第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン雑記(2015年6月28日)

思えば1年前から、この日をイメージしてきた。
別に今日まで物凄くストイックに自分を追い込んできたわけじゃない。
それまでに走った最長距離は75キロ。
初めての「100キロ」はサロマ湖100kmウルトラマラソンと決めていた。
ただ憧れだけ胸に抱いて、このレースを13時間以内にゴールする自分をイメージしてきたのです。

曇天=好天。ここ数年で一番「走りやすい」と思われる今大会。
だけど僕は、レース中盤から苦しくて仕方なかった。少しだけ長い記録になると思うけれど、感じたことをつらつらと書き連ねようと思う。

***

前日はまるで眠れなかった。
8時半から新千歳空港を出発しての約300キロドライブ。
普段運転しない僕にとって、慣れない運転は疲れるものだ。14時半、受付終了後、コース下見も十分に行なった。宿に着いたのが19時過ぎ。友人とビールで乾杯。彼と宿泊を共にするのは、昨年11月の南伊豆みちくさマラソン以来。語り尽くすようなことはしない、いつも通りのんびりと会話を楽しみ、どちらともなく眠りに就く。心地良い眠りに就くはずだったのだ。だけど。

どういうことが起こりうるだろうか。
無事に完走できるだろうか。
完走したらどんなことを自分は感じるだろうか。
嬉しいだろうか。辛くて倒れてしまうだろうか。クールに淡々とゴールテープを切るだろうか。
イメージは妄想へと遷移し、取り留めなく仕事のこととかに波及しながら、思考は当ても無くグルグルと回ってしまった。

21時半に電気を消した。
22時、23時、24時、25時。
廊下がパタパタと鳴る。気が早いランナーは、もうスタート地点に向けて出発するらしい。
出発してもおかしくない時間ではある。僕らも1時半後の26時半に起きる予定なのだから。

何とか眠りに就いたのは25時30分。
それから1時間後にiPodのアラームで目を覚ます。
さすがに眠い。ただ、二度寝するわけにはいかない。幸い、頭の中はすぐクリアになる。
まだ寝ている友人に声を掛ける。早く用意をしよう。ゼッケンを安全ピンで留める。レストステーションがあるので、二つ分のウェアにゼッケンをつけなければならない。起き抜けには面倒な作業だ。
同時に、コンビニで買っていた朝ごはんを食べる。ウルトラマラソンは体力勝負だ。お腹が空けば走れなくなるから、無理にでも腹に入れる。

サロマ湖100kmウルトラマラソンは、55キロ地点にあるレストステーションに荷物を送ることができる。
僕は着替え一式(コンプレッションウェアも含む)、ウイダーインゼリー、アクエリアス、饅頭、バンドエイドなどを詰め込む。どんな状態に陥ったとしても、少しでも回復できる用意をしなければ。荷物の量は加速度的に増えていく。
友人はそんなに準備をしていない。僕ほど緊張していないのだ。そんな彼を羨ましく思う。(主に僕が)慌ただしく用意をしているうちに、出発予定時刻を大幅に過ぎてしまった。

紋別市から30キロ離れた、湧別町の湧別総合体育館がスタート地点だ。
スタートの25分前に現地に到着する。幾ら何でもギリギリだ(受付は前日に済ませてはいるものの)。
荷物を預け、トイレを済ませ列に並ぶと、感慨に耽る間も無くスタートの号砲が鳴った。3,054人のランナーが一斉に走り始める。
「いよいよだなぁ」というより、「準備運動してないなぁ」という思いの方が強かった。

***

スタートは3分半のロスだった。
初めは飛ばし過ぎない。ウルトラマラソンの鉄則を、殆どのランナーが守っている。
昨今のフルマラソンの大会に見られるような、「明らかな初心者」は見掛けない。ウェアと脚を見れば判る。

