようにも見えた。空間、時間も超越したところに鴉(あるいは神)はいて、何をするわけでもなく遊女を見守っている。

祈りと神との関係性は、本来そういうものなのかもしれないなと。

英語タイトルは「Woman praying before a crow」とあるが、「Woman praying on a crow」とした方がひょっとしたら良いのかもしれない。そんなことも考えた。

この絵がいつ描かれたのか正確には判らないようだ。(図録には1871年〜1889年と書かれている)
河鍋暁斎の死は1889年、59歳のとき。当時の平均寿命は40代というから、まあ長命だったと言えなくもない。もし「祈る女と鴉」が晩年に描かれたものだとしたら、暁斎の死生観が反映されているとも言えるだろう。そこはあくまで、観る者の感性/判断に委ねられているのだけど。

Q:なぜあえて暁斎を集めるのですか?
A:暁斎は楽しいからですよ!

ゴールドマン氏はこのように答えたという。僕もその言葉に共感する。暁斎の絵画は多彩でトリッキーなところに注目されがちだが、繊細で畏敬を示唆するような表現にも長けている。これぞ暁斎であり、それらをひっくるめて、“楽しい!”ということなのだ。

会期は2017年4月16日まで。
閉幕まで時間は僅かだけれど、機会があればぜひ足を運んでいただきたい。

暁斎の図録も買いました。最高!

ロバート・ハインデル展(そごう美術館)に行ってきた

スクリーンショット 2015-07-26 23.16.41

先週、妻の好きなロバート・ハインデルの企画展(そごう美術館、横浜)に行ってきた。
そごう美術館はそれほど大きなハコではない。にもかかわらず、それなりに多くの人が入っていた。後から聞いたのだが、彼の特集がNHK「日曜美術館」で放送されていたらしく、注目を集めていたらしい。

だいたいの企画展において、ウェブサイトやポスターなどで紹介されている「1枚」が、行くか行くまいかの意思決定の判断材料になる。妻が好きでなければ、たぶん彼の企画展に行くことは無かったと思う。スクリーンショットを見ていただければ判ると思うが、これだけでは何となく彼の特徴は掴めない。加えてモチーフが「バレエ」だ。「バレエ」の愛好家であれば別だが、そうでない僕にとって関心事になるには正直なりえない(もっとも、妻はバレエをライフワークとして続けているので、機会があればバレエも観たいと思っている)。

さて、結果的に僕がハインデル作品をどう思ったか。
それを述べる前に、ちょっと話題を変えたい。このブログを書くために、ウェブサイトで色々彼のことを調べてみた。ハインデルは「現代のドガ」と呼ばれることもあるらしい。
ドガと言えば、オルセー美術館の『踊りの花形(エトワール、あるいは舞台の踊り子とも呼ばれる)』があまりにも有名だ。僕も実際にフランスを旅したときに観たし、2010年に横浜美術館で開催された企画展でも改めて観た。小中学校の教科書にも載っていたと思う。色彩、構図、躍動感、少女の立ち振る舞い。印象派ということもあって、細部が緻密に描かれているわけではない。むしろ少女が立つ舞台(グレイ)が作品の半分くらいを占めている。なのに、素人でも息を呑むような万能感は何なんだろう。レンブラント『夜警』やゴッホの『夜のカフェテラス』などでも同様の印象を持つ。仮に模写したときに、1ミリのズレも許されないような完璧な作品だ。
一方で、そのとき以来、僕にとってドガは「優秀な芸術家の一人」という域を残念ながら超えていない。もちろんそれはドガの芸術的価値を否定するものではない。僕が美術全般への素養を十分に持ち合わせていないことに起因している。そのときドガに対して強い感銘を受けていたならば、僕は5年前の関連ウェブサイトをサーフせずとも、自分の言葉で生き生きとドガを語ることができただろう。と言うかドガを持ち出すことなく、すらすらとロバート・ハインデルのことだけを言語化することができただろうに。

