ひっそりと終るサービスを想う【Groovy】

Groovy

2013年3月にDeNAがリリースした、スマホ向け音楽プレイヤーアプリケーション「Groovy」が以下のような声明をひっそりと出した。
https://www.gr-oo-vy.com/static/pc/news20140207.html

Groovy 試聴・フル再生・歌詞表示・ファン機能・ダウンロード機能終了のお知らせ
Groovyをご利用いただきありがとうございます。
Groovyにて、ご提供させていただいております試聴・フル再生・歌詞表示・ファン機能・楽曲購入・ダウンロード機能のご提供を2014年3月25日をもって終了させていただきます。
ファン機能を利用した書き込み内容、欲しいものリストに関しましては3月25日をもってデータを削除させていただきます。なお、ダウンロード済みの楽曲は、3月25日以降もGroovyアプリにて再生いただくことが可能です。
今後の予定
2014年3月18日(火)昼12時頃 楽曲購入の終了
2014年3月25日(火)昼12時頃 試聴・フル再生・歌詞表示・ファン機能・ダウンロード機能の終了
ご利用いただいている皆さまにはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

ストアから削除されるなどの情報は、このリリースからは見えない。
が、実質的なサービスからの撤退と考えて良いだろう。
SpotifyなどUSのストリーミングサービスが、日本進出しそうだとシーンを賑わせている中で、国産のサービス終了は悲報の何者でもない。サービスを使っていない私が言うのも何だが、「残念」という言葉に尽きる。

そもそも「売れなきゃアウト」というのは、実はビジネスを行なう上で鉄則である。
例えば、ロックバンドが大手レーベルと契約するケース。大手の資本力やネットワークが、バンドの新曲においてCMタイアップを獲得する。積極的に全国ライブやメディア露出を図る。それまでの固定ファンに加え、新規ファンも獲得し、新曲はそこそこ売れるだろう。しかし思ったより売れなかった場合、次の楽曲の予算は削られる。非情な決断にもめげずメンバーは頑張るが、なかなかセールスに反映しない。その悪循環がしばらく続くと「会社の方針」ということで契約を解除される。
誰もが宇多田ヒカルのような大ヒットや、aikoのようなロングセラーを記録できるわけではない。

レーベルも、社員に飯を食わせることに必死なのだ。

会社の成長は至上命題だ。歴史の浅いベンチャー企業なら尚更だ。
圧倒的な速さでナンバーワンにならなくてはならない。二番目ではいけない。日本で富士山の次に高い山が何か想起できないように。ナンバーワンの恩恵は計り知れないのだ。ナンバーワンになれるサービスだけに経営資源を注ぐことは当然だ。

畑違いの音楽サービスで、DeNAもなかなか事業単体で業績が上向かなかったんだろう。私の好きなDeNAの元社長・南場さんも著書『不格好経営』でこのように述べている。

ユーザーはよいサービスだと褒めてくれたが、繰り返し使ってはくれなかった。モバゲーからユーザーを送り込んでも、リピート率がここまで低いとザルのようで効率が悪すぎる。COOの守安から、3ヶ月以内にリピート率を2倍にすること、上がらなければ撤退と伝えられ、大塚率いるチームはユーザーの再訪を促すために奔走した。(中略)リピート率は随分改善されたものの、2倍には達しておらず、撤退が言い渡された。(中略)やるべきことをすべてやり切って、結果この数字ということは、本サービスは可能性がないと判断せざるを得なかったのだ。ユーザーの審判である。

同じく、もはや天下無双のサイバーエージェント藤田社長も、著書『起業家』の中でこのように述べている。

サイバーエージェントには「CAJJ制度」という新規事業の立ち上げルールがあります。これは鉄の掟で、そのルールには事業の赤字の上限額が決められており、誰であろうと撤退のルールには従わなければなりません。

彼のブログ「撤退基準を予め決めておくこと」のエントリーにも、

社内で「上場廃止ルール」と呼ぶ、撤退ルールを明確に決めました。『リリース後4か月経過した時点で、コミュニティなら300万PV/月、ゲームなら1000万円/月を超えていなければ撤退検討』というものです。