それはそうだ。
ウルトラマラソンの聖地と呼ばれるこの大会には、北海道外のランナーが半数を占める。
多くのランナーがわざわざ飛行機に乗ってやってきて、北海道の北東へ赴き、北見市、湧別町、佐呂間町を跨ったコースを13時間かけて走る。言い方は悪いが、冷やかしで参加するにはコスパが低い。
というか、ここまで来たからには、どのランナーも「絶対にリタイアしたくない」と思っている。目の前にいるのは、練習に練習を重ねた人たちなのだ。

5時。身体が冷えるくらいだ。
僕ら(僕と友人)は、通常のレースと同様、最後尾付近に位置する。それほどスピードを上げないために、なかなか身体は温まらない。
とは言え、飛ばし過ぎたり、急にペースを上げたりするのは厳禁だ。50キロくらいまでは、2キロ13分30秒〜14分で行くと決めている。
塩タブレットを持参し、5キロ毎に補給する。給水所でも水を摂る。喉は渇いていないかもしれない。けれど身体が、いつ脱水症状に陥るか判らない。

スタートして1キロ過ぎ、土踏まずに痛みを感じる。
普段、痛くなることの無い箇所だ。足を止めて、足首をグルグルと回してみる。痛みは遠のくけれど、不吉な予感が近接している。いつ、また痛みが顔を覗かせてもおかしくない。
ウルトラマラソンは「メンタル7割、実力3割」と言われる。100キロという途轍も無い距離感にビビっているのだろうか。少しだけ笑ってみる。少しだけ落ち着く。

何も考えないことがポイントだ。
他のランナーのフォームを観察したり、朝焼けのコントラストを見つめたり、昨日聴いた道の駅のオリジナルBGMを心の中で口ずさんだり、何でもないことをぼんやりと思考に登場させる。タイムのことを気にしても、距離が縮まるわけではないのだ。6/7に走ったレースのときのように、身体に染み付いているリズムで走ることが肝要だ。想定通りのタイムで進行する、それ以上でも以下でもない。

10キロを過ぎて、サロマ湖が右側に初めて見える。
更に15キロを過ぎたところで、続々と先頭を走るランナーたちとすれ違う。
力強いストライドで駆け抜けていくランナーは、6時間台の記録を狙っているに相違ない。
しばらく走っていくとオホーツク海が左に見えてくる。ただ広い景色。オホーツク海とサロマ湖に挟まれたエリアで、潮と風の匂いが混ぜになる。最初の折り返しは20キロ手前の地点。ようやく身体が温まってくる。

朝8時。東京の知り合いも起き出す時間帯だ(いや、まだ寝てるかもしれない)。
だいたい、出場者のペースも落ち着いてきて、何人かのランナーを頻繁に見掛けるようになった。彼らを基準にレース展開を確認したり、後についてペースを整えたりすることは経験から非常に有効なことだと思う。

ただこの辺で落とし穴があった。身体が温まり、少しペース・アップしてしまったのだ。「ペース速まってない?」と友人に指摘される。「落ち着こう」と何度も言うけれど、なかなかペースは元に戻らない。僕らにとって20キロを過ぎてからの走りが、後に少なからぬ悪影響を及ぼしてしまったかもしれない。

***

30キロ地点は、何もない田園の中を走る。
日が差してくる。今日は一日中曇天というわけではなさそうだ。
コースに設置されている「かぶり水」を、頭から被る。身体にかからないように慎重に。股擦れや靴擦れを避けるためだ。中には氷の混ざっているかぶり水もある。気候のせいか、それは冷やし過ぎで、僕の身体の体温は、汗が引くくらいに下降する。

35キロ手前で、坂道に出喰わすようになる。
高低差はせいぜい40メートルほど。フラットなコースと言われているし実際そうなのだが、疲れが溜まってくると少しの傾斜もキツくなる。僕はどちらかと言えば登りを苦にしない。歩いている人を横目に、せっせと前進することがエネルギーになる。