5年前。
僕は25歳だったけれど、まあ仕方のないことだと思うしかない。
今も十分に不完全だけれど、そのときはもっと不完全だった。
欲求は生もののまま処理するしか無くて、他人に理解されないと真剣に腹を立てていた。

ロバート・ハインデルに話を戻そう。
冒頭に「妻さえ望まなければ、彼の企画展に行こうと思わなかった」と述べた。
企画展に行く自分と、企画展に行かない自分を比べられるとして、そこには歴然と自分の感性の差が生じえただろうと思う。彼の作品は、どれも素晴らしかった。

それほどまでにハインデルの作品(当たり前だけど静止画だ)には躍動感があった。ダンサーの息遣いや、手先・足先まで張り巡らされた神経、スポットライトの眩さ、バレエという舞台舞踊が長く愛されてきた理由までが、真っ直ぐに伝わってくる。同じ作品を二度、三度観ても、そのストレートに視覚に訴えてくる感覚は変わらないし、むしろ観るたびに新しい発見があって純粋に楽しかった。

当たり前だけど、静止画だ。
ダンサーを生き生きと描ける画家は確かに少なくないだろう。
だが、それを突き詰めたときに、そこに高い芸術性が発生するんだと思う。彼はもともと天才だったのかもしれない。だけど、ただ天才なだけで、「バレエという舞台舞踊が長く愛されてきた理由」まで描き切ることができるだろうか。

画家の色彩に特徴を感じるのが僕は好きだ。
ハインデルの色彩もとても特徴的だ。赤や青や黒など、その時々に応じて色彩に喜怒哀楽を見出したデュフィのような拘りは希薄だが、たぶん感じるままに色を選んでいたんじゃないかと思う。そして、その色は時にはダンサーよりも前に出る。表情を隠したり、腕を見せなくしたり。このハインデルの意図は判らなかったけれど、それが味になっていたのは事実だと思う。

またバレエに限らず、ミュージカルや日本の伝統舞踊をテーマにした作品も展示されていた。
舞踊全体に対する彼の愛(あるいは関心)を感じた。画家であり、舞踊愛好家であり、研究者だったんじゃないかと思う。ハインデルのパーソナリティは知らないけれど、絵からは実直な性格だったのでは?と思わせる静謐さがあった。ピカソと真逆だ(ピカソが不真面目だったと言いたいわけではないです、ピカソはどこまでも大胆でダイナミックだと思うのです)。

時間の関係で1時間半も観れなかったけれど、夢を見たかのような時間を過ごすことができた。
その日の昼食は沖縄料理で、うっかりオリオンビールを飲んでしまってからの鑑賞だった。願わくばアルコール抜きの状態、思考がクリアになっているときに観られたらと少し後悔している。

さて、敢えて僕に許されるなら、僕は改めてドガの作品も見直したいと思う。
現代のドガに強い感銘を受けた僕が、引用されることの多い「オリジナル」のドガを改めて鑑賞することで、以前とは違う感想を持つと信じているからだ。

そこに甲乙は無いし、仮にあったとしても、そのときの気分次第で天秤はいずれかにも振れてしまうことになると思う。
それは「人生」という言葉を持ってすれば完結に片付けることも可能なんだけど、出来ればもう少し、しっくり再現性のある言葉で語りたいなと強く思う。ということで、言葉が適切ではないかもしれないけれど、これからも美術館巡りの感想をブログでも書いていこうと思うわけです。

参考「アートオブセッション」の画家紹介ページ
http://www.art-obsession.co.jp/artist/artist01.html

参考ブログ:
http://yukko96.blog91.fc2.com/blog-entry-921.html

追記:
Twitterで色々調べてみたら、期間は短いけれど、渋谷のBunkamuraでロバート・ハインデルの息子・トッド・ハインデルの作品も含めた企画展が開催されるのだそう。これも行ってみたいな。2015/9/3(木)~9/14(月)とのこと。
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/150903heindel.html