海外フェス「Clockenflap」に行ってきた

Clockenflap #1

2016年11月のイベントですが、
備忘録も兼ねてブログに残したいと思います☆

日本と海外、
同じことをしたとしても全く違うことをしているような感覚になるのは何故だろう。
地下鉄に乗る、店に入ってご飯を食べる、Google Mapで目的地を調べる、ベッドに入って目を閉じる…。
それは言語の違いだけではないと思う。知らない土地に来た喜びや不安や好奇心が、そんな気持ちにさせてくれるのかもしれない。

音楽もそう。
知らない土地で聴く音楽は、全然違っていた。
北京オリンピックを観るために、一人で北京に10日間滞在したとき、僕にとって何でもない音楽だったCSSは親密に僕の耳に触れていてくれた。

また、20代前半に色々な種類のライヴを観てきた僕だけど、学生時代にスコットランド(演:JET)とイングランド(演:The Rifles)で観たライヴは全く趣きが異なっていた。
繰り返すようだけど、場所が違うだけで、基本的には日本と同じことをしているに過ぎない。
入場したらビールを飲み、ビートに合わせて身体を揺らし、favoriteの曲が鳴ったらテンションが上がる。隣の観客とコミュニケーションすることは稀だけど、時々目が合って「これ良いよな」というような合図を送り合う。(それが可愛い女の子だったら最高だ)

ライヴハウスも、別に日本と変わりはしなかった。
だけど、あのとき聴いたThe Riflesの「Local Boy」は本当に楽しかった。
地元の少年たちのように、ビールもたくさん飲んで、その帰路は多幸感でいっぱいだったのを覚えている。

さて、本題は昨年11月に行ってきた香港の音楽フェス「Clockenflap」についてだ。
僕にとって初めて参加する海外フェスだった。休みも無事取れたので、1泊2日の弾丸旅行を敢行した。本エントリでは、ライヴの感想に加えて、それ以外の周辺情報についても紹介する。海外のイベントに対する敷居が、それほど高くないことを実感いただければと思う。

3日間のイベントだったが、日曜日に予定があったため1日券のみを購入。
兼ねてから観たかったSigur Rosが出演するし、何より「これを逃すと海外フェスは一生行けないかもしれない」という危機感があった。できれば欧米圏の海外フェスに行きたかったが、こんな手近で行なわれる海外フェスは貴重だし、沢木耕太郎『深夜特急』のファンとしては香港という街そのものも魅力に感じていた。

「フジロックよりも安い」
元同僚の方の言葉だけど、2万2千円の航空券(LCC)と8,500円の1日券チケット代を含めても4万円ちょっとで滞在することができた。車を運転したりする労力は全く発生しないので(イベントが行なわれた場所も「Central Harbourfront(中環海濱活動空間)」という街のど真ん中)、出費以上にお得感/手近感がある。

「なんでもある/とにかく便利」
都市圏でのフェスということで、Wi-Fiさえ繋がれば、全てのアクティビティは大幅にズレることなく進行していく。
香港エクスプレス(LCC)は事前のオンラインチェックイン機能が便利で、搭乗までの流れが国内線並みに円滑に行なうことができた。しかも羽田発。
香港に着けば、交通網は非常に安定感がある。遅延なく僕はバスとメトロを乗り継いで宿まで辿り着くことができた。また、オクトパスというSuicaみたいな電子カードを購入しておけば、大抵の移動や買い物がタッチ一本で行なうことができる。香港を訪ねたら、最初だけ面倒だけども窓口で購入しておいた方が良いだろう。
Clockenflapの予約〜入場までの仕組みも電子化されている。チケットはメールに添付されたコードを読み込んで完了。「チケットが正しく発券されるのか?」みたいな不安も多少あったが何の問題もなかった。というか日本ではまだまだチケット自宅に忘れちゃう問題がある。この仕組みを採用すれば、チケットを持参するということ自体が発生しないので、個人的にはすごく良いなと思った次第です。