幾つか続く登りを経て、友人に異変が起こる。
どうやら新調したシューズが足に合っていないらしい。40キロを過ぎ、スピードがガクンと落ちる。何度か声を掛けるも、歩く頻度が高くなる。この地点でのスピードダウンは致命的だ。最終的には僕が前に進み過ぎて、友人がついてこれず、そのまま離脱するという形になってしまった。
これまで72キロ、75キロのレースを共に走った。制限時間内を、全て一緒に走ったのだ。その友人がいなくなり、これから凡そ60キロを僕は一人で走らなければならない。
だが、孤独だと感じることは無かった。「いよいよリタイアできないぞ」と思いの方が強くなる。ようやくここに来て、心地良い緊張感が身体を包むようになった。

55キロの手前にレストステーションがある。「区切り」となる地点だ。
ますます日差しが強くなり、上下のウェアが汗だくになったせいか、45km過ぎからはレストステーションで休憩することばかりを考えていた。邪念だ。余計なことを考えていると、どうしても身体が自然に動き出さない。
脳が、前頭葉が指令を出すのが良く判る。「あと5キロでゴールだから、もう少し頑張りなさい」。彼らの指令を受けないと、身体は動かない。身体は嫌々ながら従っている。ゆえに身体は重い。
40〜50キロは1:09:25。1キロ7分を僅かに下回るペース。悪いペースでは無いけれど、特に休憩を取ったわけでは無い。もう少し走れた気がする分、中盤をロスしたなという感じだ。

レストステーション。休憩は10分と決めていた。
着替えの入った荷物を受け取り、そのまま更衣室に直行する。パンツも交換するためだ(結果的に替えのパンツは入れ忘れていたのだが)。幸いなことに更衣室は空いており、パイプ椅子に座れることができた。テント内だから日も当たらない。クールダウンには最適な場所だ。
上半身、下半身のウェアを脱ぎ、タオルで身体を吹く。何の工夫もない、普通の白いタオルだが気持ちが良い。身体は熱を帯びたままだが、すうっと風が通るような感覚がある。コンプレッションウェア、ウェア、ソックスなどを一通り着替えると、まるで生まれ変わったかのよう。手元の時計は10分を過ぎてしまっていた。補給食はウイダーインゼリーを2種、アクエリアスを半分程度に留めた。13分半でレストステーションを後にする。

レストステーション直後の上り坂は、休憩のために固まってしまった筋肉のせいで、思うように脚が動かなかった。おまけに尿意まで感じてしまう。ちょうど良くトイレがあったのはツキがあったんだと思う。トイレを済ませて屈伸をする。痛みがじわりと脚全体を駆け抜ける。それでも、改めて走り直したときに、若干コンディションが戻っているような感触があった。ウェアを着替えたおかげで風通しも良い。気分上々のまま、60キロ地点を目指す。

***

60キロ地点を通過。
7時間48分の関門を、約25分上回っての通過となる。
ほどほどの貯金だ。十分ではないけれど、心許ないほどではない。

つまり、先が判らないということだ。

意図せず、「ここからフルマラソンを走るのか」という思いが過る。
そういうことを考えるべきではない。そう思い直すけれど、一度心にのしかかった重しを簡単に除くことはできない。ペースも極端に落ちてしまう。
顔を上げるのもキツくなる。目を瞑りながら、ただ前に進むだけ。フルマラソンで35キロを過ぎた辺りで、こういうことはよく起こる。でも。

まだ40キロもあるんだ。
残り7キロとはわけが違う。

65キロまでは絶望との戦いだった。
屈伸するたびに、この世の終りのような痛みが襲う。
刻もう。とにかく刻もう。7分脚を動かせば、だいたい1キロになる。65キロを過ぎて、ちょうど「魔女の森」というエリア(森の中を走るコースで、日陰がある)に差し掛かるも、フラフラと蛇行するようにしか走ることができなくなっていた。