なかなか厳しいルールだが、結果として両社は成長を続けているせいか、マーケットはこれについて殆ど文句を言わない。
確かに自分が社長であれば、「撤退基準」はしっかり定めた上で事業を行なうだろう。ハイリスクは避け、初期投資はなるべく抑えるという戦術も、先人が行なってきた通りだ。

だけど、それを「言っちゃう」かどうかは、分からない。

ソーシャルゲームやプラットフォームビジネスは、お金を払えば終わりというサービスではない。
都度ユーザーは課金を行ない、ある意味サービスに対して「投資」を行なう。その「投資」先が、上記のような撤退ルールのもと、サービス終了したらユーザーはどう思うだろうか。

腹が立つよね。

課金ビジネスだけに限ったことではないと思う。
1人でもファンがいれば、そのサービスはファンにとって価値があるもの。
ローンチのハードルを無駄に上げるものではないが、少なくとも「撤退」について定量的だけでなく、定性的で感情のある理由を説明すべきだと思う。

Google Readerがサービス終了をしたとき、Googleはトラフィックが流れることは恐れず、他社サービスと連携できるような「流し込み」施策を講じた。これによって私は、Google ReaderからFeedlyに、わりとすんなり移管することができた。

Googleという会社規模の大きさもあるけれど、彼らへの信頼感があるから、私はGmailを使うし、Google Chromeを標準ブラウザに設定するし、Google Mapに履歴をどんどん残していく。それらサービスが唐突に「終わらない」ことを期待しているからだ。利便性だけを求めて使っているわけではない。

「終わらない」=「継続する」ことを、ユーザーは大前提として期待している。
少なくとも、少し前までは期待していたんだと思う。

だけど、その期待は、ビジネスの効率性が極大化する一方で、薄れつつある。
そうなるとユーザーは、新しいサービスを使いづらくなってしまう。新しいサービスがスマッシュヒットをする機会が減ってしまったら、それは悲しいことだ。

「続ける」ことは難しい。個人も法人も、「続ける」ことの意味を、価値を、再考すべきだと私は思う。

古市憲寿『僕たちの前途』を読んだ

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古市憲寿さんのことを書くのは難しい。
まず、どの三人称を選ぶか。古市さん、古市くん、古市氏、ポエくん。同じ大学の、1学年下ということは後輩なんだけど、口を聞いたこともないし、社会学者としてメディアに引っ張りだこだし、普通に考えたら他人だ。完全に他人。だから古市さんが正解だと思う。

でも僕は「SFC」とう特殊装置の中で、同時期に学生生活を過ごした彼を赤の他人だとは思えない。
彼のブログも愛読していたし、実はコメント欄で少しだけ絡んだこともある。同じテーマの授業に出たことも多分ある。同じ男性なわけだし古市くんで良いんじゃないかと思う(だから、これからは古市くんと記述しますね)。
線引きするとしたら「有名人」か「無名人」か、と言うところだろうし。

いや、もう1つ。古市くんは起業していて、僕は起業していない。本ブログで取り挙げる『僕たちの前途』は、起業家論をテーマにした作品だ。『希望難民ご一行様』、『絶望の国の幸福な若者たち』で若者論を書いた古市くんが、若者を切り口にしつつ、「働く」という行為に舵を切った作品ということで、友人として大変興味を持ったのだ。

本書で言及されているように、日本では「起業」に対するイメージが偏っているように感じる。
起業は成功や失敗と表裏一体。成功者はジョブズやゲイツ、ザッガーバーグのようなアメリカITの雄が思い浮かぶし、日本でもグリー田中社長や、サイバーエージェント藤田社長のように、若くして起業し、名を知られた人たちが連想される。あるいは松下電器の松下幸之助や、ホンダの本田宗一郎などレジェンド経営者。

いずれの経営者に共通しているのは、みなお金持ちであるということだ。
起業で成功した人は、巨万の富を得られる。そういうイメージがある。若き起業家を羨望の眼差しで見る人もいれば、失敗すれば良いのにと嫉妬を抱くこともあるだろう。お金にまみれた感じ、何となくイメージしていただけるのではないか。