「宿泊はAirbnbにて」
九龍の市街地はけっこうカオスで、綺麗なところもあればそうでないところもある。週末という点や、香港にとってはベストシーズンということもあり普通のホテルを取ろうとすると高額になった可能性がある。
そんな中で6,000円台のワンルームが予約できたのは有り難かった。むちゃくちゃ綺麗というわけじゃないけれど、コスパは抜群。男の一人旅なら全く問題なしという感じだ。

さて、初めての海外フェスはどうだったか。

音楽以外にもアートの会場があるなど、総合的なエンターテイメントを志向しているけれど、やっぱり観客は音楽に期待していた。
それでも僕は、空いた時間にSilent Discoを楽しんだり、香港の夜景が見える場所で独りごちていたり、ちゃっかりスタッフの方に写真を撮ってもらったりと結構楽しんでいた。

タイムテーブルを見ると判るが、Clockenflapは複数ステージに分かれており、ほぼ同じ時間帯にライヴが行なわれるという体裁を取っている。つまり複数ステージで観たいアーティストが被ってしまった場合、「どちらかを諦める」か「前後半で分けて観る」という風にしなければならない。たぶん嗜好に合わせてステージ分けされていたと思うが、ジャンルレスで音楽を楽しみたい人間にとっては選択が難しい。

Clockenflapは洋楽が中心だけど、地元の香港出身のアーティストもちょこちょこ出演する。また日本枠なるものも存在し、今年は最終日にSEKAI NO OWARIが出演した。

僕は良い意味で、だらだらと贅沢に時間を過ごした。
アートを観たり、Silent Discoのステージを観たり、のんびりと香港の夜景を楽しんだり。
実は残念ながら、一番観たいと思っていたSigur Rosのステージに、がっつりとハマることができなかった。

どうしてかは判らない。
残響感というか、ファルセットなヨンシーの声があんまり刺さらなかった。生意気かもしれないけれど音質のせいかもしれないし、イマイチ乗り切れていない(ように感じた)観客の中で前のめりなvibesを見出せなかったのかもしれない。サマソニ深夜で観たAnimal Collectiveと雰囲気的には同じなはずで、それはもう最高に興奮したので…。判らない。

最終的にフィナーレを迎えたのは、2番目に大きなステージで行なわれていたGeorge Clinton & Parliament Funkadelicだった。ファンクでロックなステージは、朝霧JAMの大トリの大円団みたいな感じだった。繊細なSigur Rosとは真逆のような感じで、もちろんどちらが良いということはないんだけど、僕はこの場をもって2016年のClockenflapに幕を閉じた。

まあ強いて言うならば、あまり分煙対応の意識が香港にはないのか、ぷかぷかとそこら中でタバコを吸っている人たちがいたことは今後の課題かもしれない。結構吸っている人たちの人数も多いので、「じっくりとステージを観る」タイプの人にとって、場所によっては眉を顰めることになるかもしれない。

それ以外の時間も、僕は初めての香港を十分に楽しんだ。
ザハ・ハディドの建築(香港理工大学のジョッキー・クラブ・イノベーション・タワー)を見に行ったり、香港の現地民が集う食堂で飯を食ってみたり。
久しぶりに『地球の歩き方』を握りしめて、どこに何があるかを唸りながら考えるのも楽しいものだった。

お金がかからないとは言え、一人で日本を離れることは早々できることではない。
だけど海外での非日常体験というのは、間違いなく新鮮で楽しいもの。こういうドキドキは30歳を過ぎるとなかなか味わえるものではないので、今後も積極的に海外遠征を検討していければと思う。

Clockenflap #2

hong gong #1

hong gong #2

hong gong #3

hong gong #4

The Rifles「None the Wiser」を買った

本当に好きなアーティストというのは、もう宿命的に好きなのだ。
という書き出しは何となく既視感を覚えるが、誰にとってもフェイバリット・バンドや、フェイバリット・アーティストがいると思う。