しばらくすると、沿道で応援していた方と目が合って、その方がやおら僕の元に近付いてきた。
「ラッキーですね。レッドブルをあげますよ」と言われる。なんということ!なんというナイスガイなんだ!
一気に飲み干し、彼に感謝の意を告げる。こぶしを強く握る。何だか暗示に掛けられたように、僕はペースを上げることができた。
僕はラッキーなんだ、僕は特別なんだ。
書いていて不思議だけれど、シンプルに彼の言葉を鵜呑みにすることができた。僕はきっかけを待っていたのかもしれない。

70キロから80キロは、確かに苦しかったけれど、前の10キロよりも1キロ1分ずつくらい早めて走ることができた。ゲストとして招かれていた砂田貴裕さんが、ランナーたちに檄を飛ばす。「もっとペースを上げないと次の次の関門に引っ掛かってしまうよ」。砂田さんは100キロ走の世界記録保持者。もっと優しい言葉を掛けてくれれば良いのにと思うも、何だか見返してやろうという気持ちになる。

そして80キロ関門を突破すると、次はいよいよワッカ原生花園。
約8.5キロ×2で往復すると、いよいよゴールが近付いてくる。

はっきり言って、ワッカ原生花園のことは、あまり憶えていない。コースの中で最も美しく、そしてランナーにとって最も過酷であるというこの場所は、僕の想像を超えて厳しいものだった。
往復であるがゆえに、たくさんのランナーとすれ違うことになる。彼らは先にゴールに辿り着くランナーなのだ。そんな彼らへの嫉妬もさることながら、2時間後の自分を投影するような険しい表情を見ると、背筋が凍るような思いがした。当の本人である僕も、いよいよ走りに安定感が無くなってしまう。脚がもつれ、前から走ってくるランナーにぶつかりそうになってしまう。歩道を外れ、原生花園に足を取られそうになることもあった。

限界を感じる。
「残り20キロを3時間4分」というのは、決して難しいことではない。
1キロ8分ペースに減速しても、十分余裕を持ってゴールができる。1キロ9分ペースだったとしても、4分の余裕がある。だいたい歩くと1キロ11分ほど。歩くほどに余裕は無いが、従来通り刻んでいけばゴールに近付くのだ。

刻む。80キロを過ぎて、刻むという感覚は、殆ど味わえなくなってしまっていた。
惰性で前進しているに過ぎない。少し前傾になっているから、止まらずに進めているのだという自覚。残念ながら、僕は走っていたわけではないのだ。

行きはとにかく長く感じた。
一方で、帰りは歩道をなぞることを認めざるをえなくなって、たぶん短く感じるように仕向けられたような感じになった。言葉にするのは難しいのだけど、「あと20分くらいでワッカ原生花園を抜けるぞ」というときに「残り5キロ」という表示に切り替わったのが大きかったと思う。「95キロ」でなく、「残り5キロ」。もう走らざるをえないし、悔しいけれど随分と気持ちが楽になった。

ワッカ原生花園を抜けると、間も無く「あと2キロ」の表示が現れる。
残り25分、歩いてでもゴールが出来そうなペースである。

でも、ここまで走り続けていると、歩こうという気持ちがまるで沸かなかった。
ここまで来たら、このままゴールしてやろうという感じである。

残り1キロ。
ペースは落ちない。ガクンとスピードを落としているランナーも殆ど見かけない。
何故なら、間も無く「FINISHER」だけに許されるビクトリーロードを通り抜けるからだ。
拍手、声援、ハイタッチ、打楽器の演奏、笑顔。僕はそれに応えるほどの元気は無いけれど、少しずつ自分を祝福したい思いに駆られてくる。

ビクトリーロードを曲がると、FINISH地点が大きく見えてきた。
前を走る2人のランナーが、両手を上げてゴールテープを切った。
僕も、もうあとわずかでゴールになる。両サイドから歓声。手を合わせ、何かに祈ってみた。