起業家をつぶさに見ると、「何か社会にインパクトのある事業をやってみよう」とか「困った人を助ける製品を作りたい」とか、健全な人もいる。
あるいは、「会社という組織に囚われたくない」とか「信頼できる仲間と楽しくやっていきたい」とか、ちょっと中二病のような理由で起業という選択をする人もいる。
肌感覚として、こういう人は周りに理解されづらい。年配の人には呆れられることもある。「バカヤロー、働くってのは好きなことをやるんじゃねーんだよ!」。ひと昔前なら、親父のゲンコツが飛んできそうなものである。

本書はたぶん、起業している人間にとってはわりに共感できることが多いと思う。あるいは、「何を当たり前のことを」と感じる人も多いのではないか。しかしながら起業をしていない人、志したことがない人にとっては奇異に映るかもしれない。
働くことでストレスを溜めるなんて致し方ない、なのに本書で紹介されている起業家たちは明るく、オープンで、ストレスとは無縁だ。金に溺れていることもなく、何だか爽やかな青年たちである。

何が正しいのか、僕が結論付ける気は毛頭ないけれど、古市くんの視点は面白いぜってことだけは自信を持って言えます。
メディアに出ることも増えた古市くんだけど、それなりにリサーチをしてるし、それなりに取材しているし、然るべき場所で時代を掴もうとしている。ただのチャラチャラした若者では全然ないと思うわけです。

まだ読んでいないけれど、新作は『誰も戦争を教えてくれなかった』。
爽やかな若者が選んだのが「戦争論」ですか、、古市くん。Twitter見ると北欧に飛んでたりしてるみたいだし、次は社会保障論とかかな。古市くんの興味・関心を道標、あるいは反面教師にして、ちょっと引いた視点で社会を見つめるのも、きっと面白い。

「働く」×「文化」について

「文化とカルチャーの間で」
ブログを開設してから3週間弱、6つ目のポストになります。
3日に1回ペースだと悪くもないように感じますが、2週間近く更新が滞るなど、まだまだ書き慣れていません。

私事ですが、12/3(月)から、新しい会社に勤務しています。
本業に時間をかける比重が大きくなるのは当たり前ですが、やはり新しい環境への対応はエネルギーを要します。悪い意味でなく。

前後の会社を比較するときに、「この会社の文化は●●だなあ」とか、「前の会社のカルチャーは○○だったなあ」とか、会社のことを表現することがあります。「文化」や「カルチャー」という単語は、「働く」というシーンでも使用されるわけです。

ビジネス名著『ビジョナリー・カンパニー』でも「働く」ことと「文化」「カルチャー」が関連づけられています。「カルトのような文化」という見出しで、IBM、ウォルト・ディズニー、P&Gが紹介されています。

冒頭、ノードストロームという米国のデパートチェーンの「文化」を象徴するやり取りが、紹介されていますが、

新入社員:新入社員の50パーセントは1年以内に辞めていくと聞いていますが?
人事:そうです。プレッシャーに耐えられない人、猛烈な仕事に耐えられない人、会社のシステムや価値を信じられない人は辞めていきます。しかし、やる気があり自主性があり、そして何よりも、成績をあげ、顧客に奉仕する能力があれば、うまくやっていくでしょう。大切なことは、ノードストロームが合っているかどうかです。合っていなければ、会社を憎むようになり、みじめな思いをし、辞めていくことになります。

非常に厳しい言葉が並んでおり、5年前に本書を読んだとき、非常に驚いたことを覚えています。

今は、確かにその通りだと感じています。能力云々でなく、「文化」に合うかどうかは非常に重要です。「文化」に合うというのは、迎合する、とは少し異なるように思います。馴染む、という言葉が相応しいかな。

いずれにせよ、「文化」や「カルチャー」が、人生を大きく左右する例です。極端かもしれませんが、「文化」は人生を有意義にもするし、あるいは致命的な揺らぎを与えることもあるのです。

僕は、それを面白いと思っています。