村上春樹にとっての、ビーチボーイズやザ・ドアーズやローリング・ストーンズのように。
ある種の人たちにとっての、フリッパーズギターのように。

今でも新しい音楽を聴くたび、身体が疼くような興奮を禁じ得ないことがある。
2013年で言えば、グラミー賞を授賞したDaft Punkの「Random Access Memories」、スピッツが2年半ぶりに奏でた「小さな生き物」、Franz Ferdinandの「Right Thoughts, Right Words, Right Action」の3枚。何度も聴いた素晴らしい作品だった。
新しい音楽で言うと、邦楽ならシシド・カフカやクリープハイプ、MOP of HEAD。新たな潮流を感じさせる自由度の高い音楽を聴かせてくれた。洋楽ならば、何と言ってもアイルランド出身のThe Strypes。まだ高校生くらいの年齢にも関わらず、バリバリのロックンロールは痛快そのものだった。

だが、僕が20歳だったら。
もっと僕は暑苦しく音楽に興奮していたし、寝る間も惜しんでYouTube巡りをしていたと思う。

家庭は無いけれど、30歳を間近に控え、僕はそれなりの生活を営んでいる。
相変わらず考えていることは青いままだし、悩んだり迷ったりしているけれど、それなりに全うな時間の使い方をしていると思う。つまるところ、明日のことなど無視して音楽に耽るような時間の使い方はしなくなったということだ。同様に、女の子と遊ぶことばかり考えて携帯電話を弄っていることも無くなった。

ある意味で、20歳の頃に見たこと聞いたこと行動に移したことは、身体の中にすっかり染み込んでいる。「価値観」という手垢のついた言葉に逃げたくはないけれど、その頃に「良い」と思ったものは今も「良い」と思えるし、その頃に「悪い」と思ったものは(残念ながら)そのイメージを覆すことは難しい。

僕が20歳の頃に夢中で聴いた音楽は、邦楽であればBUMP OF CHICKENであり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONであり、スーパーカーであり、くるりであり、SPARTA LOCALSであり、BACK DROP BOMBであり、髭であり、奥田民生であり、GRAPEVINEだ。洋楽であればArctic Monkeysであり、ASHであり、THE KOOKSであり、JETであり、CSSであり、SIMIAN MOBILE DISCOであり、HADOUKEN!であり、TORTOISEであり、Digitalismであり、Metronomyであり、The Hollowaysであり、Keithであり、The Riflesだ。

まだ第一線で活躍している者、小さなステージで音楽を続けている者、音楽は続けているが裏方として再起を図った者、消失してしまったバンドなど実に様々だ。

だけど、その頃に、飽きずに聴いたメロディーラインやリズム、その時代の空気感は未だに僕の中で生き続けている。

先週、3枚目のアルバム「None the Wiser」を出したThe Rifles。
僕の無条件で大好きなバンドの1つだ。

イングランドを旅行したときに、ロンドンのアストリアというライブハウスで彼らのライブを観た。
2007年3月だったと思う。もう1ヶ月もすれば社会人、というタイミングでの一人旅だった。

2007年1月に彼らの音源「No Love Lost」を聴き、あっという間に彼らの音楽にハマってしまった。ギターボーカル、ギター、ベース、ドラムスの極めて普通なロック・バンドだ。凝った表現をするわけではない。思わずシンガロングしてしまうような、シンプルなメロディ。3分半の楽曲群。何が好きなのか、言葉にするのは意外に難しい。3枚のアルバムは、たぶん進化しているはずだけど、何も進化していないように見える。ライフルズは、ライフルズなのだ。

この記事で言いたいことは何か。
好きなものは大声で好きと言い続けていきたいし、忙しい最中だけど、できればしっかり好きなものを追いかけていきたい。

当たり前のことかもしれないけれど、
新しいアルバムが出たらお金を払うし、日本でツアーが組まれるならライブハウスに行くし、時々はTwitterやFacebookでリツイートやシェアをする。

当たり前のことだし、誰でもできることだけれど、何故か「しない」。
そんなことが多くなってきたような気がするけれど、それはやはり年齢のせいなのか。