ゴールと引き換えに、完全なる痛みに包まれる。
身体の中で、痛くない部分を数えることの方が難しい。
でも、痛みに慣れると、そんなに苦い味はしないものだ。
「苦痛」とかではない。むしろ味わい深い。

帰りのバスの中で、次のチャレンジは何をしようか考えていた。

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第56回 六無月東京喜多(北)マラソン雑記(2015年6月7日)

このレースに参加するのは4年ぶり。2011年に参加して以来。
このときは僕にとって2回目のフルマラソンだった。その2ヶ月前に参加したフルマラソンで地獄を見たので、何とかリベンジを果たしたいと思って参加したのだった。

そして体感したのは、それを超えるほどの地獄。
酷暑が体力を奪い、身体とメンタルを奪っていく。殆どない日陰。給水所までの距離(歩くから給水所と給水所の間が長い。喉が乾く。ようやくたどり着いた給水所で水を飲み過ぎてしまう)。

まさに悪循環。バッド・サイクル。

今回、僕が参加した目的は、3週間後のサロマ湖ウルトラマラソンのペース作り、暑さ対策のため。
だいたい1km7分ペース、4時間54分でゴールするのが目標。序盤飛ばし過ぎずに、暑さと戦いながらテレテレと走る。

結果的に、4時間52分8秒でのゴールだった。最後の1kmだけ力を入れたので、概ね想定通りのレースが出来た。最高気温も28度、陸橋の下しか日陰がない上、先の見えない「直線」が続くような道程は、サロマ湖対策にはバッチリだったんじゃないかな。

とは言え、走る中での課題もあり。
当日は疲労を抑えるために長袖のコンプレッションウェアを上下にまとう。それ自体は大きな違和感は無かったけれど、下着を身につけていなかったせいか、途中から地味に痺れるような股ズレに苦しんでしまう。背中から水を被ると、それがそのまま下まで降りていって、衣服と肌との間に妙な摩擦を生んでしまったことが原因だと思う。13時間のレースだと、これが致命傷になりかねないなと思った。
もう1つはペットボトルの処理。僕はペットボトルホルダーを持っていなくて、ポシェットの中にボトルを入れていた。クッション部分が裏返しになってしまったせいか、10km辺りで腰に違和感が。それから30kmはボトルを握りしめながら走った。これは無駄なパワーを両手に吸い込まれてしまったなと感じる。

そのほか、良かったところ。
・ウイダー社の塩タブレットを持参して、ちょこちょこ食べたこと。クエン酸が疲労を和らげてくれたような感覚がある。あとは、気休め効果も大事だった。
・ペットボトルは必須だった。ゆっくり走るので給水所と給水所の間が長いように感じる。サロマ湖ではレストステーションなど、中継地点に2つほどペットボトルを用意することができる。
・コンプレッションウェアは良い。どんなに暑くても着ていようと思う。
・途中休憩で、持参したパンを食べたことでエネルギー補給になった。長い距離は、空腹との戦いでもあると思う。
・準備が大事。暑さと作戦を頭に入れていた分、緻密にレースコントロールが出来ていた。フルマラソン参戦当初のそれと比べると格段に成長している。走れないときは、準備不足のときでもあるなと改めて感じる。

フルマラソン後もそれほど疲れは感じていない。
筋肉痛は若干あるけれど、違和感なく歩けている。

13回目のフルマラソンは、色々な気付きがあった。
リベンジも果たせたし、すごく有意義な戦いだったと思う。

第3回サンスポ古河はなももマラソン雑記(2015年3月15日)

3年連続、3回目の出場。
大会自体が「3回目」の開催なので、今のところ僕は皆勤賞ということになる。
都心から近く、フラットなコースで自己ベストを狙いやすい。出走料も比較的安いとなれば、こぞって参加者も増えていく。年々、出走直後のランナー渋滞が発生しているのは、好条件の大会であることが口コミで広がっているゆえだろう。

さて、僕にとって、今シーズン最後のフルマラソン。
4時間半近くかかった惨敗の湘南国際マラソンから4ヶ月ぶり。
6月に北海道、サロマ湖100kmウルトラマラソンに参加するための調整レースにすることもできたけれど、スタート直後に奮い立つような気持ちが湧いてきてしまった。アドレナリン。力を温存するために、抑えめに走り出すつもりがスピードが上がってしまう。こうなると、自分をコントロールすることができない。

タイムを意識するレースが久しぶりだったこともある。
ランナーの足音(「カツッ、カツッ」と小気味良い音が鳴るのだ)が、とてもクリアに聞こえる。随分と鮮明に。音楽も聴かない。ランナーの足音と呼吸が、僕にとってアナログなペースメーカーになる。

ランナー渋滞を通り抜けて、1km5分を切るペースになると、周囲のランナーの雰囲気が変わっていることを知る。走るために、無駄な贅肉が殆ど無い身体だ。もちろん例外もあるけれど、頬は真っ平らで、ふくらはぎに適度な筋肉がついている。視線は柔らかく、前だけを見ている。ランナーウェアが良く似合う。シューズはミズノやアシックスが多い。アンダーアーマーのシューズは僕だけだ(少し優越感に浸れる)。

結果的に30キロ直前で1km4分40秒というペースを刻んでしまい、そこからガクッとスピードが落ちていった。脚の疲れだけでなく、身体全体に疲労が襲いかかる。随分急じゃないかと思う。もう少し段階的でも良いじゃないか。

ただ、1km5分20〜30秒くらいのページを維持する。
目標物を決めて(「あそこの信号まで何とか走ろう」と。意外と走れてしまう)、1歩1歩前に身体を進めていく。我慢のレースが出来ている。残り7キロ、普段練習しているくらいの距離だ。身体はキツイが、絶望的な疲弊に囚われてはいない。

35キロ地点で、まだ半分にも満たないランナーたちとすれ違う。
間も無く3時間を経過する中で、すでに足が止まりそうな人たちだ。それでも、足を止めずに前に進んでいる。レースの関門に間も無く引っ掛かるだろう。
僕も最初の頃のフルマラソンで、猛暑の中をフラフラになりながら5時間半かけて42キロを走ったことがある。「走る」と「歩く」が一緒くたになるレースは本当につらい。終わりが見えない。休むわけにもいかない。言い訳もできない。三重苦、いや、もっと幾重にもネガティヴな感情に包まれてしまう。

そう考えると、僕は少しずつマラソンに馴れている。
レース中に、ポジティヴでいられる時間が増えているのが、その証拠ではないだろうか。

ゴール。
ネットタイムで3時間35分26秒。ベストタイムに1分、3時間半まで5分強及ばなかった。達成感とともに、終盤スピードを保てなかった悔しさに襲われる。タフになれなかった。そういえば長い距離を走るトレーニングを怠っていた。反省点がとても多い。それでも、とりあえず横になってビールを飲みたい。

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友人は今回、ベストタイムを更新した。
150〜200kmをコンスタントに走っている。結果が出て当然だ。今に、僕が抜かれる日も遠くない。

いやいや、俺もまだまだ負けたくない。マラソン中毒者(ジャンキー)のごとく、ベストを目指して、まだまだ頑張れるはずだ。

さあ、いよいよ次回は、サロマ湖100kmウルトラマラソンに挑戦。
完走するために、参加するんだ。途中棄権するために、大金払ったわけじゃない。頑張ろう。

ワークアウトを真剣に

覚悟はしていたけれど、思っていた以上に30代に入ってから、身体に対して向き合わないと感じることが増えた。

風邪はなかなか治らない。腰周りの贅肉は日々存在感を増す。肌は常にかさかさ。

自分の身体に関して、under controlになんか全然ならない。

「さて、どうしようか」というのが大切になる。過ぎゆく時間を呆然と眺めているだけなんて愚かだ。

ちなみにペースは変動するが、今もしっかり走っている。フルマラソンのため、ウルトラマラソンのために。

それだけじゃ、どうも足りないらしい。

だから真剣にワークアウトすることにした。肩や腕などの上半身および腹筋と背筋を。

どうなる、ことやら。

南伊豆町75kmみちくさウルトラマラソン雑記(2014年11月15日)

静岡県の南伊豆。
行った人の話を聞くことはあったけど、自分には馴染みのないエリアだった。まさか東京から鈍行に揺られて約4時間もかかるところだとは思わず(笑)。

いやあ、最高のロケーションでした!
青い海、素敵な季節、豊かな山々に恵まれた素敵な場所だった。

まともな大人は、こんな素敵な場所を走ろうとは思わないだろう。まして朝4時起床、13時間という制限時間内に75kmも走るなんて。会社の同僚に冷笑されたのは僕だけではないはずだ。
けれど、「走る」ことに並々ならぬ情熱を傾けるランナーたちは確かに存在して、450名が南伊豆のスタートラインに集まったのだ(まだ夜空には星と月が見えた)。楽しみながら、自分の力を試すために。

「来年6月のサロマ湖ウルトラマラソンで完走する」
これが今シーズン、ランナーとしての自分に課した大きなテーマであり、着地点だ。
「100キロを13時間で走る」というのは熟練のランナーであっても大変なこと。まだまだランナーに毛が生えた程度の僕にとって、まずは長い距離を走り抜く脚力を鍛えなければならない。

こんな感じのコース

こんな感じのコース

そういう意味で、今回参加した「南伊豆町75kmみちくさウルトラマラソン」は格好の練習コースだったと思う。
最高地点が300メートルを超える高さの登り坂があるなど、アップダウンの激しいランナー泣かせのコースは、逆に言えばランナーのメンタルを試すものだ。「75キロを13時間」というのはサロマ湖よりも楽そうに見えるが、それは数値上の話なわけで、決して楽ではない。全然楽ではない。

そんな中、僕なりに以下の3つをテーマに掲げて、本大会に臨んでいた。

・12時間〜12時間半くらいで完走する
・登り坂は歩かない。とにかく「走る」ことにこだわる
・レースマネジメントを意識する

特に2番目の、「歩かない」というのがミソだ。

さて、レースはと言うと。
最初の関門の20キロ地点で、下位集団の中でも後ろの方に位置した僕ら(このレースは友達と走った)。「最終ランナー」のビブスを着た方も近くにいることも分かるくらい、後方を意識的にキープ。焦ることが無くは無かったけれど、時間には多少余裕があったし、ゆっくりと確実に走れれば良いと信じていた。序盤の絶景を楽しんだり、途中のエイド(休憩所)でゆっくり休憩を取ったり、身体やメンタルへのストレスや負担を極力抑えることこそ重要で、ひたすら余裕を体力を使わないことに努めた。

これが結果的に奏功する。
レースは20キロ過ぎから中難度の登り坂が増えてくる。もともと設定していたテーマに準じて、登り坂をゆっくりと確実に走った。
序盤で体力を温存していたため、20キロ過ぎの坂でのダメージは無かったけれど、この辺りから登り坂を歩く人が散見されるようになってきた。

「歩く」と「走る」の違い。
これは結構大きい。たとえノロノロと走ったとしても、「歩く」のに比べると、かなり差が生じる。歩いているランナーを抜くと、忽ち差がついてしまうのだ。

走れなくて「歩く」ことになった際のメンタル面の負担も、予想以上に大きい。
「この登り坂はいつまで続くんだ」「日差しが強い」「後半にも登り坂があるのか」など、頭の中で余計なことを考えてしまう。僕自身、初期に参加したフルマラソンで同様のことを経験していたので(このときは完走まで6時間弱を要した)、とにかく「走る」ことがメンタル面の負担を抑えることができるのを実感していた。

とは言え、40キロ過ぎの300メートル超えは、体力温存に努めた僕らの脚にもさすがに堪えた。
下位集団に位置していたせいか、この登り坂を走っているのは僕たちしかいなかった。「ナイスラン!」「ナイスファイト!」「元気だねー」「頑張れー」と声援を受けると、なかなか走り止めることが出来なかった。後に友達と「あそこは結構辛かった、山の中で日陰だったことに救われたよね」と話したが、結局は足を止めずに最後まで登り切ることができた。その後見た山頂からの景色は、また絶景で、救われたと思う。

後から振り返ってみると、ここを歩かずに走れたことは、少なからず僕らに自信をつけさせたのだと思う。
幾つかアップダウンもあったけれど、「あのとき登れたし、それよりも短いなら頑張れるのではないか」と無意識的に感じることができたのだと思う。

計測は最後だけだったので、時間はざっくりと記憶しているレベルに過ぎないけれど、

・20キロ時点で3時間半
・35キロ時点で5時間半
・37.5キロ時点で6時間
・42キロ時点で7時間
・53.5キロ時点で8時間20分
・75キロ時点で11時間半

前半と後半を比べたら、後半の方が速い。
色々な距離のレースを経験してきたけれど、こんなことは初めてだった。確かに最後の5キロは、1キロあたり5分半くらいのペースで走れていたと思う。身体がめちゃくちゃ軽かった。ゴールの後もそれほど身体は痛くなかった(2週間前の湘南国際マラソンの方が、よほど酷かった)。まだ余力があって、たぶん10キロくらいは同じようなペースで走れていたんじゃないかと思う。

最高のロケーションで、最高のレースができた。

もちろん、来年のサロマ湖では、もっとスピードが求められる。
序盤にノロノロとしたペースを続けていると、忽ち関門の時間制限に遭ってしまうはずだ。

これからも基礎体力をつけつつ、スピード向上を図っていかなくちゃならないと思う。油断せず、走り込みを続けたい。

最後に、今回は南伊豆の方々のおもてなしが素晴らしかったです。
食べるために走る、いわゆる「食べランナー」という人がいることは知っていたが、エイドの「食」がこれほどまでに充実しているとは思わなかった。
思い出すだけでも、猪汁、とろろご飯、アロエマンゴー、ところてん、団子、おこわ等々。走るのに欠かせないオレンジやバナナ、梅干しも随所に用意されていて、エネルギーが尽きることは無かった。「みちくさ」しながら走るという本大会の特徴が、こういうところにも表れている気がして、走るのがとても楽しかったです。1年に1,2回くらいは「食べランナー」かつ「旅ランナー」で大会に参加するのも悪くないなと。

夜明けのスタート

夜明けのスタート

朝の海です

朝の海です

快晴だった。前日までの強風は止んだらしい(風、けっこう強かったけど)

快晴だった。前日までの強風は止んだらしい(風、けっこう強かったけど)

走ること厳禁の国立公園を歩きました

走ること厳禁の国立公園を歩きました

20キロ地点で。楽しみ方が古いか...

20キロ地点で。楽しみ方が古いか…

まだまだ序盤、まだまだ元気!

まだまだ序盤、まだまだ元気!

伊豆の海、常に絶景がそばに

伊豆の海、常に絶景がそばに

本当は恋人と撮影する場所

本当は恋人と撮影する場所

ポーズが古い

ポーズが古い

田園

田園

遠くに見えるのが富士山

遠くに見えるのが富士山

やまみち。僅かだけどトレランも楽しかった

やまみち。僅かだけどトレランも楽しかった

伊豆の海最高!

伊豆の海最高!

絵になるなあ

絵になるなあ

ベストショットかな

ベストショットかな

メロンおじさんと。エイドで元気づけてくれました

メロンおじさんと。エイドで元気づけてくれました

ゴール!達成感半端ないです。

ゴール!達成感半端ないです。

最後にして、海の幸を楽しみました(20分で)

最後にして、海の幸を楽しみました(20分で)